「実現可能な夢」グラハム・クック Dream the Possible Dream - Graham Cooke

私たちは今新年を迎えようとしておりますが、それは新しい12ヶ月間への私たちの夢をもう一度考えてみる良い機会です。その際、幾つかの事を心に留めようではありませんか。
この世は、出来る限りすべてのもの、すべての事に、制限や限界を設けることを大変好みます。
私たちは「この夢はどうせ実現しないだろう」と自分に言い聞かせるように馴らされています。それはコンピューターのデフォルト設定(あらかじめ組み込まれた設定)のようなものです。私たちは小さい時から、「うまく行かない事もある」、「実現しないこともある」、「絶対不可能なこともある」、と言い聞かされてきました。周りの人達から限界を押しつけられました。その人達も周りの人達からそうされてきたのです。そしてそれらの限界は自分自身の考えだとして受け入れるように馴らされてしまっています。
自分で選んだスピード制限ほど自分に一番適した制限はありません。そしてそのような制限するというような否定的な思いは伝染するので、周りの人々の中にある同じような否定的な思いを増幅させてしまいます。それは、自分も同じような影響を他の人から受けてきたようにです。
この世で「それは現実的で、リアリスティックな線だ」と言うとき、実際はもっと可能性があっても、それに否定的な可能性を付加したり、保守的な考えと云う障害物を置いて(それは現実的ではないという)制限をつけてしまった考えであるのです。「夢の仕事」や「あこがれのライフスタイル」を勝ち取るなどと考えてあらぬ努力をすることは、全く(可能性の)希望はない無理なことと思うべきであり、「もっと幸福な人生」を送ろうと思えばその考えを是正すべきだと考えてしまうのです。しかし、「もっと幸福な」と言う言葉は実のところ、他の人たちが通ってきたと同じ道を歩くことに満足して「高望みとか無理をせず、人並みで平均的な」人生を送るということです。

いずれ人の通る道とはそのようにして作られていきます。幾人かが同じところを踏みながら歩いていくと、それが小道になり、やがて道路となり、そして6車線もの高速道路となります。これが、この世が持つ私たちが辿るべき人生の考え方なのです。
「信じる者にはどんなことで可能である。」と主はいわれました。ここで
「できる、可能である possible」という言葉はすばらしものですが、悲しい事に、実用主義者のふりをした悲観主義者が世界中でそれを否定的に用いてしまっています。原語であるラテン語「possibilis」は、「それは実現可能なこと」という意味で、力、能力、許容能力などを示しています。即ち「達成する、出来うる力」です。
1500年の原語の進化を経て、原語が認識できないほどに変化してしまう言葉もありますが、この言葉に関してはこの言葉に含まれている「希望」という概念が取り去られただけです。現在「可能であるpossible 」という言葉は、あきらめや疑いという意味合いを持って用いられます。大抵は「それはやっぱり無理だった。It just wasn’t possible.」とか「本当にそんなこと出来るの? Is it really possible?」のように否定的に使われるのです。そして「それは絶対不可能だ。That’s impossible.」という決定的な台詞があり、私たちはそれを何に関しても、誰に対しても発するのです。
私たちはそのように馴らされているのですが、それは大変悲しいことです。というのは、「それは可能である」と宣言する元々の本当の意味は、「それは出来る」と宣言することだからです。何かが可能であると決断すると、私たちは力を受けます。「はい、出来ます!」と私たちが言うとき、私たちがどのような人間かを表します。それは霊を高揚させます。自分の霊だけではなく、周りの人の霊もです。誰かがあなたに向かって「はい、出来ます!」と言ったとき、あなたは自然に笑みをうかべて「すばらしい!」と言うでしょう。
それはとてもよいことであり、私たちを力づけ、周りの人たちをも喜ばせることです。しかしそれ以上に、あなたが今まで出来ないと思っていたことを「やっぱり出来る!」と決断したとき程あなたに力を与えることは他に何も、絶対に何も、ありません。世界で一番すばらしい気持になることの一つです。子どもの頃から馴らされていた否定的な考えのスイッチを切り、不可能なことを可能であると宣言するのです。
神はこのことをずっと私たちに告げておられます。
ルカ1:37
「神にとって不可能なことは一つもありません。」
ピリピ4:13
「私は私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」
マタイ17:20
「まことにあなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ.』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。」
しかし、キリストが最も決定的にそれを語っておられるのはマルコ10章です。信心深い富んだ若者がイエスのもとに来て永遠のいのちを得るためには何をせねばならないかと訊ねました。イエスは彼はすべてを正しく行っているが、今はすべての地上の持ち物を人に与えてイエスに従うようにと言われました。勿論若者は貧しい生活や、すべてを与えるということは考えられなかったので、悲しみながら、豊かなままで去って行きました。イエスは弟子たちに「裕福な者が神の国にはいることは、何と難しいことでしょう。」と言われて、弟子たちを又もや仰天させたのです。

当時主流だった教えは、「人生で富を蓄えるのは神から祝福されているしるしだ」というものだったからです。ですから富んだ者は貧しい者よりも天国に入る可能性が高いということです。(今でも多くの金持ちが貧乏人にこの考え方を押しつけています。)しかしキリストはそれとは違うことを話されました。即ち、自分の功績で天国に入る権利を勝ち取ることはできないと説明したのです。御国に入る道をお金で買うことはできないのです。
弟子たちが「それでは誰が救われることができるのですか?」と聞いたとき、イエスは「それは人にはできないことですが、神は、そうではありません。どんなことでも、神にはできるのです。」と言われました。

可能性の力はキリストによる神からの贈りものです。

神は私たちをキリストの内に入れて、私たちが恵みの中で生きることができるようにしてくださいました。そこはすばらしい恩恵を伴った場所であり、そこにおいてはすべてに手が届き、すべてを達成することが出来るのです。
すべて可能なのです。神が何かを約束してくださるとき、私たちは理論から想像の領域へと解き放たれます。その場所で私たちはただ座って「できるだろうか」「本当に達成できる確立はどのくらいだろうか」「今まで何人が試して失敗してきたのだろうか」などと、くよくよ心配しなくていいのです。そこでは「できるだろうか?」と聞くことはもう出来ないのです。

そのかわりに、私たちは「出来ます!」と言うべきです。私たちは問題を越えてその先にある約束の成就を見つめます。なぜならば、天の父からの約束は結果が保証されていて、私たちを自由と実現に向かって歩く力を与えてくれるからです。神が私たちの「不可能さ」の状態をこよなく愛される理由はそこにあります。神は私たちが行き詰まった時や絶望した時に、介入して私たちに約束をくださることが本当にうれしくてたまらないのです。私たちを不信仰に陥らせようとするような厳しい状況の中で、主はご自分の臨在を告げられるのです。それまでは考えられなかったことが想像できるまでになった時に私たちが感じる喜びを、御父はその千倍ほども感じられるのです。
ペンテコステの日に、神は聖霊の傾注により、人々が預言や幻や夢を通して神の御国に入ることを可能にされました。それは歴史上大きな変化の時でした。御子の誕生によって始められた新しい契約の締めくくりの出来事であり、キリストの内にある新しいリアリティーが現されたのです。
それはペテロがその日示したように、数世紀前に預言者ヨエルにされた約束の成就でした。ヨエル2:28-30
「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。わたしは天と地に、不思議なしるしを現わす。」
教会が誕生した時に与えられた預言の賜物や、幻や夢は(それと同じ賜物によって私たちも肉なるものを通り越して超自然へと到達することができるのですが)それ自体が約束の成就だったのです。

心を尽くして主に信頼し、自分の不完全な悟りに頼らないという信仰の原則を、私たちは預言によって生きることができます。あなたのいのちの中の御霊からの約束や預言は、神があなたに何をしてくださるかを語るでしょう。それらの言葉はあなたの人生の可能性を次の領域へと引きあげ、神の臨在を力強く感じるために必要な力を持っています。

神の約束とその約束に含まれている保証された結果にあなたの焦点を当ててください。そしてそこから大いなる力を得てください。不可能なものはないのです。2016年は、あなたの実現可能な夢を夢見てください。

(終り)

日本語訳の記事:http://www.banministries.org/?p=2718

12月25日(金)クリスマスセレブレーション December 25th Christmas Celebration

毎週金曜日集まり、主の臨在を楽しみながら、賛美し、踊り、御言葉の宣言をしたりしています。今週は特別に「クリスマスセレブレーション」を持ちます。いつもと少し違って、6:30pm から持ち寄り食事をしてからイエス様の誕生を祝いましょう!

場所:
勤労会館:第8会議室(4階)

日にち、時間
2015年12月25日(金)
6:00pm 準備
6:30pm 持ち寄り食事;一品料理を持ってきてください。
8:00pm クリスマスセレブレーション
9:30pm 解散

アクセス:
場所は、毎週変わる可能性がありますので、上記のスケジュールを確認してください。



勤労会館:阪神西宮駅から東に徒歩 7分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 7

駐車場はありますが、満車の場合が多いので、西宮市役所の駐車場、または近くにあるタイムズなどをご利用ください。

子供のプログラム:時々子供の部屋を用意していますが、子供も一緒に賛美しても全然構いません。(子供のプログラムも、小さいお子様の託児もありません。)

今後の集会のスケジュール:場所が毎回変わりますので、このページをご覧下さい。
2016年1月1日(金)休み
2016年1月8日(金)休み(東京、ビルジョンソンの集会:http://www.tokyo-revival.jp/
2016年1月15日(金)勤労会館:第8会議室(4階)
2016年1月22日(金)市民会館アミティホール:大会議室101(1階)
2016年1月29日(金)勤労会館:第8会議室(4階)

諸経費のために献金を集めさせていただきます。 

詳しいお問合せ: mail@onfire.jp
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“Hosting His Presence” Christmas Celebration
We’ve been enjoying God’s presence together each week as we come together to worship, sing, dance and just generally celebrate His love and goodness. 
As a special celebration for Christmas we will have a potluck dinner from 6:30pm and then celebrate the coming of our Lord from 8pm.

