「教会に行く義務は?」


キリストの体、キリストにある兄弟姉妹、教会、つまりエクレシアは、主に呼び出された者達、聖別された者達として、集まる理由が沢山あります。
この地上を歩き回わり生きている主の宮として、不思議に神様と結び付けられていることによって、お互いに不思議に繋ぎ合わされているものが一つのエクレシア、教会です。

(教会のギリシャの原語は、エクレシアです。教会と言う言葉に余りにも慣れすぎていますので、思いの一新のために、今後は、エクレシアという本来の言葉を使わせて頂きます。)
マタイ 18:20「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」     
この御言葉は、エクレシアの基礎です。
集まり、交わり、励ましあい、助け合い、支え合い、愛し合い共同体が、エクレシアです。
また、パウロが、エクレシアについて、次の偉大な預言をしています。
エペソ 3:10-11「これは、今、天にある支配と権威とに対して、エクレシアを通して、神の豊かな知恵が示されるためであって、私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた神の永遠のご計画によることです。」
2-3人でも、何千人何万人でも、エクレシアとして集まる理由が沢山ありますが、「義務を果たすこと」はその理由の一つではありません!
しばらく前に、私たちの唯一の義務として聖霊様によって愛し合うことについて話しました。まだ聞いておられない方は、そのメッセージを先にお聞きください。
日本の社会には、義務が沢山あります。
多くのクリスチャンは、教会に行き始めると、神様や、教会からも果たすべき多くの義務があるのを感じます。
以前、「信仰生活のためには、祈る義務、聖書を読む義務、断食する義務はありません。」と言いました。
私たちは、キリストにあって自由となりました。
自由となった私たちは、イエス様にあるその自由をもっともっと理解し、経験し、楽しむために祈り、聖書を読みます。
それらは義務ではなく、私たちの自由意志によって、自分を強め、心の一新のために、選ぶ行動です。神様に近づくように感じるけど、実際は、そうではなく、既にキリストにあって神様と結ばれています。
そして、結婚関係の中でもっと二人の関係を楽むように、神様やキリストにある兄弟姉妹たちとの結びつきも更に理解し、経験し、楽しむ事が今から後も永遠にできるのです。
さらにキリストにある自由を経験するために、先輩達の歴史から少し理解する必要があります。

旧約聖書の祭司制度を見てみましょう。
モーセは、奴隷として捕われているイスラエル人を解放するために、神様に用いられました。
神様は、イスラエル人全員に直接語り、繋がり、関わることを求められました。
しかし、イスラエルは、国として、神様との直接的な関係を拒み、モーセ、つまり人間の祭司を通して神様と関係を持つことを求めました。
出エジプト記 20:19「彼らはモーセに言った。『どうか、私たちに話してください。私たちは聞き従います。しかし、神が私たちにお話しにならないように。私たちが死ぬといけませんから。』」
これは、神様が望まれた関係ではなく、イスラエルが恐れによって選んだ道です。ここで、神様は怒り、その民を拒絶し、滅ぼすことなく、恵み深く、哀れみ深いお父さんですので、その民の願いを叶えてくださいました。
モーセを通して、イスラエルの民に、話しかけ、全ての必要を満たし、また導びいてくださいました。そのことに気づいてください。

数百年後同様に、1サムエル 8章では、
イスラエルの長老たちは、士師であり預言者サムエルのところにやって来て、こう言いました。
1サムエル 8:5「どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」
6 彼らが、「私たちをさばく王を与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの気に入らなかった。そこでサムエルは主に祈った。
7 主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。」
また、イスラエルの民は、神様と直接的な関係を拒否し、祭司や代表者などの人間を通して神様と関わることを選んでしまいました。
しかし、神様は、恵み深く、哀れみ深いお父さんですので、その民の願いを叶えてくださいました。

神様が、イエス様を私たちに遣わし、十字架を通して、完全に神様と和解してくださいました。私達信じる者は、まず一人が神様と直接関わり、親子、夫婦関係のように、その中で成長し、神様の御声に聞き従い、愛し合う関係を育みます。
1ペテロ 2:9「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」
今現在、あなたは、祭司です。直接神様の前に生きている祭司です。顔と顔を合わせて、神様と関わっている祭司です。
いつか、そうなるのではなく、キリストにあって選ばれた者として、現実の今の姿です。
なのに、多くのクリスチャンは、まだまだ旧約の祭司制度のように、牧師、教師、先生、親戚、友人などを通して神様と関わること、神様の御声を聞くことを委ねてしまいます。
神様と直接関わることができると信じないかもしれないし、目で見えない神様よりも、目に見え、耳で聞こえる人間、また人間が作ったルールの方が確かであると思ってしまいます。

特に日本文化においては、「先生」、「師匠」、「弟子」など上下の関係が強調されています。もちろん、教師、牧師、預言者、また霊的な父親、母親、兄弟姉妹は、信仰生活には大きな役割があります。ただ、私たちが、神様と直接関わる代わりに、人間やそのルールに頼るべきではありません。
マタイ 4:4「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによって」生きるのです。
神様があなたに直接与えたい言葉や導きなどを人間から求めることは、偶像礼拝、または占いのようなものですよ。
弟子訓練では、人がキリストに信仰を持った直後から(実は、その前からも)神様の御声を聞き分けることを勧めて励まし、また訓練しなければなりません。
ヨハネ 10:27「わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。」
預言者などの特別の人だけが神様の声が聞こえるのは、嘘です。あなたは、イエス様の救いを信じるためには、既に神様の声を聞いていたのです。
あなたが知らないうちに、一日中、神様の声を既に聞いています。ただ、私達は、それに気付き、さらにその御声に応答し、その中に成長していくこと、これこそ信仰生活です。