Date and Schedule:
Friday, December 25

6:00pm Preparation
6:30pm Pot-luck dinner and fellowship together; bring a dish to share
8:00pm Christmas Celebration
9:30pm End

Location:
Kinro Kaikan - 4F conference room #8

Kinro Kaikan (Nishinomiya City Workers’ Union Building), 2-37 Matsubara-cho, Nishinomiya

Access by car: Car park available, but if it is full then please use the Nishinomiya City Hall parking lot;
Access by train: 7 minutes walk east from Hanshin Nishinomiya Station 7 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya

Kids’ Program: We welcome children to worship with us. Sometimes a separate room will be provided for kids but there will be no kids’ program or child-care service.

Friday, January 1: break
Friday, January 8: break (Bill Johnson in Tokyo : http://www.tokyo-revival.jp/)
Friday, January 15: Kinro Kaikan - 4F conference room #8
Friday, January 22: Shimin Kaikan - 1F meeting room #101
Friday, January 29: Kinro Kaikan - 4F conference room #8

For more information: mail@onfire.jp

「嵐はどこから来たか」ビル・ジョンソン Where is the Storm From? - Bill Johnson

人生の嵐は、奇蹟と同じように、私たちに大きな挑戦を与え成長する機会を与えてくれます。しかし、嵐にも種類があり、どのような嵐の中にいるかによって大きな相違があります。たとえそれがサタンから送られた嵐であっても、私たちを奮起させ、すでに自分が受けている啓示を実践するように私たちを招いてくれます。下記マルコ4:35-41にあるように、それは奇蹟を呼び起こすものとなります。
「さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、『さあ、向こう岸へわたろう。』と言われた。そこで、弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについてきた。すると、激しい突風が起り、舟は波をかぶって、水で一杯になった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。『先生、私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。』イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に『黙れ、静まれ。』と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。『どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。』彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。『風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。』」
 また一方、私たちが間違った方向に進んでいる時に神が送られる嵐もあります。ヨナの場合がそうでした。
「そのとき、主が大風を海に吹きつけたので、海に激しい暴風が起り、船は難破しそうになった。水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船底に降りて行って横になり、ぐっすり寝込んでいた。船長が近づいて彼に言った。『いったいどうしたことか。寝込んだりして。起きて、あなたの神にお願いしなさい。あるいは、神が私たちに心を留めてくださって、私たちは滅びないですむかもしれない。』」ヨナ1:4-6
2つの聖書箇所で2つの異なる種類の嵐について書かれていますが、その目的も又異なっていました。一つは神によって送られたものであり、他方はサタンによるものでした。両方とも船の中で眠っている人がいました。一人は意気消沈して現実逃避のために眠っていましたが、もう一人は「地に存在する天の御国」に生きておられたので安眠していました。なぜなら御国には嵐はないからです。

問題は、あなたがどちらの種類の嵐の中にいるかです。そしてその嵐の中で、あなたは神が望まれるような対応をしているかどうかということです。あなたは今までに経験した奇蹟を通して信仰の訓練や学びが出来、現在直面している問題のために十分整えられているでしょうか。

弟子たちが湖で遭遇した嵐は、彼らを神の御こころから逸れさせようとしてサタンが送ったものでした。ヨナの嵐は神の御こころに引き戻すために神が送ったものでした。ある人たちが遭遇する嵐は、神が右に行かれたのに、彼らが左に行ってしまったからです。神は彼らを引き戻すために憐れみによって嵐を起こされるのです。
又ある人たちは神の御こころの真ん中にいる故に嵐に直面しますが、それは神があなたがすでに受けている方法、道具を用いて嵐を静めるように訓練したいと願っておられるのです。

多くの者は嵐に遭遇するや否や、すぐに神に「この状況を変えてください!
助けてください!」と叫び求めるのが私たちの仕事だと考えてしまいます。しかし、嵐の目的はそこにあるのではありません。もし私たちがただ主に向かって叫ぶだけならば、奇蹟を起す私たちの役割を放棄していることになります。
神は私たちに嵐を静める道具をまず与えることなしに嵐を許されることは決してなさいません。神はその道具を私たちが用いて、奇蹟を招くことを願っておられるのです。過去において、あなたが経験した最も大きな問題や危機的状況を思い出してください。よく考えてみるならば、その問題に対処するために神があなたに与えた道具が何であったのかが必ずわかるはずです。

神が私たちの人生に問題が起るのを許されるのは、私たちがその問題を克服するためであり、いつも神に叫び求めるだけのためではないのです。その道具は舟の中の私たちの手元にあるのですが、サタンは恐れの暴風を起こして、その道具がどこにあるかを私たちに忘れさせようとするのです。

私たちの多くは嵐を見ると、イエスが眠っておられるのを見て弟子たちが叫んだのと同じ祈りをしてしまいます。「私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか?」と。その時イエスは起き上がって彼らの祈りに答えてくださいました。私たちのほとんどは、神が自分の祈りに答えてくださる時に喜びます。私たちの中には、弟子たちはあの嵐の中で正しいことをしたと彼らを称賛する人がいるかもしれません。しかし、イエスは彼らを見て「あなたたちは信仰がないのですか?」と叱責されたのです。弟子たちは「え、何ですって、ちょっと待ってくださいよ。」と思ったかもしれません。「私はあなたのところに来てお願いするだけの信仰があったのですよ!そしてあなたは私が願ったことをしてくださったではありませんかー祈るのが私の仕事で、それをしてくださるのがあなたの仕事だと思っていました!」と云われるかもしれません。

そうではないのです。障害物にむかって「消え去れ!」と命令するのは私たちの責任です。ほとんどの人たちのミニストリーは、嵐に襲われたとき、嵐にむかって「静まれ!」と命令をする代わりに、地上での問題を神に解決してもらおうと祈ればよいと考えてしまいます。私たちは直面している問題や状況を御国の視点で見るべきであり、問題にむかって主の御ことばを宣言することによって天の御国の力が地に及ぶのを見なければならないのです。・・・・

(何度も言いますが)もしあなたの舟の中でイエスが眠っておられるならば、主は、あなたが主を起こし何とかして欲しいと訴えることを待っておられるのではないのです。なぜなら、あなたは神から目的を与えられているからです。あなたがすでに主から与えられている道具を用いて「天の御国の(スーパーナチュラルな)パワーを適用して」あなた自身が奇跡を生み出すことを主は願っておられるのです。・・・

私たちは単に神が凄い奇跡を起こされるのを見て手を叩きアーメンと言うだけでそこを去ってしまうのであれば、私たちは何も学ばず何も変えられません。神は私たちに対して霊的訓練をして下さっているのです。それは、私たちが同じ奇跡を起こせるように期待しておられるからです。ですからそのような奇跡の機会を神が与えて下さる時、私たちはそれを無駄にしてはなりません。(終り)

(師の著書 The Supernatural POWER of a Transformed MIND より)
翻訳:http://www.banministries.org/?p=2709

ビルジョンソン氏の日本集会の情報:

2016年1月7日(木)〜 8日(金)
会場:板橋区立文化会館
〒173-0014 東京都板橋区大山東町51-1 TEL:03-3579-2222

主催:東京福音リバイバル聖会
連絡先:042-495-8041、FAX 042-495-8042
http://www.tokyo-revival.jp/


ブラザー・ローレンスから学ぶもの ー 主の臨在と共に暮らす習慣を身につける Learning from Brother Lawrence

坂 達也 

 昨夜、リック・ジョイナー師のサイトで彼が書いているブラザー・ローレンスの紹介記事を読んで、久し振りに私が最初にブラザー・ローレンスの珠玉のような本に接した頃を思い出しました。ブラザー・ローレンスについて、多くの方は既によくご存知とは思いますが、先ずは、ジョイナー師が書いている彼の略歴をご紹介します。

 「ブラザー・ローレンスは1614年にフランスで生まれました。貧しい環境で育った彼は軍隊に入らざるを得なくなりました。そして戦地でのある冬の寒い日、葉が落ちて裸になった木を見ているうちに、彼は著しい救いの体験をしたのです。彼はその時、葉が落ちて死んでいるような木と同じ状態にある自分を感じながらも、神が彼のために生きる希望を用意しておられるのを感じ始めていました。すると突然、神の誠実さと愛が彼のたましいに洪水のように溢れました。彼はその経験は、どこにでもある自分の目の前の現実に、突如として超自然としか思えないような「明晰な思い」が飛び込んで来た、と言いました。
 戦地で負傷したローレンスは、除隊後にパリにある修道院で働き始めました。教育を受けていない彼は、そこで調理場の下働きという最もありふれた下等の仕事に就きました。そこで彼は、人生で苦難の道を歩まねば神の恵みにはあずかれないという当時の宗教社会の通念に影響され、人生の失敗者である自分は、世の中の下積みの苦労をしなければならないと思い込んでいたからです。
 しかし彼が経験した超自然的な「明晰な啓示」を通して、いつしか彼は、どんなつまらない仕事をしていても、そこに主の栄光を見つけて主をひたすら礼拝することにこそ、主の御国で約束されている最も平安と喜びに満ちた生き方の一つがあることを発見したのです。
 しかし「継続的な神の臨在」を経験するに至る迄には、彼は非常に困難で長期に渡る、徒労で報われない献身の毎日を通らねばなりませんでした。しかしその努力が報われる日が遂にやって来たのです。彼はどのようなつまらない仕事をしていても、それに神聖さを見つけ、神に栄光を返すどんな王よりも楽しい毎日を過ごせるようになりました。
 そのような彼の平安と喜びに満ちた人生の生き様が、多くの人たちを惹き付け始めました。彼の死後(1691)に、彼が書いた多くの書簡からまとめたものをビューフォーのヨセフと呼ばれる一人の神父が編纂し、それが The Practice of the Presence of God として後日出版されるに至り、以降この本が多くの人に読まれるようになったのです。」