どうして神様の声を聞くことを教会・エクレシアの話しの中で、これほど強調しているのでしょうか?それは、エクレシアが正しく機能するためには、一人一人の器官が頭なるイエス様と直接繋がっている意識が必要だからです。

私達は、皆全く同じレンガではなく、、、


生ける石です!
1ペテロ 2:5「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。
そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊の いけにえを ささげなさい。」
それぞれの器官が直接頭と繋がって、神様と顔を合わせて、御声を聞いている毎日の中で、一つの体として進むために、御言葉、教え、啓示、証し、預言、賛美などを分かち合います。兄弟姉妹として集まる時に、全ての器官から受けるべきものがあります。

それは、パウロがエペソ 1:18 に祈った「聖徒の受け継ぐもの」ではないでしょうか?
「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、、、知る事ができますように。」
クリスチャン生活の成長のために、とても大きな鍵は、与えることです。
クリスチャンになって成長してから与えるのではなく、信じる前からでも、神様から受けたことを互いに分かち合うべきです。
私達の集まりの中で、未信者や、子供でさえ神様に耳を傾けて、神様に聞き従う決断をすることを積極的に教えています。その集まりをリードする長年のクリスチャンは、何度も彼らから教えられて本当に驚きつつ、大きな祝福を受けています。栄光に富んだ遺産を受け継いでいます。

私達が師から受け身的になるだけではなく、エクレシアとして集まり、主から受け継いだ命を積極的に分かち合うべきです。
1コリント 14:26「兄弟姉妹たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。」
それぞれの器官が頭なるキリストと繋がり、生ける石として、霊の家に築き上げられていきます。教会に行く義務ではなく、その霊の家が建てられるために、集まり、賛美し、互いに教え合い、祈り合い、励まし合い、助け合いましょう。

最後に、エクレシアについて神様の素晴らしい約束を見ましょう。
詩篇 133:1「見よ。兄弟姉妹たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。 3「主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」
What About Our Obligation to “Go to church”?
There are so many amazing reasons to gather together as brothers and sisters in Christ, however, an obligation to “go to church” is not one of them!
Japan is a society is full of obligations and many believers live under a heavy religious yoke of having to “go to church” to fulfil a religious duty.
Actually, understanding and enjoying church (ekklesia) as God intended is rooted in our understanding of our own direct union and connection to God through Christ and our identity as priests in His Kingdom, directly relating and ministering to Him.
This message deals directly with this issue. Please pray for the Japanese church to be set free from a life-style of obligations into the freedom of Christ and to understand the amazing “Inheritance in the Saints” that we have in the ekklesia.

「神様との不思議な結合」


前回は、聖霊にあって、私たちの唯一の義務は、愛し合うことだと、聖書の言葉を通して見ました。
そうです。
私たちは、キリストにあって、完全に自由となり、祈り、聖書を読み、断食を通してもっと理解する、経験する、また楽しむことができます。しかし、キリストにある私たちの神様との不思議な結合を更に強固にすることはできません。人間の結婚のように、神様との結合は事実です!

あなたは、キリストにあって、不思議に神様と結びつけられただけではなく、互いに、他のキリストにある者と結びつけられたことも、ご存知ですか?
そうです!
教会の一致は、皆が仲良く交わることではありません!尊敬し合うことだけではありません。
十字架の上で、キリストによって、私たち皆がキリストの体に取り込まれて、和解が成し遂げられました。
天にある事実は、私たちが既に一つとされているのです。

ローマ 12:5「大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」 
ヨハネ 17:21 「父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。」 
エペソ 4:2-3「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」
天にある、私たちの不思議な結合の事実が、地上で、私たちの関係の中に、現れますように!
人間の間の一致を作るのではなく、聖霊の一致を保つことです。
内に住んでおられる御霊に委ねながら、一歩一歩聖霊様と合わせて進もうではありませんか?

キリストの体として、教会として、進むために理解すべきなのは、まずキリストにあって愛し合うこと以外の義務から完全に自由とされたことと、さらに、神様との不思議な結合の中に受け入れられたことです。

なぜ私がいつも「不思議な結合」と呼んでいるか?それは、不思議だからです!奥義なのです。

人間の知恵や知識を遥かに越えた素晴らしいことです。

「不思議な結合」について少し聖書の言葉を見てみましょう。

2コリント5:18-20
18 「これらのことはすべて、神から出ているのです。」
この「すべて」に注目してください。
今からのことは、すべて神様からです。自分の努力、自分の信仰でもない、神様が一方的にしてくださったのです。

18「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」

更に、パウロによるその説明が続きます:

19「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」 
20「こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。」

また、ローマ書のことば:
ローマ 5:8
「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」

神様との和解は、私たちの方からではなく、神様がキリストを通して、一方的にしてくださったことです!
私たち信じる者だけではなく、「世」、(ギリシャ語のコスモス)、世界の全ては、キリストにあって和解させられました。

ローマ 5:9「ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」

違反行為の責めを人々に負わせないで、神様は完全に人類全てをキリストと共に和解させてくださいました。

今すでにキリストの血によって義と認められ、和解された世界は、キリストによって神の怒り、つまり罪の当然の報いから救われることも、当たり前なのです!

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」ローマ 10:13 
当然です。

この大事なことに気づいていただきたいと思います。

和解は、私たちと関係なく、神様が一方的に、十字架の上で、成し遂げられたことです。
救いも、私たちのために、完全に用意されています。しかし、その救い、罪の結果からの解放を経験するために必要なのは、呼び求めることです。頑張ること、良い行いをすることではなく、呼び求めるだけです。                     

私たちクリスチャンと未信者との違いは何でしょうか?
目覚めたか目覚めていないかです!気づいているか、気づいていないかです。 
              
私たちクリスチャンは、顔のおおいが取り除けられた者です。

私たちクリスチャンは、この約束の初穂です。この事実に目覚めて、理解して、経験して、楽しむ毎日を過ごすことができます。

和解は、完成しました。
救いも、完成しました。
私たちが毎日更にその救いを自分の状況、家族、人間関係、会社、学校、つまり具体的な生活に受け入れることができます。

罪の世界は、罪の結果、神の怒りと死に溢れています。
家族の分裂、離婚、病気、鬱、自殺、犯罪、不義、貧困などが溢れています。

神様の救いがその場に、受け入れられるように、待っています。
天のところに、それが既に用意されています。

この意味で、救いは、過程であり、プロセスです。

救われていないところから、一瞬で救われた状態に移され、そこで終わるのではなく、この救いを通して、今から更にそれを経験して楽しむことができるプロセスです。

力から力へと進み、
信仰から信仰へと進み、
栄光から栄光へと進みます。
2コリント 3:18
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。」
変えられて行くプロセスです。
「これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
神様の働きです。私たちが喜んで、囚われているその束縛と嘘を手放して、その救いを素直に受けてもいいです。
これこそ、福音です!

イエス様に、向き直って、神の御国が既に近づいたことに気づき、それを自分の状況に受け入れます。

クリスチャンが、いつも救われているかいないか、天国に行けるか行けないか、それだけを強調するなら、本当の御国の福音を理解していないのでは ないでしょうか?

事実、全世界は既に和解されています。既に救われています。
その和解、その救いをまだまだ経験していない人が沢山います。だから私たちには、和解の務めが委ねられています。

私は、その和解と救いに目覚めた者は、毎日その中に成長することができると思います。

来週新しい試練がきます。そのためにも、神様の救いがもうすでに用意されています。
私たちも、ほかの人のために、その救いを地上にもたらす器として用いられる特権があります。

まだまだ自由意志があります。
クリスチャンだからといって、肉的な思い、過去の罪の性質が死んでいても、その悪いクセによって行動しないとは限りません!
多くのクリスチャンは、キリストと繋がっていても、自分の罪の性質が死んでいるしかも、敵の嘘を信じているので、罪人のアイデンティティのままであり、まだ囚われているのです。
罪の奴隷となっています!

せっかくキリストにある、義人としてのアイデンティティを無視して、罪人として生きています!

キリストによって、神様との不思議な結合、矛盾に見えるけど、そうではありません。       

2コリント5:18-20のその奥義をもう一度繰り返します。           

神様は、キリストによって、私たちをご自分と和解させました。
だからこそ、神の和解を受け入れましょう。
私たちはキリストの使節として、和解の務めが与えられました。

神様との不思議な結合をこの一週間、楽しんでください。

「私たちの信仰の唯一の義務」




日本の社会では、義務を果たす事をとても大切にします。
子供は、小さい頃から、他人に対しての義理や、また社会に対する義務や責任を果たす事について教えられます。
多くの人は、クリスチャンになる時も、更に神様にも果たすべき多くの義務があると感じます。

しかし、この順番が大切です。まず、キリストにある自由を経験しなければなりません。
義理や義務、責任から自由となった経験ですね。
信仰生活において果たすべき責任とは、神様に与えられた自由意志によって、自分で選択して始まるものです。

あなたはキリストにあって自由なのです!
ヨハネ 8:36「もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。」
2コリント 3:17「主の御霊のあるところには自由があります。」

また、コリントの第一の手紙で、パウロはこのビックリする言葉を強調しています:

1コリント 6:12「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。」
1コリント 10:23「すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。」
後ほど、キリストの体に対する責任と約束・誓約について考えたいと思いますが、今日はまず自由について考えましょう。

さて、「義務」について聖書には何が書いてありますか?
実は、信仰の生活には、一つの義務しかありません!

その言葉を見てみましょう。
ローマ 13:8「だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。」
この「借り」の言葉は、「義務」または「責任」の意味があります。
「互いに愛し合うこと」は私たちキリストにある者の唯一の義務です。
また、本当の愛を経験するために、愛を与えるためには、自由意志が必要です。

また、ローマ8章の中、パウロは、罪の性質によって歩むことではなく、聖霊によって歩むことについて話します。
英語の聖書からの意訳ですが:
ローマ 8:12「私たちは、借りがあるけど、それは肉(罪の性質)に従って歩む借りではありません。」
罪の性質によって生きるのではなく、聖霊によって歩む責任、義務があります。

実は、この二つの言葉は一緒です。
互いに愛し合うことは、聖霊によって以外にはできないことです。イエシュアの愛が聖霊によって既に私たちの中に存在しています。
その愛を感謝すること、その愛に浸ることが信仰生活の土台です。

聖霊によって生きる人は、まずその愛に留まり、その愛によって互いに愛し合うことができるようになります。

あなたと私にある聖霊様は、互いに愛したいと願っておられます。
聖霊にあって、愛し合うことは、ごく自然です。天のお父さんの性質は、愛です。
愛し合うことは、当然です。
私たちが人を愛さないときは、聖霊らしくない性質を抱いています。不自然です。
居心地が悪くなります。

聖霊にあって、私たちの唯一の義務は、愛し合うことです!

では、具体的にこの唯一の義務を果たす信仰生活はどのように見えますか?