 以上の略歴を紹介した後、ジョイナー師はブラザー・ローレンスの経験した貴重な知恵の幾つかに触れておりますので、私はその内の二、三をご紹介したいと思います。
 最初にブラザー・ローレンスが云った言葉としてーこれは特に有名な言葉ですがー彼は数人の人が調理場で戦争のように忙しく立ち働いている環境に自分がいる時であっても、それは彼が静かに主の前にひざまずいて祈っている時と全く変わらずに、同じであると言っていることです。その理由を彼は、自分が神をしっかり保有し、あるいは神に保有されているからであると言います。ここで彼は possess という言葉を使っており、その意味は「完全に神に所有されている状態」を指しています。
 これこそ主キリストと私たちの関係ー主が私たちの内におられ、私たちも完全に主の内にいる状態ーすなわち、「私たちは完全に主の持ち物」であることを表していないでしょうか。私たちは聖書にそう書かれていますから、そのことを理屈では分かっていても、それが現実にそうなれるという事実をブラザー・ローレンスが証明してくれているのです。

 次に彼が云っていることは「主の臨在を感じない、主が隠れておられるような『乾いた状態』にいる時にこそ、私たちは主に対して真に忠実であることを学ぶことが出来るーそのような時にこそ主は私たちの主への愛をテストされ、又私たちが主に対してどれ程の堅い決意 determination をするか、あるいは、主にどこ迄自分を明け渡すこと surrender が出来るかを試すよい機会となる。」と云っています。
 又主は、「私たちが主のためにどんなよい仕事をしたかーそれはその仕事の大きさではなく、むしろどれ程愛をもってその仕事をしたかーということに関心を持たれる。」とも云っています。

 最後に「主といつも語り合う習慣を身につけるためには、自分が常に神のご臨在と共にいるかどうかを気遣っていることが絶対に必要である。」と彼は主張して止みません。そして、彼が主の助けを必要な時、彼は必ず主にお願いします。彼の経験では、神が助けて下さらなかったことは一度もなかったと言います。

 昔オレゴンの教会にいた時に、希望する人には全員にこのブラザー・ローレンスの The Practice of the Presence of God という小冊子を教会が無料で配布したことを私は憶えています。クリスチャンにとってこの本は、それ程重要な手引書の一つであって、私たちは、少なくとも一年に一度位は読み返すと大変恵まれる必読書であると思います。

 実は私は今朝思い立って自分がどういう人間であるのかを確認する思いで、ロマ書6:3-6を読んでみました。
「3それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテズマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテズマを受けたのではありませんか。4私たちは、キリストの死にあずかるバプテズマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。5もし私たちがキリストにつぎ合わされて、キリストとの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。6私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。7死んでしまった者は、罪から解放されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。9キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。10なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。11このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」

 私たちはキリストを信じてバプテズマを受けた時、新しく「霊の人間」に生まれ変わったことを本当にいつも自覚して生活しているでしょうか。それを忘れて、いつまでも肉のままの人間で生きてはいないでしょうか。

 ブラザー・ローレンスは、そのことを私にいつも改めて思い出させてくれる人です。(終り)

「なぜ私が神にそこまで必死じゃないのか」グラハム・クック  Why I Am Not Desperate for God - Graham Cooke


友人のスティーブの家を訪問した時のことです。当時スティーブには4歳と6歳の娘がいました。彼が電話に出るために退室している間、6歳の子が4歳の子に「明日は教会に行くのよ。」と伝えているのを耳にしました。

4歳の子は全くあわてずこう言いました:「私達は教会に行かないの、私達が教会なんだから。私達はもう御国にいるのよ。」

すると6歳の子は「御国ってなに?」と尋ねました。

「御国は天国がこの地上でおさめているところよ」と4歳の子が言いました。

こういう時に、「子供」版の聖霊などいないことが分ります。使徒に語りかける聖霊と同じ聖霊が4歳の女の子にも語りかけられるのです。

4歳の子でも理解しているのです。御国から教会が出てくること、そして教会は御国におさめられていることを。

私達の中にも誤解している人がいます。彼らは御国が、教会から出てくるものとして見ています。この見方なら、教会が正しく機能していれば、時々、御国が現われるかもしれません。神も時々現われ、教会に立ち寄られることでもない限りは、また姿を消されるのです。

しかしイエスにとって、神は時々「現れる」存在ではありません。私達にとっても同じです。神は私達の内に生きておられるのです。私達はキリストの内にあり、キリストは私達の内におられるのです。

『訪ずれる文化』と『住まれる文化』の違いです。

旧約は神が訪問される文化でした。特定の働きのために神は人々のもとに訪れました。イスラエルは神の訪問を体験しました。神は彼らが悔い改め、考えを変えた後に来られましたが、暗い時代や、罪や偶像礼拝によって彼らは神から離れることが可能でした。イスラエルは神と、ヨーヨーのような関係でした。上がったり下がったり、入ったり出たり。人々の行動を基にした一時的な関係です。

イエスは私達を固定概念から解放して下さいます。イエスは新しいことを行うために来られました。いま私達は神が私達の内に住まれる文化に生きています。なぜなら私達はさらに良い約束と正真正銘の神の臨在が土台である、新しい契約へと生まれ変わったのです。

私達はイエスの生前には地上で決して見ることがなかった新しい被造物です。多くのクリスチャンや教会は旧約聖書のアプローチから神との関係を学ぼうとします。しかし今、全ての古いものは過ぎ去り、全てのものが新しくなりました。

生まれ変わった新しい人生はまったく新しく違う契約から始まります。私達の内におられるキリストは今までにない期待を与えてくださいます:永遠の臨在。この臨在に入るために私達がせねばならないことは、何もありません。これは贈り物です。

しかし、この場所にとどまるために、絶対にせねばならないことがあります。それは「主の中に留まる」と呼ばれるものです。けっして去らない神が住んでいる現実の中に住み、のこり、とどまり続けることを学ぶことが主の中に留まることの全てです。

このことを本当に理解しないなら、残念ながら悲しい結果が待っています。あなたは「訪ずれる文化」と同じ行動をし始めます。自分でミニストリーを作り、「神が来てくださるのを見たい」とか「神に現れてくださるよう必死になりましょう」の様なことを言い始めます。

「神に必死」と言う彼らが何を言いたいか分かりますが、同意は出来ません。人は、本当に貰えるか分からないときに必死になります。砂漠にいる人々は水を必死に求めます。孤独な人は関係を求めて必死です。

神に必死になっている人は、神が何をしてくださったか、本当は理解していないのです。彼らは神が自分達にとってどんなお方なのかあまり分かっていません。もはや訪ずれる文化に生きていないことが掴めていないのです。彼らは既に聖霊なる神の住まわれる場所なのにです。

私は遠くにおられる神に必死なのではありません。神の中で楽しむことで手が一杯なのです。

自分は神の住まいであると理解する時に、神との歩みについての見方が根本的に変えられます。実際に主を探し求め始めます。

私は神を追いかけません。なぜなら神は私から逃げ去らないからです。一緒におられます…「わたしはいつもあなたと共にいます。」

私が主の中に留まることを実践するとき、神の臨在をもてなすことを学んでいます。楽しんで、頼って、相談し、信じて私への愛を一杯体験するために。神を慕い求めることが「全てのものが新しくなった」ことの一つです。どうやっていつもそこにいる人を慕い求めるのでしょう?私達は期待と興奮で慕い求めることを学んでいます。これは与えられたのです。神は私の人生の中に、私の状況に、関係に、ここにおられます。もし私がキリストの中にいるなら、その状況もキリストの中にあると言うことです!

聖書の「主を求めよ」とは、本当はどんな状況の中でも立ち止まって見わたして、その状況の中のどこに神がおられるか探してみよ、と言う意味です。神の臨在から来るものを探し求めましょう。すなわち知恵、好意、祝福そして力です。

これは神を見つけよ、と言うことではありません。神は行方不明ではありません。もちろん私達も。主の臨在の中の人生は互いにさらに素晴らしい方法で影響し合うと言うことです。神と共にいることを学ぶのが私達は大好きです。私達は神の愛の守りの中で成長し、神が自分を喜びとして下さることを味わいます。神が私たちの中におられるように、私達がキリストの中に住み、とどまることを学ぶ時に、素晴らしい自信が生まれます。

だから今日、関わりましょう。神があなたと深く関わられるのと同じように:必死にではなく、招待に応えて。

このように祈ってみて下さい。
「神よありがとうございます。いつも私と共にいていてくださることを感謝します。私をイエス様の中において下さり、満ち足りた人生に招待して下さってありがとうございます。毎日ここで会ってくださってありがとうございます。今日、あなたが私を見るのと同じように自分自身を見れるように助けて下さい。あなたが見るのと同じ方法で、ほかの人々を見ることを私にも教えて下さい。あなたの臨在をもてなすことを教えて下さい。そうすればどんな状況でもあなたを見つけることができますから。あなたがすでにそこにいて、待っていて下さることを知るために私の信仰をアップグレードして下さい。」

グラハム・クック

“Why I’m Not Desperate for God” Blog article by Graham Cooke: http://www.brilliantperspectives.com/why-im-not-desperate-for-god/
翻訳:細見マリヤ、リンスコット綾

「やり直しではなく、向き直し!」 Renew or Re-do?