少しびっくりすることも言いますが、皆さんが自分で、祈りながら、聖書を読んでこの言葉を吟味してください。

まず、私たちには祈る、聖書を読む、断食する義務はありません。
あなたは、キリストの中に置かれ、キリストに属しています。今から死ぬまで、祈らず、聖書を読まず、断食もしなくても、あなたを、キリストから引き離はなすものはありません。

あなたの祈り、聖書を読むこと、断食を通して、更に神様に近づくことはできません。
神様は、常に、あなたのすぐ側におられます。
また、この様なことをしないからといって、神様から離れることもできません。
神様の愛は、私達の行いによって左右されたりはしません。

信仰生活は、本当に結婚みたいですね。
実は、人間の結婚は神様との結合の「この世での現れ」です。

結婚しているからといって、素晴らしい夫婦関係があるとは、ぜったい限りません!
例えば、結婚して、同じ家に住んでも、別々の生活をして、ほとんど会話をしないまま、一緒に時間を過ごさないままであれば、互いに知り合うことはできません。二人の関係を楽しむことはできません。成長することもできません。
しかし、結婚の誓約はまだなり立っています!

結婚生活の中で、毎日更に「楽しむ」、更に関係を深めるよう招待されているのです。
その招待に応答するかどうかは、私たち次第です。
しかし、その招待を無視して、ただ結婚している事実だけで満足するなら、結婚の素晴らしさを本当の意味で体験する事は出来ません。結婚している事実は変わりませんが、結婚の祝福をもらいそびれてしまいます。

神様との信仰生活も似ています。

私たちは、キリストにあって、神様と不思議に結びつけられました。
花婿のキリストは、花嫁の私たちを常にこの結婚関係をもっと理解し、深く経験すること、そして楽しむように招いておられます。

その招待を受ける義務はありません!これは招待です。

では、私たちはどうして祈ったり、聖書を読んだり、断食したりしますか?
その神様との不思議な結婚・結合をもっと理解すること、経験すること、また楽しむためにするのです。

神様は、私たちが義務を通して祈ること、聖書を読むこと、断食をすることを望んではおられません!
キリストにあって、神様との不思議な結合を更に強めようと努力する行動は、自分の行動に焦点がいってしまい、宗教の霊にしばられてしまいます。

人間の結婚と同じように、神様との不思議な結合は、事実です。キリストにあって十字架で成し遂げられて、すでに成立したことです。

祈り、神様との会話、神様の声に毎日耳を傾けて、一日中神様とのおしゃべりの中で、更に理解すること、経験すること、楽しむことはできます。
聖書の言葉を読んで、思いを留め、歌って、暗唱する事、宣言することを通して、生きている言葉キリストと交わること、また更に理解すること、経験すること、楽しむことはできます。
断食することによって、自分の体の要求を横に置いて、頭もすっきりとして、物理的な世界が邪魔しないようにして、神様との交わりを経験し、神様の御心と自分の心を合わせる特別の時間を持つのは素晴らしいことです。

でも、祈りや、聖書の朗読、断食を、更に神様に近づく手段として、更に愛してもらうためにするのではありません。

結婚している夫婦のように、夫婦関係をほっといたからといって、夫婦関係が解消されることはありません。
しかし、毎日の決断の中で、夫婦関係の素晴らしさを更に理解すること、経験すること、もっともっと楽しむことはできます!

皆さんの上に、祈りたいと思います。
人間が作った、義務観から解放されますように。
神様との不思議な結合の中で、あなたは、どれほど自由であるかを知る事が出来ますように。
既にキリストに結びつけられ、天のところに座っていることを、もっと理解すること、経験すること、また毎日楽しむことができますように。
祈る義務ではなく、聖書を読む義務ではなく、断食する義務ではなく、
聖霊様の導きによって、神様との会話の中に、もっともっと祈ること、聖書を読むこと、御声を聞くこと、また断食することを楽しむことができますように。
キリストにある自由、喜びを奪って、宗教の霊の束縛を背負わせようとするサタンの戦略を断ち切ります!
キリストにある自由と喜びがあふれますように!

次回は、
続けて、私たちの唯一の義務、互いに愛し合うことは、教会生活、他のクリスチャンとの交わり、また未信者との交わりの中で、どのように見えるか、少し見てみましょう。

2015年5月のニュース May 2015 News

神戸ホームカミング、最高でした!
5月3日〜6日:神戸ホームカミングでした。30ヶ国以上の人々が私達の大好きな神戸市に集まり、日本の解放と救いのために祈りました。感動しました!
将来は、こういうギャザリングを関西、関東、また日本中の各地でできることを心に描きました。
多くの国籍、人種の人々がイエス様の御名によって集まり、独特のスタイルで賛美と祈りをしました。今から「日本の音」も全世界に広がり、響くように!
後日に感想を分かち合いたいと思います。


2015年5月8日(金) ハーベストトレーニング 
6:00pm 晩ご飯と交わりの時間を持ちますので、時間のある方はご自由にお弁当を持参して、一緒に交わりましょう。 
7:00pm 賛美セレブレーション、分科会
9:30pm 解散 

子供のプログラム:子供の部屋を用意していますが、プログラムはありません。また、小さいお子様の託児はありません。

場所:西宮市 勤労会館:第2会議室(3階) 

アクセス:大阪から阪神西宮駅やJR西ノ宮駅までは15分です。阪神西宮駅から東に徒歩 7分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 7、 地図は、このリンクにどうぞ。 
駐車場はありますが、満車の場合が多いので、西宮市役所の駐車場、または近くにあるタイムズなどをご利用ください。

セミナーは、登録不要です。諸経費のために献金を集めさせていただきます。 

詳しいお問合せ: mail@onfire.jp

トレーニングセンターのビジョン!
ビックリしました!
私達の教会(ONFIRE JAPANの母体である西宮ハウスチャーチネットワーク)は、ここ10年以上、人の家やコーヒーショップなどで集まることを強調してきましたので、建物を購入することは全然想定外の事でした。でもそれは、先月までの話し。
先月のリーダー会で、突然「今が時だ!」と主に強く語られました。ただ、それは教会堂として使うのではなく、トレーニングセンター/使徒的センター/リソースセンター/祈りと賛美の部屋/癒しの部屋などのための場所となります。
今、ここ西宮市夙川の周辺に大きな家を購入する事を検討しています。
主の導きと備えの中に歩めるように、ぜひ祈ってください!
詳しい話しはここにあります:
http://onfire-events.blogspot.jp/2015/05/training-center-vision.html

働き手、募集!
日本の大収穫に向けて、特別のスキルのある働き手を募集しています。
・iPhone/スマホのアプリの作成が出来る人
・バイリンガルコミュニケーションの出来る方(英語/日本語):メール、ブログ、ビデオ編集、弟子作りの資料の作成のため
興味のある方は、ご連絡ください!
________________________________________

May 2015 News 

Kobe Homecoming Gathering was Amazing!
2015 Kobe Homecoming Japan Gathering was held this past week.
It was an amazing time of worship, prayer, fellowship --- extremely humbling seeing 4000 people from over 30 nations come to the city we love to pray for Japan.
We envisage seeing huge gatherings of celebration and worship spread around the cities of Japan; raising up the “sound of Japan” to call the Japanese into their own special identity in Christ and go out in power to bless the nations of the world.
We’ll send out a longer report soon.

Training Centre Vision!
We were surprised last month when our church community (Nishinomiya House Church Network - the church community behind Onfire Japan) leaders came together for prayer and felt God speak clearly about starting a Training Centre/ Apostolic Centre here in Nishinomiya.
After more than 10 years as a house church we have never really thought about buildings; until now.
Check the photo above and read more on the history and vision here:
http://onfire-events.blogspot.jp/2015/05/training-center-vision.html

Friday May 8th, Harvest Training Seminar 
6:00pm BYO Obento dinner and fellowship together
7:00pm Worship Celebration, Workshops
9:30pm End

Kids' Program: A room will be provided for kids but there will be no kids' program or child-care service.

Location: Nishinomiya City Workers' Building (Nishinomiya Kinro Kaikan), 3F conference room #2, 2-37 Matsubara-cho, Nishinomiya
Access by car: Car park available, but if it is full then please use the Nishinomiya City Hall parking lot;
Access by train: 7 minutes walk east from Hanshin Nishinomiya Station 7 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya

For more information: mail@onfire.jp

Workers for the Harvest in Japan!
As we get closer to the great harvest that God is preparing for Japan, we’re looking for those to partner with us to develop resources and materials for discipleship. Specifically we’re looking for:
• iPhone and Android app developers
• Translators (Eng & Japanese) for bilingual communications and the creation of discipleship content.
Please let us know if you’re interested!

「神様の怒りを理解するために」


神様の怒りについて少し考えましょう。
神様の怒りは、本当に勘違いされていると思います。
まず、私たち人間は、神様のイメージによって造られたのに、いつも神様を自分のイメージによって作り直そうとしています。

この場合、私たち人間、特に人間のお父さんは、怒りっぽい、いつも怒っているイメージがあります。
いつ怒るかわからないし、多くの子供は、毎日不安を感じながら生きています。
「地震、雷、火事、親父」

ああ、もしかしたら、天のお父さんも私の人間のお父さんと同じように、いつも私のことを怒っている、いつも不満を言っているじゃないか、と思うクリスチャンも少なくはないですね。

いや、私たちの本来の父親は、神様です。人間ではありません。
ですので、私たちの父親のイメージを天のお父さんによって、心の一新によって、変えなければならないのです。再定義が必要です。

神様の怒りは何でしょうか?
まず、理解していただきたいことは、神様の怒りは、神様の愛の一面です。

「神は愛です。」1ヨハネ 4:16
神様のご性質を分けて、分析することはできません。
全能の神様は、完全な愛なのです。全ては、その愛を通して理解しなければならないのです。
主の恐れ、神様の裁き、神様の怒り、全て神様の愛の視野から見なければならないのです。

放蕩息子の話はその一例です。
お父さんが息子に遺産を分けて、自分勝手な道に行かたのは、神様の愛と同時に神様の怒りの表れです。どうして?
息子は、自分の罪の結果を自然に受けたからです。神様は、がその報いを受け取ることを許しました。

「どうぞ、ご自由に。出て行ってください。遊んでみてください。あなたは自由ですよ。」
           
この話の中で、息子のお金がなくなって、飢饉が起こり、飢たのは、罪の結果によるものですね。

ここで、罪の意味も、再定義の必要があると思います。
ギリシア語の「罪」と訳されている言葉は、「目的を外れた」、「的外れ」という意味です。
つまり、神様の完全な計画、本来神様が定められた目的を私たちが達成できず、目的から外れてしまったということです。

この有名な聖書の箇所、ローマ 3:23-24をこのように読みましょう:
「すべての人は、神の完全な目的から外れたので、神からの素晴らしい当然な報い、神の栄光を受けることができなかった。」(著者の意訳)

旧約聖書の律法も、神様の素晴らしさを表すこの完全な目的の表れの一つですね。
罪を犯す楽しみは、すぐなくなります。また、目的から外れた生活によって、心が空しくなります。さらに、それを紛(まぎ)らわせるために、いろいろなことをやってみます。
罪を犯すものは、罪の奴隷となります。
罪の結果は当然、死です。

では、神様の怒りとは何でしょうか?