今日の御言葉は、有名な箇所です:
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」2コリント 5:17
簡単ですね。
すべてが新しくなりました!
しかし、この言葉:「新しい」の解釈によって、意味が大きく変わります。
新約聖書のギリシア語の「新しい」は、二つの言葉ががあり、その違いが大きいです!

1つは、「ネオス」
例えば、イエス様が「新しいぶどう酒」(マタイ9:17)を言った時に、この「ネオス」を使われました。(動画の中で、「新しい革袋」を言いましたが、間違いでした。)
時間的に、新しいという意味です。

ここ10年間、トヨタカローラを運転して、昨日事故して、ダメになったので、今日は、新しいトヨタカローラを買いました。
嬉しい!
しかし、形も質も変わっていません。車です。車輪、4つ、エンジン、1つ、座席、5つ、新しくなったけど、本当は、前と一緒です。でも、新しい車で、嬉しいですね?
次の10年間をこの新しい車でやり直します。

多くのクリスチャンは、この「ネオス」にとどまり、いつもやり直しを求めます。
昨日、頑張って、悪いことしないようにつとめましたが、やっぱり失敗しました。
しかし、悔い改めて、神様に赦しをいただいて、今日は、新しい!毎朝新しい!
そうです。今日は、やり直し。また、頑張って、失敗しないように、罪を犯さないように、がんばりましょう。

みなさん、これは、福音ではありません!
これを見ると、以前の質、以前の形と何にも変わりません。

パウロが、2コリント5:17
「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

この新しいは、違う言葉です:「カイノス」です。
ただ、やり直し、古いものを捨てて、新しく同じ物をいただくのではありません!
カイノスは、形も、質も、完全に新しい物となる。
前と全然違う見たことのない物となる。
すべてが新しい。

以前のトヨタカローラを捨てて、わたしは、スペースシャトルをいただきました!
やったことのないことができる。
行ったことのない所に行ける。
前と全く違う形になり、すべてが新しくなりました。

パウロが、このただ「やり直し」の連鎖、悪循環について、ローマ7章に書いています。
(ローマ7:14-24)
多くのクリスチャンは、ローマ7章が、現在、キリストにある人の経験だと信じています。
有名な神学者でそう信じる人もいます!
しかし、こういう考え方は、5−6世紀から始まった神学であり、初代教会ではそう考えなかったし、多くの神学者でもそう考えません。
ローマ7章は、キリストと出会う前に、罪の性質がまだ生きている時の状態です。

新約聖書の流れ全体を見ると、これは明らかですが、2コリント5:17が一番明確ですね。
もう一度言います:
「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
以上です。

皆さん、
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり… するからです。」マタイ 6:24 
罪の性質に仕えながら、イエス様の性質に仕えることはできません。
イエス様と結婚しているなら、どうして「罪と死の律法」であるあの死んだ愛人に戻りますか?

やり直しの信仰によって生きるクリスチャンは、本当は、自分の行いに頼る律法によって生きています。
キリストによってすべてが新しくなったことを理解せずに、自分の罪の意識によって生きています。
もちろん、神様は、愛溢れるお父さんなので、続けてあなたを愛し、導いてくださいますよ。
「やり直し」のクリスチャンとして生きていきたいなら、毎朝、昨日の失敗と罪のために、神様の赦しを求めて、今日も、やり直し、失敗しないように、罪を犯さないように、頑張って下さいね。
それを選ぶのもあなたの自由です。神様はあなたのことを怒りません。拒絶することも絶対にありません。
しかし、神様は、キリストにあるあなたの新しいアイデンティティーを知り、その中に生きるように、招いておられます。

もちろん、新しいアイデンティティーに生きるクリスチャンでも、罪を選ぶことが可能です。神様にある目的や使命を忘れて、罪、目的を外れた行動、思い、言葉使いを選ぶこともできます。また、その当然の結果、報いを経験してしまいます。

しかし、その時に、イエス様に向きを直して、赦しと聖めとをいただいて、感謝してもいいです。
その意味では、やり直しのようなことですが、本当は、やり直しではなく、向き直しです。

イエス様に、向き直し、
キリストにあって、すべてが新しくされたアイデンティティーに向き直し、
父なる神様の愛に向き直し、
罪の性質ではなく、私のうちにあるキリストの性質に向き直すことです。

なかなか止められない罪、どうすればいいでしょうか?

まず、自分の本当のアイデンティティーを知ってください!
「心の一新によって、自分を変えなさい。」ローマ12:2
兄弟姉妹が大きな鍵です:友人、仲間と一緒に祈って見てください。
聖霊様の導きによって、示された嘘、束縛、過去の罪などをイエス様に委ね、手放しましょう。

必要なら、SOZOミニストリー( http://sozo.onfire.jp/ )、エリヤハウスのミニストリー( http://www.ehj.jp/ )、他の心の解放のミニストリーを調べてみてください。

カウンセリングもいいですが、気をつけてください。
多くのカンセリングは、「やり直し」の姿勢から、人を導きます。
人は、カウンセリングによって、悪循環か逆戻りになるケースが、少なくありません。

イエス様が既に、十字架の上で、あなたの罪の性質を殺して、完全に処分してくださいました!
古い自分が過ぎ去り、今、あなたは、キリストにあって、全く新しい者となりました。
毎日、イエス様の素晴しさを更に知ること、感謝すること、経験することはできます。

The “Everything has become new” of 2 Cor 5:17 is a marvellous word!
However, our interpretation and understanding of the word “new” can greatly affect our experience of this newness!

Let’s look at the two words in the Greek used for “new” in the NT, and gain a new perspective of what an amazing thing God has done for us in Christ. (Japanese message)

「礼拝:私たちの存在の核心」Worship: The Core of Our Existence



私たちはここ数年間毎月一回、「ハーベストセミナー」を開催してきました。
素晴らしい賛美の時間の後、収穫の準備のために、弟子育成や御霊の賜物などに関連する分科会/ワークショップを行ってきました。

しかし、今年4月に、突然預言の言葉を受け、「私の燭台をどこに置きましょうか?」と主に尋ねられました。

私達はまだその意味と解釈を続けて祈っていますが、まずいただいた印象は、 「最初の愛に返る」(黙示録2:4)、単に賛美すること:神様が私たちを楽しみ、私たちが神様を楽しむという単純な目的に戻るということです。
それを受けて、9月から私たちは分科会や説教などを保留して、ひたすらイエス様のために時間を費やそう、という目的で、毎週集まり、賛美ばかりしています。
人の話しは本当に控えめにして、皆がただ、歌い、宣言し、踊って、神様を楽しんでいます。

今朝、私たちのハーベストセミナー、また「主の臨在をもてなす」集会の経緯を全く知らない友人から、このような励ましのメールが届きました。
「昨日の夜、夢の中にあなたがた二人が出てきました:
あなたの教会の集まりの中で、話しをやめて、賛美の時だけを持つようになりました。
そして、集まりの中で、あなたは座って、神様の水(命の水でしょうね)のために祈りました。
祈っている間に、足元を見たら、水たまりがありました。」
友人を通して与えられたこの預言的な夢を通して、私たちは、大変励まされました。また、私も皆さんを励ましたいと思います。

正直に言うと、これらの集まりを外側から見ると、ただ長い賛美集会のように見えるでしょう。(実際、賛美だけでは、参加者は退屈してしまうのではないか?と心配したこともあります。)
しかし、それでもひたすら「主の臨在をもてなす」べきだと感じました。
2ヶ月こういう集まりをして、
「こういう集会でいいのか?」
「もっと教えや説教をしたほうがいいじゃないのか?」
「賛美だけでいいのか?」
と少し考えていたのも正直なところです。

しかし、今日の預言の夢を通して、その答えがはっきり聞こえました:「賛美だけで十分です!」
(もちろん、ほかの集まりの中で、聖書の教え、学びや分かち合うことも大事ですね。)
神様を楽しむこと、神様が私たちを楽しむこと、これこそ私たちの存在の目的ですね。

もちろん、一人で賛美して、主の御臨在を楽しむこともできます。私たちは、キリストを通して、不思議に神様と結びつけられています。
「私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの。」雅歌 2:16
しかし、兄弟姉妹として、一つの家族として集まり、賛美すると、不思議な神様の御臨在も与えられます。
「あなたは… 賛美を住まいとしておられます。」詩篇 22:3
一致を持って集まる時に、特別の神様のご臨在、聖霊様の表れがあります。
兄弟姉妹たちが一致すると、主が特別の祝福を命じられると詩篇133篇に書いてあります。
マタイ5:23−24節には、私たちが礼拝するとき、兄弟姉妹との不一致を先に整理しなければならないと書いてあります。

礼拝は、私たちの存在の核心であり、私たちの共同体の中核であるべきです。

個人的には、積極的に神様を礼拝しなければ、我々は、他のもの、正当でないものを、神様の代わりに、崇拝するようになってしまいます。
私たちの存在の目的から外れてしまいます。これこそ、「罪」の本来の意味です:的外れ、本当の目的から逸脱します。

神様の家族も、本当の目的:一致して愛の 絆の中、一緒に神様を礼拝し、神様の臨在をもてなすことを、一番の目的にしなければ、やっぱり、本来の「教会の目的」から逸脱してしまいます。

愛の絆の中で一致して集まり、心、手、目も、そして全身で、神様を賛美する器として自分を捧げましょう。

「主の臨在をもてなす」関西の集まり
また、金曜日の夜、関西在住の時間のある方、ぜひ一緒に主の臨在を楽しみましょう。
毎週、金曜日7時〜10時、西宮市
場所が変わりますので、スケジュールをご覧ください。

東京の集まり
関東の方、毎週火曜日、YWAM主催のリビングルーム集会にぜひ参加してみてください。
YWAM 主催、東京のリビングルーム集会、毎週火曜日7時〜9時、本郷三丁目駅より徒歩8分、ICA教会2F



“Worship: The Core of our Existence” 

As most of you probably already know,  we have been holding a “Harvest Seminar”  for the last 3-4 years once a month on a Friday. It has been a great time of worship and then breaking up into smaller workshops to look at different skills related to discipleship or gifts of the Spirit etc.

However, in April we received a prophetic word, out of the blue, saying “Where shall I put my lamp-stand?”
We are still praying into the meaning of that but one thing that was impressed on us was the single-minded-ness of the “first-love” (Revelation 2:4), “the secret place” — just enjoying God as He enjoys us in abandoned worship etc.
So, from September we put all the workshop (teaching/talking) on hold, and decided that these would be just a worship night to “waste a night on Jesus!” — talking has really been at a minimum; just singing, declaring, soaking, dancing, and enjoying God as He enjoys us.

This morning, a friend who doesn’t know anything in particular about our Harvest Seminar or recent meetings emailed us this encouragement:
“I had a dream about you two last night: You had decided in your group meetings that there wouldn’t be any more talking, only singing praises.
So in one of your singing-gathering times, you were sitting together and praying together for God’s water (of life, I presume!).
You both looked down and there was a pool of water in front of you, at your feet!”
As you can imagine, this prophetic dream given to our friend has been of great encouragement to us, and I would like to encourage you too!

To be honest, from the outside these gatherings just look like long worship times — (and I’m sure some people are getting bored!)
But we really felt that we are to just “host His presence”. After doing it now for 2 months we do tend to wonder, “Is this what we’re supposed to be doing? Should we be doing more teaching etc.? Is it really enough to just worship and enjoy His presence!?”

And the resounding answer that we feel God saying is “YES! It is more than enough!” (Of course teaching and sharing together are a big part of other gatherings!)
Enjoying God and allowing God to enjoy us is what our existence is all about.

Of course, we get to do this by ourselves. You are unified with God, through Jesus Christ. You are his, and he is yours! (Song of Songs 2:16, 6:3)

But there is also a mystery of God dwelling in the praises of His people: (Ps 22:2)
God wants to come and dwell with us in a special way when we gather together to worship Him.
He delights in our unity (Ps 133), and he “commands” a blessing when we are unified with one another as we worship.
He commands that when we worship we come with a pure heart, without disunity with our brothers and sisters in Christ (Matt 5:23-24)

Worship is at the very core of our being, and at the very core of our community.

Personally, to not actively engage God in worship means we will look for other places, other ways to worship him that are not legitimate.
We will deviate from our real purpose — which is the true meaning of “sin” — to miss the target of our purpose.

To not actively engage in God in worship and unity as the family of God means we will deviate from our true purpose, and compromise the true role of being the “Church of Jesus Christ” on the earth.

Let us draw together in unity, and lift our hearts, hands, eyes and whole being to God as a fragrant offering of praise and adoration!

“Hosting His Presence” Kansai weekly meetings
Every Friday 7pm to 10pm, Nishinomiya city
[Details & map here]

YWAM Tokyo - Living Room meetings
Every Tuesday 7pm to 9pm, Hongo San-Chome station, ICA Church



「リバイバルのために祈ってもいい?」Should We Pray for Revival?

前回のメッセージの続きです。


前回、私たちの目の前には、宴会、溢れるばかりのぶどう酒、また、私たちの中に常に湧いている聖霊様の泉があると話しました。
私たちは、足りないところからではなく、満ち溢れる所から始まり、主の宴会と豊かさをもっともっと楽しむことができますし、もっともっとその祝福を人々に分けることができます。
「あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」マタイ 10:8
「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます… あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」ルカ 6:38 
「キリストにあってすべての良いものを知ることができるように、あなたがたが信仰を積極的に分かち合うように祈っています。」ピレモン1:6(英語からの意訳)
今日は、関連しているテーマですが、神様の「訪れ」、つまりよく言われる「リバイバル」について御言葉と初代教会の見本を見たいと思います。
多くのクリスチャンは、リバイバルのためにいつも祈っています。
また、「主よ。天を開いて降りて来てください。」という祈りもよく聞きます。

どうしてこの話をするかと言いますと、多くのクリスチャンは、リバイバルと主の訪れについての勘違いを抱いているのではないかと思うからです。
既にある命を、どうして更にいただくように祈りますか?
キリストを通して、既に開かれた天、どうして旧約聖書の原則に戻り、続けて「主よ。天を裂いて降りて来てください。」(イザヤ64:1)と祈りますか?
キリストを通して、既にいただいた永遠の豊かな命、どうして旧約聖書の原則に戻り、続けて「主よ。私たちを生かしてください。リバイバルを与えてください。」(詩篇80:18)と祈りますか?
私たちクリスチャンは、まずキリストにあって、どれほどすでに持っているかを、しっかり知り、また信じる必要があります。

と言いながら、神様の訪れについて話すと、本当に唯一の原則は、詩篇105:
「われらの神は天におられる。神は御心にかなうすべての事を行われる。」詩篇115:3(意訳)
すべての主権を持っておられる全能の神様は私が考える、また望む通りにするのではなく、ご自分の御心通りに行われます。
ですので、神様の訪れについて、人間中心、私たちの行動を中心にしてはいけません。
私たちは、いくら祈っても、行動しても、神様を操作することはできません!

リバイバルを見てみましょう:
まず、私たちの言葉使いを考えましょう。リバイバルを定義しましょう。
リバイバル:日本の教会では、リバイバルと言いますと、おそらく収穫を考えます。多くの未信者が、神様を認めて、イエス様を信じて、教会にくるようになることです。
しかし、リバイバルの本当の意味は、復活、命を取り戻すこと、詩篇80:18の生かすこと。これは、歴史的には、教会・クリスチャンが冷めた時に、最初の愛を忘れた時に、人は、聖霊様の導きによって愛と信仰を奮い立たせることができる。時には、強く聖霊に触れられたり、時には、深い悲しみと悔いる気持ちで、人は、神様の道に戻りました。

リバイバルの必要の状況は、黙示録に出るエペソの教会の警告ですね:
「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、(向き直して)初めの行いをしなさい。もしそうでなく、向き直すことをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」黙示録 2:4-5
始めの愛を忘れた人。
マリヤのように、イエス様の 足元に座って、その愛の中に、神様との交わりを楽しむよりも、私たちは、マルタのように、神様のために、働き、奉仕のために、走り回っていませんか?始めの愛を忘れてしまってはいないでしょうか?
じゃあ、向き直して、始めの行いをすればいいですね。
始めの行いは何でしたか?皆それぞれだと思いますが、おもに休むこと、安息に入ること、受けることです。素直に神様の愛をいただいて、聖霊様の平安と喜びに溢れること。

「燭台を取り外す」警告は、教会全体に書いてあります。エペソの教会のすべての人が神様の愛を忘れたわけではないと思います。
しかし、エペソ教会の文化、雰囲気、環境が、神様との愛の関係を強調するよりも、他のことを強調するようになったでしょう。
そのために、この警告は、ヨハネを通して与えられました。

ビルジョンソン師がよく言うことです:
「リバイバルのために祈るのではなく、リバイバルをそのまま持ったらいいです。」
「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。」イザヤ 60:1
リバイバルのために祈って、特別どこかからか不思議な表れを求めるのではなく、この始めの愛を忘れた状態に気づき、聖霊様の命令を、思い出すのです!始めの行いをすることです。
簡単ですね。

では、最初の質問に戻ります:リバイバルのために祈ってもいいですか?
ぜひぜひ、自分でイエス様の満ち満ちた豊かさの中に留まりながら、聖霊様の導きによって、日本の教会、クリスチャン、また世界の教会とクリスチャンの知恵と啓示、復活、豊かな命、癒されること、生かされること、そして満たされることのために、どんどん祈ってください。
「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」エペソ 6:18
どのような祈りですか?
パウロのエペソ1章の祈りは素晴らしいですね。
気づいていただきたいことは、パウロの祈りは、全部、新しいことが与えられるために祈ってるのではなく、既にあることをもっと知ること、理解すること、そして経験ができるように祈っています。

この後、ぜひ下記のリンクで、一緒に教会とクリスチャンの仲間たちのために祈りましょう。

「教会のリバイバルのために祈りましょう。」
パウロがエペソ人への手紙1章の祈りによって、教会のために祈りましょう。
私たち教会がキリストにあって既に持っていることを気づき、知り、経験することができるように、目が開かれるように祈りましょう。
「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように祈ります。」(エペソ 1:17)
「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、知ることができますように祈ります。」(エペソ 1:18)
「聖徒の受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、知ることができますように祈ります。」(エペソ 1:18)
「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように祈ります。」(エペソ 1:19)
「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。」(エペソ 1:22)
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ 1:23)