有名なローマ1章の箇所を部分的に見てみましょう。
また、時間がある時、全部読んでみてください。

ローマ 1:18「不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。」
19 「神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。」
20「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」
21「それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。」

彼らは、目で見えない神様ではなく、偶像を作り、偶像を礼拝するようになりました。

24「それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され(ました。)

また、性的に神様のご計画を捨てました。

26「こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。
27「こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。
28 また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

まとめて言いますと、
神様の怒りはどのように啓示されていますか?何に見えますか?
人は、その心の欲望、恥ずべき情欲、そして良くない思いに引き渡されることです。

放蕩息子、そのままです。愛溢れるお父さんは、息子を止めないで、どうぞ、自分の思う通りにしてください。と言って、を手放します。

罪には当然の報いがあります。体にも、思いにも、心にも、報いがあります。

しかし、私たちは、いつでも神様に立ち返ることはできます。本来の「悔い改め」の意味ですね。
立ち返って、神様は、全ての罪の結果から私たちを聖めて、本来の目的の只中に置いてくださいます。

この意味で、神様の怒りは、私たちを聖めるものです。

私たちを裁いて、切り捨てるような怒りではなく、私たちが父なる神様の身元に戻られるようにできるお誘いです。

このように見ると、パウロの不思議な言葉がわかります。
  
パウロがある二人について酷い言葉を言います:
1テモテ 1:20 「私は、彼らをサタンに引き渡しました。それは、神をけがしてはならないことを、彼らに学ばせるためです。」
どういうことですか?パウロは、この二人が地獄に行くように祈っていますか?
まさか!
パウロは、彼らは、罪の当然の報いを経験して、神様に立ち返るように、望んでいます。

神様の怒りは、神様の愛の一面です。

今日、二つのおすすめがあります:

まず、ぜったいに人を裁かないことです!
あなたの目では、どれほど酷いことをしていると見えたとしても、その人は、すでに自分の罪に対する当然の報いを受けています。

放蕩息子のように、その報いを受けている中で、目覚めて、お父さんに立ち返るように祈って下さい。

次は、自分の心を探ってください。
放蕩息子のように、お金がなくなって、飢ているなら、いつでも天のお父さんの家に戻ってもいいですよ!
神様の目的から外れた生活をすると、不安、恐れ、悩み、鬱、妬み、恨み、憎しみなどが溢れます。その全ては、死に至るものです。

しかし、主の家には、平安、愛、希望、喜びがあります。
パーティーがあります!
いつでも歓迎されるパーティーです!

今でも、心から祈ってみてください。
「天のお父さん、あなたの家に戻りたい。戻る道を教えてください。」

祈りながら、天のお父さんがあなたのところに走ってきて、受け入れてくださることを覚えてください。

「サタンの作戦を知ること」

 

サタンに注目はしませんが、その作戦を知ることは勝利への道です。
アダムとエバの誘惑、そしてイエス様の誘惑を見ると、私たちのための大きな鍵がわかります。
We do not focus on the devil but we need to know his strategies! That is a key to daily living in victory.

Looking at the temptation of Adam and Eve, and the temptation of Jesus we can see a huge key to victory in Christ.

2015年4月のニュース April 2015 News

[English Below]

2015年4月10日(金) ハーベストトレーニング 

6:00pm 晩ご飯と交わりの時間を持ちますので、時間のある方はご自由にお弁当を持参して、一緒に交わりましょう。 
7:00pm 賛美セレブレーション、分科会
9:30pm 解散 

子供のプログラム:子供の部屋を用意していますが、プログラムはありません。また、小さいお子様の託児はありません。

場所:西宮市 勤労会館:第8会議室(4階) 

アクセス:大阪から阪神西宮駅やJR西ノ宮駅までは15分です。阪神西宮駅から東に徒歩 7分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 7、 地図は、このリンクにどうぞ。 
駐車場はありますが、満車の場合が多いので、西宮市役所の駐車場、または近くにあるタイムズなどをご利用ください。

セミナーは、登録不要です。諸経費のために献金を集めさせていただきます。 

詳しいお問合せ: mail@onfire.jp

新刊情報!
「ハッピー・インターセッサー」と
「40日の個人的な旅路 日々のデボーション」
(「天が地に侵入するとき」の40日間スタディガイド)が出来上がりました!
(日本国内送料が実費:クロネコヤマトメール便、160円か、ONFIRE JAPAN の書籍と一緒に注文すると、送料無料です。国際送料は、印刷物で、かなり安いと思います。興味があったら、連絡してください。)

励ましのビデオ、励ましの記事:
最近、「神学のリフレッシュ」のビデオシリーズの続きと特別のメッセージも紹介します。
「あなたの信仰ではないよ!」

Friday April 10th, Harvest Training Seminar 

6:00pm BYO Obento dinner and fellowship together
7:00pm Worship Celebration, Workshops
9:30pm End

Kids' Program: A room will be provided for kids but there will be no kids' program or child-care service.

Location: Nishinomiya City Workers' Building (Nishinomiya Kinro Kaikan), 4F conference room #8, 2-37 Matsubara-cho, Nishinomiya
Access by car: Car park available, but if it is full then please use the Nishinomiya City Hall parking lot;
Access by train: 7 minutes walk east from Hanshin Nishinomiya Station 7 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya

For more information: mail@onfire.jp

Encouragement Videos and Articles We continue the series of short teaching videos and blog posts on the theme “Theology Refresher”; the response has been great.
Check out our YouTube channel here and the articles in Japanese on the Onfire homepage.

If you’re not Japanese but praying for Japan and the Japanese believers, please pray for a revelation and shift in core values in the church as God reveals His life-giving love to the church and prepares Japan for harvest! Thank-you that you’re partnering with us for a harvest in this great nation.


Two new Bethel Church publications available in Japanese: Happy Intercessor - Beni Johnson
Heaven Invades Earth 40 Day Devotional - Bill Johnson

Both available from Onfire Japan. Free shipping in Japan if ordered with an Onfire Japan title.
If you're overseas we can ship for cost. Pretty cheap rates I think for Printed Matter/Small Package. Contact us if interested.
Order form
Thanks to Malkosh Publications for making these!