「神の臨在をもてなす」集まりのスケジュール “Hosting His Presence Meeting” Schedule

毎週のスケジュールのページが変わりました。このリンクへ移動:
Meeting info page has changed. Please go to this link:
http://onfirejp.blogspot.jp/p/harvest-meetings.html

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毎週集まり、主の臨在を楽しみながら、賛美し、踊り、御言葉の宣言をしたりしています。「観客」ではなく、皆が賛美チームの一員として、一緒に賛美し、神様も一緒に喜び、踊ったりしています。
「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」ゼパニヤ 3:17
自分の部屋の中でも、散歩する時でも、またクリスチャン兄弟姉妹たちと一緒に集まる時も、主の素晴らしいご臨在を祝って、喜び、踊り、歌いましょう。

関西:「主の臨在をもてなす」集会、毎週金曜日


スケジュール
6:00pm 晩ご飯と交わりの時間を持ちますので、時間のある方はご自由にお弁当を持参して、一緒に交わりましょう。
7:00pm 集会
9:30pm 解散

子供のプログラム:時々子供の部屋を用意していますが、子供も一緒に賛美しても全然構いません。(子供のプログラムも、小さいお子様の託児もありません。)

場所:場所が毎回変わりますので、ご注意下さい。)
毎週のスケジュールのページが変わりました:このリンクへ移動:
http://onfirejp.blogspot.jp/p/harvest-meetings.html

アクセス:
場所は、毎週変わる可能性がありますので、上記のスケジュールを確認してください。
 地図は、このリンクにどうぞ。

勤労会館:阪神西宮駅から東に徒歩 7分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 7
GOOGLE MAPS

駐車場はありますが、満車の場合が多いので、西宮市役所の駐車場、または近くにあるタイムズなどをご利用ください。

市民会館(アミティホール、市役所の横)西宮市六湛寺町10-11
阪神西宮駅から東に徒歩 1分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 10、市役所の有料駐車場があります。
GOOGLE MAPS

諸経費のために献金を集めさせていただきます。 

詳しいお問合せ: mail@onfire.jp


東京:「リビングルーム」集会、毎週火曜日


関東の方、毎週火曜日、YWAM主催のリビングルーム集会にぜひ参加してみてください。
YWAM 主催、東京のリビングルーム集会、毎週火曜日7時〜9時、本郷三丁目駅より徒歩8分、ICA教会2F
ホームページ、詳細:http://ywamtokyo.org/living-room/

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KANSAI: “Hosting His Presence” Meetings every Friday
We’ve been enjoying God’s presence together each week as we come together to worship, sing, dance and just generally celebrate His love and goodness. We are all part of the “worship team” as we come together not as an “audience” but as participators with whom even God rejoices, dances and celebrates:
The LORD your God is with you, he is mighty to save. He will take great delight in you, he will quiet you with his love, he will rejoice over you with singing. ZEPH 3:17 
Whether it is in your own room, out for a walk, or in a gathering of sisters and brothers in Christ, enjoy celebrating His goodness as you sing and dance.

6:00pm BYO Obento dinner and fellowship together
7:00pm Meeting
9:30pm End

Kids’ Program: We welcome children to worship with us. Sometimes a separate room will be provided for kids but there will be no kids’ program or child-care service.

Location:
(NOTE:
Check the details below. Locations are in the same area but may change regularly.)
Meeting info page has changed. Please go to this link:
http://onfirejp.blogspot.jp/p/harvest-meetings.html

Kinro Kaikan (Nishinomiya City Workers’ Union Building), 2-37 Matsubara-cho, Nishinomiya

Access by car: Car park available, but if it is full then please use the Nishinomiya City Hall parking lot;
Access by train: 7 minutes walk east from Hanshin Nishinomiya Station 7 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya

Shimin Kaikan AMITY HALL (Nishinomiya City Hall Meeting Rooms) - Next to the Nishinomiya City Office: 
GOOGLE MAPS
Please check the map.
Access by train: 1 minute walk east from Hanshin Nishinomiya Station; 10 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya
Access by car: Paid car park available

For more information: mail@onfire.jp



TOKYO: “Living Room” Meetings every Tuesday

YWAM Tokyo holds these worship meetings every Tuesday 7pm to 9pm, near Hongo San-Chome station, at ICA Church
Check the website for maps and details: http://ywamtokyo.org/living-room/

「大阪の街での癒しと神様の愛を伝えてきました。」 Healings and Sharing God’s Love in Osaka

[English below]

土曜日は、大阪城公園と心斎橋に出かけて、福音と癒しを通して神様の愛を伝えてきました。

出かける前に、祈った時に、2人は同じ女性の名前が与えられました。探しに行ったら、大阪城公園にくつろいでいる合唱団のメンバーと出会って、そのメンバーの一人がその名前で、ちょうど調子が悪かったので、喜んで祈りを受けました。

出かけたもう一人は、前日に祈った時に、赤いシャツ、腰の痛みのヒントを聖霊様から感じました。金曜日10人以上の赤いシャツの人に声をかけましたが、腰の痛みのある人はいませんでした。しかし、土曜日大阪城公園に行った時、赤いシャツを着ている人を見かけました。腰の痛みがあると確認して、祈ったら、完全に癒されました。また、本人が友人を呼んで、彼も腰の痛みから癒されました。

土曜日の夜、三角公園に10人が集まりました。賛美と祈りの後、2人組に分かれて1時間ぐらい祈りに出かけました。

2人の男性は、音楽スタジオの男に声をかけて、いろいろ会話をしてから「体の痛みはあるか?」と尋ねました。足の首が痛かったので祈ったら完全に良くなりました。また、男はすごく喜んで、「気持ち良い!」平安を感じて連絡先を求めました。友人を呼んで、友人も腕の痛みが癒されました。

他にも、知り合いと知らない人の何人のために、祈り、励ましの言葉、そしてイエス様の愛を伝えることができました。
ほとんどの人は、祈ってあげることについて、全然抵抗がありませんでした。

今週も、同じように出かけましょう。
興味のある方は、ご連絡ください。

また、自分の仲間と一緒にやってください!
イエス様が言われました:「さあ、行って…福音を伝え…人をいやし…」大胆に踏み出しましょう。
失うのは、 プライドだけです!しかし、イエス様は、十字架の上に私たちの恥などを全部受けてくださいました。獲得するのは、御国の表れと神様の栄光です。これも、大収穫のための整えの一部ですね。

もちろん、道端で知らない人ではなくても、自分の家族、友人、同僚、同級生などなどのために、大胆に祈ってみてください!
あなたがたは行って... 見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28、大宣教命令
今週の予定:

毎週金曜日「神の臨在をもてなす」集まり 
「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」ゼパニヤ 3:17
自分の部屋の中でも、散歩する時でも、またクリスチャン兄弟姉妹たちと一緒に集まる時も、主の素晴らしいご臨在を祝って、喜び、踊り、歌いましょう。

毎週のスケジュール
6:00pm 晩ご飯と交わりの時間を持ちますので、時間のある方はご自由にお弁当を持参して、一緒に交わりましょう。
7:00pm 集会
9:30pm 解散

子供のプログラム:子供の部屋を用意していますが、プログラムはありません。また、小さいお子様の託児はありません。

場所:(場所が毎回変わりますので、ご注意下さい。)
2015年10月9日(金)西宮市 勤労会館:第2会議室(3階)
2015年10月16日(金)西宮市民会館 大会議室101(1階)
2015年10月23日(金)西宮市民会館 大会議室101(1階)
2015年10月30日(金)西宮市 勤労会館:第8会議室(4階)
2015年11月6日(金)西宮市民会館 大会議室101(1階)

アクセス:
勤労会館:阪神西宮駅から東に徒歩 7分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 7、 地図は、このリンクにどうぞ。 
駐車場はありますが、満車の場合が多いので、西宮市役所の駐車場、または近くにあるタイムズなどをご利用ください。

市民会館(アミティホール、市役所の横)西宮市六湛寺町10-11
阪神西宮駅から東に徒歩 1分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 10、 地図は、このリンクにどうぞ。 市役所の有料駐車場があります。
諸経費のために献金を集めさせていただきます。 

詳しいお問合せ: mail@onfire.jp

「さあ、行って…福音を伝え…人をいやし…」
最近聞いた、海外のある教師の教え、また彼の実際のお手本によって大変励まされました。出かけて御国の福音を伝えながら、簡単に御国の印を期待するように励まされています。このため、定期的に街に出かけて、御言葉を伝えながら、癒しなどの御国の御業が日本の街角にも起こることを期待しています。どうぞ、自分で出かけてもいいし、興味のある方は、一緒に出かけましょう。主の簡単な命令に応答しましょう:
「行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」マタイ 10:7-8

大阪、心斎橋、アメ村の三角公園(御津公園):地下鉄心斎橋駅、第7出口から5分 [MAP]

10月10日(土)7:30pm
7:30PMから、集合して、賛美と打ち合わせをします。そして、聖霊様の導きによって、御言葉を伝えたり、人のために祈ったりしましょう。参加したい方は、ご連絡ください。

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HEALINGS AND GOD’S LOVE SHARED IN OSAKA

Last week a team went out to Osaka-jo-Koen; before going they prayed and two of the team received the same name. They found the person with that name in the park and found out they were not feeling well so they prayed for them; the person was glad to be prayed for.
Another team member also found a person with a red top and back pain, as she had been shown in prayer the previous day. The woman gladly received prayer and was instantly healed. She called another friend who was also healed of some condition.

Ten people gathered later that evening in Shinsaibashi, Sankaku-koen for “Treasure Hunting”
We went out in groups of two; everyone had opportunities to pray and share God’s love with people.
A young man was healed of a ankle injury, and strongly felt God’s love; his friend was also healed of an arm injury.
Other groups prayed and shared with many people seeing the peace of God come to many people.
We plan to go out each week; join us or gather with your own friends to expect God to reach out to the people around you with His love and goodness.
Of course, it doesn’t have to be walking up to people you don’t know on the street: ask God how you can share His love with your family, friends, colleagues, school friends or neighbours.

“Hosting His Presence” Meetings every Friday
We’ve been enjoying God’s presence together each week as we come together to worship, sing, dance and just generally celebrate His love and goodness. We come not as an “audience” but as participators with whom even God rejoices, dances and celebrates:
The LORD your God is with you, he is mighty to save. He will take great delight in you, he will quiet you with his love, he will rejoice over you with singing. ZEPH 3:17 
Whether it is in your own room, out for a walk, or in a gathering of sisters and brothers in Christ, enjoy celebrating His goodness as you sing and dance.

6:00pm BYO Obento dinner and fellowship together
7:00pm Meeting
9:30pm End

Kids’ Program: A room will be provided for kids but there will be no kids’ program or child-care service.

Location:
(NOTE: Locations are in the same area but may change regularly.)
Friday, October 9: Kinro Kaikan - 3F conference room #2
Friday, October 16: Shimin Kaikan - 1F meeting room #101
Friday, October 23: Shimin Kaikan - 1F meeting room #101
Friday, October 30: Kinro Kaikan - 4F conference room #8
Friday, November 6: Shimin Kaikan - 1F meeting room #101

Kinro Kaikan - Nishinomiya City Workers’ Building, 2-37 Matsubara-cho, Nishinomiya
Access by car: Car park available, but if it is full then please use the Nishinomiya City Hall parking lot;
Access by train: 7 minutes walk east from Hanshin Nishinomiya Station 7 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya

Shimin Kaikan - Nishinomiya City Hall Meeting Rooms - Next to the Nishinomiya City Office

Access by train: 1 minute walk east from Hanshin Nishinomiya Station; 10 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya
Access by car: Paid car park available

For more information: mail@onfire.jp

“Go, Preach, Heal”
We have been challenged through the powerful messages and outreaches of visiting speakers recently to not just be talkers, but doers of the word! We want to begin to regularly go out to preach the word of God, pray for healing and see the Kingdom come to the streets in Japan. 
We encourage you too to ask God how to respond to His simple command:
As you go, preach this message: ‘The kingdom of heaven is near.’
Heal the sick, raise the dead, cleanse those who have leprosy, drive out demons. Freely you have received, freely give. MATT 10:7-8
Join us if you wish below, or organise your own outreach.

Shinsaibashi, Sanakaku-Koen (Triangular Park) Outreach [MAP]
Saturday October  10th, 7:30pm
We will meet from 7:30pm for worship, prayer, brief teaching, and then expect God to lead us as we go out to share with people the Gospel of the Kingdom.

Please email me if you’d like to join us: mail@onfire.jp

「神の臨在をもてなす」集会、心斎橋アウトリーチ Hosting His Presence Meetings & Shinsaibashi Outreach

[English Below]

毎週金曜日「神の臨在をもてなす」集まり 


9月は毎週金曜日集まり、主の臨在を楽しみながら、賛美し、踊り、御言葉の宣言をしたりしました。「観客」ではなく、皆が一緒に賛美し、神様も一緒に喜び、踊ったりしていることを感じました。
「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」ゼパニヤ 3:17
自分の部屋の中でも、散歩する時でも、またクリスチャン兄弟姉妹たちと一緒に集まる時も、主の素晴らしいご臨在を祝って、喜び、踊り、歌いましょう。

毎週のスケジュール
6:00pm 晩ご飯と交わりの時間を持ちますので、時間のある方はご自由にお弁当を持参して、一緒に交わりましょう。
7:00pm 集会
9:30pm 解散

子供のプログラム:子供の部屋を用意していますが、プログラムはありません。また、小さいお子様の託児はありません。

場所:(場所が毎回変わりますので、ご注意下さい。)
2015年10月2日(金)西宮市 勤労会館:第8会議室(4階)
2015年10月9日(金)西宮市 勤労会館:第2会議室(3階)
2015年10月16日(金)西宮市民会館 大会議室101(1階)
2015年10月23日(金)西宮市民会館 大会議室101(1階)
2015年10月30日(金)西宮市 勤労会館:第8会議室(4階)
2015年11月6日(金)西宮市民会館 大会議室101(1階)
アクセス:
勤労会館:
阪神西宮駅から東に徒歩 7分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 7、 地図は、このリンクにどうぞ。 
駐車場はありますが、満車の場合が多いので、西宮市役所の駐車場、または近くにあるタイムズなどをご利用ください。

市民会館(アミティホール、市役所の横)西宮市六湛寺町10-11
阪神西宮駅から東に徒歩 1分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 10、 地図は、このリンクにどうぞ。 市役所の有料駐車場があります。
諸経費のために献金を集めさせていただきます。 

詳しいお問合せ: mail@onfire.jp

“行って、宣べ伝えて、いやして...”
最近聞いた、海外のある教師の教え、また彼の実際のお手本によって大変励まされました。出かけて御国の福音を伝えながら、簡単に御国の印を期待するように励まされています。このため、定期的に街に出かけて、御言葉を伝えながら、癒しなどの御国の御業が日本の街角にも起こることを期待しています。どうぞ、自分で出かけてもいいし、興味のある方は、一緒に出かけましょう。主の簡単な命令に応答しましょう:
「行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」マタイ 10:7-8

大阪、心斎橋、アメ村の三角公園(御津公園):地下鉄心斎橋駅、第7出口から5分 [MAP]

10月3日(土)7pm
7PMから、集合して、賛美と打ち合わせをします。そして、聖霊様の導きによって、御言葉を伝えたり、人のために祈ったりしましょう。参加したい方は、ご連絡ください。

________________________________________

“Hosting His Presence” Meetings every Friday
We’ve been enjoying God’s presence together each week as we come together to worship, sing, dance and just generally celebrate His love and goodness. We come not as an “audience” but as participators with whom even God rejoices, dances and celebrates:
The LORD your God is with you, he is mighty to save. He will take great delight in you, he will quiet you with his love, he will rejoice over you with singing. ZEPH 3:17 
Whether it is in your own room, out for a walk, or in a gathering of sisters and brothers in Christ, enjoy celebrating His goodness as you sing and dance.

6:00pm BYO Obento dinner and fellowship together
7:00pm Meeting
9:30pm End

Kids’ Program: A room will be provided for kids but there will be no kids’ program or child-care service.

Location:
(NOTE: Locations are in the same area but may change regularly.)

Friday, October 2: Kinro Kaikan - 4F conference room #8
Friday, October 9: Kinro Kaikan - 3F conference room #2
Friday, October 16: Shimin Kaikan - 1F meeting room #101
Friday, October 23: Shimin Kaikan
 - 1F meeting room #101
Friday, October 30: Kinro Kaikan - 4F conference room #8

Friday, November 6: Shimin Kaikan - 1F meeting room #101

Kinro Kaikan - Nishinomiya City Workers’ Building, 2-37 Matsubara-cho, Nishinomiya
Access by car: Car park available, but if it is full then please use the Nishinomiya City Hall parking lot;
Access by train: 7 minutes walk east from Hanshin Nishinomiya Station 7 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya

Shimin Kaikan - Nishinomiya City Hall Meeting Rooms - Next to the Nishinomiya City OfficeAccess by train: 1 minute walk east from Hanshin Nishinomiya Station; 10 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya
Access by car: Paid car park available

For more information: mail@onfire.jp

“Go, Preach, Heal”

We have been challenged through the powerful messages and outreaches of visiting speakers recently to not just be talkers, but doers of the word! We want to begin to regularly go out to preach the word of God, pray for healing and see the Kingdom come to the streets in Japan.
We encourage you too to ask God how to respond to His simple command:
As you go, preach this message: ‘The kingdom of heaven is near.’
Heal the sick, raise the dead, cleanse those who have leprosy, drive out demons. Freely you have received, freely give. MATT 10:7-8
Join us if you wish below, or organise your own outreach.

Shinsaibashi, Sanakaku-Koen (Triangular Park) Outreach [MAP]
Saturday October 3rd, 7pm
We will meet from 7pm for worship, prayer, brief teaching, and then expect God to lead us as we go out to share with people the Gospel of the Kingdom.
Please email me if you’d like to join us.


「『もっと、主よ!』と祈っても大丈夫?」


既にある、更にいただける、というテーマで続けて話をすすめたいと思います。

私たちクリスチャンは常にこの矛盾と言える現実に生きています。
つまり、既に全てをいただいていますが、同時に、更に神様にいただくこともできます。
不思議です。信仰生活の中で、この二つのポイントは矛盾してるように見えますが、実は矛盾していません。

全てが既に与えられているなら、「もっと、主よ!」と祈る時は、実際に何を祈っているでしょうか?