「あなたの信仰ではないよ!」

 

前回は、「神様のために働かないで!」のテーマで、「神の業」と「私たちの業」、つまり神様の働きと私たちの働きについて少し話しました。

全てのクリスチャンは、基本的にこの話に賛成しています。
そうです。救いは私たちの働きとは関係なく、キリストが無償で与えてくださったものだと信じています。

この恵みのメッセージの象徴的な御言葉は、エペソ 2:8です。
エペソ 2:8 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」

いいですね!
私たちの「働き」は、信じることだけです。

しかし、ここでは、自分の「信仰」を強調するクリスチャン、特に私たちペンテコステ系、カリスマ系のクリスチャンは、時々信仰を自分の働きとしてしまいます。

信仰の薄い者だ、と信じる人、自分の信仰が足りているのか、足りていないか、といつも心配しているクリスチャン、特に聞いてください。

結局、信仰は、あなたから出るものではありません!
キリストからの贈り物です。

よく聞いたことのある「からし種」の話を、新しい角度から見てみましょう。
弟子たちは、どうしてある子供から悪霊を追い出すことができなかったのかをイエス様に尋ねます。

マタイ 17:20 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。」
(ルカ 17:5-6には、似た話があります。)

今までこの話を聞いたら、自分の信仰が足りるか足りないことに注目していませんでしたか?
「ああ、私も、信仰が薄い者だ!だって、からし種ほどの信仰があったら、山を動かす力があるはずです!でも、わたしはそれができない。やっぱり、私も信仰が薄い、信仰が足りない者だ。」
しかし、これはイエス様が十字架に行く前の話です。また、聖霊様が私たち皆に与えられる前の話です。
イエス様が言おうとしていることは、違うかもしれません。
もしかしたら、イエス様が言われたのは、
「あなたの信仰は、関係ないです!からし種ほどの信仰さえあれば、山を動かせるよ!でも、あなたがたは、そんな小さい信仰でもないよ。
しかし、大丈夫。私の信仰をあなた方にあげますから!自分の足りるか足りない信仰を頼らないで、私の信仰に頼りなさい。」

もし皆さんが自分の救いのために、キリスト以外の働きを頼るなら、例えば自分に頼れば、あなたは、神様ではなく、自分の信仰に頼っているのです。

「ああ、僕は信仰がある。大丈夫です!」と満足する人でも、あるいは、
「ああ、やばい!僕の信仰が足りない。ダメだ!」と心配する人。
どちらも、自分が中心です。自分の働き、この場合は、自分の信仰に目を留めています。

信仰は、キリストからの贈り物です。私たちの働きではありません。

このことで、あるクリスチャンは、傷ついています。
以前、「あなたの信仰が足りない!あなたの信仰は薄い!」と人に裁かれた人が沢山います。
または、祈りが叶わなかった時に、自分を責めて、信仰が足りないという嘘を信じてしまった人も沢山います。

あなたの信仰が足りないのは、当然です!でも、大丈夫です。信仰が足りない、信仰の薄いあなたは、イエス様と共に十字かで死んで、甦り、今イエス様の中に置かれ、イエス様の信仰があなたの中にあります。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。」

この信仰はどういう意味ですか?
自分で信仰を奮い立たせるのではなく、子供のように委ねることですね。

信頼すること。
不信仰を手放すことです。
子供のようになって、素直に神様の言葉に応答すること。
「はい、そうです!」と素直に返事すること。

マリヤが言ったように、
ルカ 1:38 「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」
信仰は、イエス様の信仰です。イエス様から頂いたものです。
聖霊様によって、既にあなたの中に宿っています。

信仰は、「頑張る」姿勢ではなく、「休む」姿勢です。

ヘブル 10:39「私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」
信仰の旅は、信頼すること、委ねること、不信仰を手放すこと。

もし、あなたが「自分の信仰は足りない」、「自分の信仰は薄い」という嘘を信じていたならば、今こそイエス様にその嘘を委ねましょう。
また、イエス様の完全な信仰の贈り物を感謝して、頂きましょう。

新刊情報!「ハッピー・インターセッサー」、「天が地に侵入するとき」の40日間スタディガイド

ベテル教会の著者の新しい2冊の日本語版が出来上がりました!

_____________________________
「ハッピー・インターセッサー」
_____________________________
とりなしの祈り手の使命
ベニー・ジョンソン

とりなしの祈りを捧げる祈り手たちの多くが、重荷を自分で負い過ぎるために、霊的な攻撃に悩んだり、精神的に弱くなったりすることがあります。ベニー・ジョンソンはベテル教会の働きを支える祈りのチームを率いながら、鬱に沈みがちな祈り手ではなく、いつもハッピーで喜びと力に満ち溢れる祈りの軍隊を育て、動員することに成功してきました。それは著者自身の神さまとの親密な関係の中から培われたものです。祈りに対する概念を一新させられ、力あるとりなしの秘訣を教えてくれる一冊です。

1,800円(税込1,944円)、254頁
ONFIRE JAPANから注文
ONFIRE JAPAN から注文すると、送料が実費:クロネコヤマトメール便、160円
ONFIRE JAPAN の書籍と一緒に注文すると、送料無料です。

_________________________________________
「40日の個人的な旅路 日々のデボーション」
_________________________________________
天が地に侵入する時 軌跡の人生への実践ガイド
ビル・ジョンソン

私達の大好きな「天が地に侵入するとき」の40日間スタディガイドです!
本を読むだけではなく、実践しましょう。
個人でも、小グループででも、使ってみて下さい。

1,500円(税込1,620円)、168頁
ONFIRE JAPANから注文
ONFIRE JAPAN から注文すると、送料が実費:クロネコヤマトメール便、80円
ONFIRE JAPAN の書籍と一緒に注文すると、送料無料です。

________________________________________
マルコーシュパブリケーションの皆さん、ありがとうございました!

「神様のために働かないで!」


今日からしばらく「神の業」と「私たちの業」とその違いについて、数回に分けて話したいと思います。

昔から、人間は、目で見えない神様の御心を知りたかったのです。
祈りの中で、断食、自分を卑しくするまで、人は、神様の祝福を得るために、「神様、何をしなければいけませんか!?」と叫び求めました。

今でも、あらゆる宗教が、キリスト教の中でも多くのクリスチャンが、この質問と葛藤しています。
「神様!私に何をして欲しいですか?!」
この質問の裏には、宗教の霊があります。つまり、神様中心の信仰ではなく、自分の行動を中心にする信仰です。
「神様!あなたのために、私は何をすればいいですか?」
私の祈り、私の聖書の勉強、私の信仰、私の理解力、私の献金、私の働き、私の奉仕、私の伝道、私の努力
私が中心です。
私、私、私。。。

イエス様が来られた当時のユダヤ教の人々はこういう宗教の掟によって、パリサイ人と宗教学者にコントロールされて、疲れ切っていました。
こうしなければ神様は喜ばないよ!あのようにしなければと神様に怒られるよ。そうしなければ神様の祝福はないよ。
キリスト教にも、こういう考えがこっそりと入ってきました。今でも、私たちクリスチャンは皆、このように考えるよう誘惑されています。
人中心の信仰。人間の努力中心の歩み。
クリスチャン生活には、努力はいらない、働きは無用、とは言っていませんよ。
ただ、その土台、その基礎を裏付ける理由が全然違います。

イエス様の話を少し見てみましょう。
ヨハネ6章、イエス様は大勢の人を食べさせました。その夜、イエス様は一人になるために、少し山に退かれました。次の日、群衆はイエス様を見つけました。

ヨハネ 6:25 彼らはイエスに言った。「先生。いつここにおいでになりましたか。」26 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」28 すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」29 イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」

この物語の解釈はいろいろありますが、今日はこのように考えましょう。

パンの話は、神の業の話と並行しています。
主の祈りの中でも、「日々の糧」は、ただ生きるためのニーズが満たされる意味ではなく、今日のために用意されている神の業、神の御心のことですね。
ヨハネ 4章の中、イエス様は、「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。」と言われました。食物、パン、日々の糧は、神の御心を行うこと、神のわざです。

ユダヤ人の群衆は、イエス様と弟子たちが配った食物を食べて満腹しました。満足しました。
肉体的に彼らは、「ああ満腹だ!ごちそうさまでした!」と言いましたが、彼らは霊的にも、「あああ、神様の業を果たせた!心に平安がある!」と実感できたと思います。

イエス様が他の宗教者と全然違ったので、彼らはイエス様を一生懸命探してきました。
イエス様は、パンを食べることと、永遠の食物、つまり神の御心を行うことを関連づけてくださいました。なくなる食物のためではなく、永遠に至る食物のために働きなさい、と言われました。
しかし、見てください。
イエス様は、神様のための働きは、イエス様から与えられることだと言われます。自分で働いていただく報酬ではなく、無償でもらえるものです。
その意味を強調するために、この人の子は、神様に認められていますよと言われます。

しかし、ユダヤ人たちは、これほど簡単なことでもいいのだろうか、これだけでいいのか、と確認するために、イエス様に訪ねます。

「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」
私も、皆も一緒ですね!神様、あなたのわざを行うために、どうすればいいですか?と確認のために聞きたいですね。

イエス様は、この一言で、囚われているユダヤ人たちを自由にしました。

「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」
イエス様を信じること、それこそ神のわざです!
信じることによって、あなたは満腹になれます。
覚えてください。
このユダヤ人は、いつも神様を喜ばせているか、怒らせているか、本当に心配しています。

その恐れによって、宗教学者は、彼らをコントロールしてきました。
いつも自分の働きが足りないと注目しているなら、ユダヤ人は、パリサイ人、宗教学者の話を聞いて、彼らに名誉を与えて、もっと献金して、もっと生け贄などを買ったりしていくでしょう。

今でも、どんな宗教でも、新興宗教も、この恐れによって人をコントロールします。
残念ながら、キリスト教の教会の中にも、このようなマインドコントロールがあります。
あなたの努力が足りない!
祈りが足りない。聖書の知識が足りない。献金が足りない。
信仰が足りない。
神様に受け入れられるように、もっと頑張りなさい!
この恐れは、本当の神様からのものではありません。
主の声には、愛と平安があります。その愛によって導かれます。愛は、その「足りない」と思わせる恐れを閉め出します。
1ヨハネ 4:18「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」
キリストにあって刑罰はもはやないのです。ありません。

皆さんもどうですか?
いつも自分の足りないことに注目していませんか?
いつも自分の働きに目を留めていませんか?
もしかしたら、嘘を信じているかもしれません。

多くの場合、ただイエス様の愛の啓示と真理が足りていないだけですね。
自分が足りないとの思いから解放されるように祈ります!

自分の働き、自分の努力から目を離して、イエス様に目を留めて、イエス様の十字架の働きに目を留めましょう。
自分の足りないことではなく、イエス様の常に満ち足りている恵みに目を留めましょう。

一つ勧めることがあります:
一日でも、一週間でも、一ヶ月でも、神様にお願いすることをしばらくやめてみませんか?
イエス様が既にしてくださったことだけを思い起こして、感謝してみてはどうでしょうか?
特に、自分自身について悩んでいる人にお勧めします。やってみてください。びっくりすると思います。

イエス様の愛の啓示と真理が溢れる一週間を迎えてください!