詩篇23篇を見てみましょう。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。」
素晴らしい神様の安息です。
わたしには乏しいことがない。その中にずっと留まってもいいです。
キリストにあって全てが与えられています。

他の御言葉も少し見てみましょう。
「神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」エペソ 1:3-4 
「いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられています。」2ペテロ 1:3
「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、(何も)私たちを引き離すことはできません。」ローマ 8:39
そして、この驚くべき御言葉:
「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。」コロサイ 2:9-10
キリストには、父なる神、子なる神、御霊の神の満ち満ちた性質が宿っていて、そして、あなた方は、キリストにあって、満ち満ちているのです。
すごい!すごすぎませんか?
この御言葉は本当でしょうか?
キリストにあって私たちの中には、神様の満ち満ちた性質が宿っていると書かれています。

もう一つびっくりする御言葉:
「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」ローマ 8:11 

そして、この有名なイエス様の言葉:
「わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。」ヨハネ 14:12
(時間のある方は、エペソ1章から3章をキリストにあって既にあることは何かと考えながら、読んでみてください。)

この全ては真理です。事実です。
私たちがそう感じないからと言って、その事実が変わるわけではありません。
しかし、信じなかったら、経験することはできないかもしれませんね。
事実かもしれないけど、この豊かな命をいつも感じているではありません。

詩篇23篇の続きがあります。
「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。」
この言葉は詩篇84:6節と似ています。
「彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現れます。」詩篇 84:6-7

まず、信仰生活は旅です:歩むこと、通ること、進むこと、また泉が湧くこと、全部動いてる、生きていて、起こっていることです。
人生も、神様との関係も、生きていることですね。

この旅のために力、強められること、啓示が与えられること、満たされること、こういうテーマも良く御言葉に出ます。

また、御言葉の大きなテーマは、「毎日」、「日々」、「今日」ですね。
日々の糧。
主の恵みは毎朝新しい。
明日のことを心配するな。
今日こそ、主の安息に入る。
今日御声を聞けば、従う。
今日は集まり、励ましあいましょう。

イスラエルの民にも毎日、一日分のマナが与えられたのと同じように、神様が私たちには、一年分の糧を用意するのではなく、日々、必要の恵みを用意してくださっています。
毎日、新しい経験があります。新しい試練もあります。
そのために、新しい恵みと力があります。

その恵みはどこにありますか?
まあ、神様が天から降らせてくださると言ってもいいかもしれませんが、本当は、もっと正しく言いますと、自分の中に住む聖霊様によって、既に自分お腹の中にあることです。

詩篇84編に、ダビデが預言した「泉のわく」ことについて、イエス様が説明してくださいました:
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」ヨハネ 7:37-38
イエス様を飲む人、そのお腹から生ける水の川が流れ出るようになる。

詩篇23に書いてある、敵の前の宴会のこともあります!
「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしの頭に油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。」詩篇 23
これを覚えてください:
もっともっとを与えてくださいと祈る時は、足りないからではなく、まだ経験していないからだけです。

実は、自分の中に、永遠の命に至る聖霊様の泉があります。食べて、満腹になり、またお腹が空いて、また食べます。
私たちの杯も溢れています。ぶどう酒をいただいて、飲んで、満足して、また喉が渇いて、またいただいて飲みます。
神様との生きている関係です。信仰生活の潮の満ち引きのうようなものです。

常にお腹が空いている人は、問題です。栄養失調です。
常に喉が乾いている人は、大変です。脱水症状です。
どちらも、不健康的です。

制限のない食物、ぶどう酒があなたの中にある!
「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」コロサイ 1:27
目の前には、宴会があります。生ける水の川があなたの中にある。

自分で奮い立たせることではなく、イエス様にあって、あなたの中に既にあるものに目を止めるのです。
足りない、弱いところからではなく、
「力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現れる。」(まで)詩篇 84:6-7
この豊かな乏しいことのない心の平安を経験したことのないクリスチャンは、イエス様に来て、飲みましょう。
「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」黙示録 22:17
目を自分から離して、イエス様に留め、満ち溢れるその豊かな恵み、愛、平安に留まりましょう。

詩篇 23と 84をもう一度聞きましょう。
この言葉を聞きながら覚えてください。

主の宴会、ぶどう酒、満たし、溢れは聖霊様によってすでにあなたの中にあります。


ジョッシュ・ウッド、トーベン・ソンダーガード、「神の臨在をもてなす」集会

[English Below]

今週のイベント盛りだくさん!
・24日〜27日:ジョシュ・ウッド&キングダムアライアンスリーダーシップチーム(高槻、沖縄)
25日〜27日:トーベン・ソンダーガード:大阪キックスタートセミナー(高槻)
25日:「主の臨在をもてなす」金曜日の集まり(西宮市)


ジョシュ・ウッドキングダムアライアンスリーダーシップチーム
概説:イエス様がどこへ行っても超自然的な愛と力を持って毎日を送られたように、ジョシュ師とキングダム アライアンスリーダーシップチームはそれをゴールとし、教会を訓練し、また整えて、より深く神 の愛を理解し、主の子供としてのアイデンティティーと、イエス様を通してイエス様のように生き ることを教えます。

2015年9月24日(木)
7時〜 集会
ユース・ウィズ・ア・ミッション
大阪府高槻市上牧町2-15-3
阪急上牧駅から徒歩10分
地図


2015年9月25日(金)
読谷インターナショナルチャーチ
〒904‐0303 読谷村字伊良皆 290

電話:098 956 3697 Web site: http://www.yicasia.org/

7 pm: 牧師及びリーダーとのミーティング

2015年9月26日(土)

9:30am1:30pm
1:30pm
4pm 昼食
4pm7 pm イエス様が行ったように、外へ出て伝道
( 場所につきましては当日お伝えします)

2015年9月27日(日)
10am 読谷インターナショナルチャーチ 朝礼拝 
4pm7pm イエス様が行ったように、外へ出て伝道
( 場所につきましては当日お伝えします) 費用: 皆さんの時間のみ! 


An Eventful Week!
• Josh Wood and team from Australia (Takatsuki & Okinawa: info below)
• Torben Søndergaard: Osaka KickStart Seminar (Takatsuki)
Hosting His Presence Friday worship meeting (Nishinomiya)

Josh Wood & Kingdom Alliance Leadership Team

Just as Jesus walked in supernatural love and power every day and everywhere He went, Josh’s and the Kingdom Alliance Leadership Team’s goal is to train and equip the church into a deeper understanding of God’s transforming love, their identity as His children and the life that they can live through Jesus and like Jesus.

KANSAI REVIVAL MEETING in TAKATSUKI
Thursday September 24, 2015
Come and join us for a powerful night of worship, teaching and signs and wonders open to all in Takatsuki, Japan. Right in the centre of the Kansai region.
Already in this trip we have seen many powerful miracles and healings as the Spirit of God is being poured out with fire!

7pm Start

Youth With A Mission Osaka-Takatsuki
2-15-3 Kanmaki-cho, Takatsuki-shi, Osaka-fu, 569-0003, Japan
10 minutes walk from HANKYU KANMAKI station.
Please check the MAP

OKINAWA
September 25, 2015
Yomitan International Church
290 Iramina, Yomitan‐son, Okinawa 904‐0303

Phone# 098 956 3697; Web site: http://www.yicasia.org/

7 pm: Pastor and Leader Casual Meeting with the Team

September 26, 2015
9:30am‐1:30pm
1:30pm‐4pm Break for lunch, rest
4pm‐7 pm Doing what Jesus did! Outreach in community
( Location to be announced ) 

September 27, 2015
10am YIC Morning Service
4pm‐7pm Doing what Jesus did! Outreach in Community
( Location to be announced)


Cost: Your time!

「主の臨在をもてなすことは、愛、喜び、平安の元」



数年前に、今までで一番印象的な預言の言葉を友人からいただきました。
毎週の男性の集まりで、最後に祈り合った時、友人のマットさんが、突然「ジェフのために、6:03am という時間を時計が示している絵を見ました。何か意味ありますか?」と尋ねました。
「そうですね。僕は、毎朝ちょうど6:03am に起きます。」と返事しました。
そして、マットさんが続けました。「あなたが紅葉の風景の中、ゆっくり道を歩いて自然の中で神様の臨在を楽しんでいる様子を見ました。神様もあなたとの散歩を本当に楽しんでいます。」
ちょうどその時、私は毎朝秋の紅葉の中を散歩して、賛美し、祈り、神様の臨在と自然を楽しんでいました。
マットさんの言葉を通して、神様がとてもシンプルに、でもすごく感動的なことを伝えてくださいました。

「私はあなたと一緒にいるのが大好き!楽しい!」

これは不思議ですね。もちろん神様は私たちから離れることはありません。御言葉によると私たちの中にもおられ、そして私たちの思いも、すべてもことごとく知っておられます。
しかし、神様はもっと素晴らしいことを私たちから求めておられます。それは、関係です。関わりを持つことです。
関係と言いますと、ただ同じ部屋にいるだけではなく、

認め合い、
会話、話し合い、対話、
話すことと聞くこと、
見つめ合い、
注目し合い、
質問、答え、
笑い、
涙を流し、
沈黙の中、座っているだけのことも、
踊ることも。

人間関係には、当然のことですが、神様はあなたと同じような関係を求めておられることを知っていますか?
神様は、ただ私たちが宗教の掟、ルールを守る事を求めているのではありません。

宗教の人、旧約によって生きる人は、外面だけのルールを求めています。
イエス様による新約は全然違います。
エゼキエルが預言したように:
「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」エゼキエル 36:26 
また、イエス様が神様が求める関係をもっと明確に説明してくださいました:
「父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります…その方は、真理の御霊です…その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」ヨハネ 14:16-17

外面だけのルールや掟ではなく、うちに住まわれる方です。御霊です。イエス様の御霊。父なる神様の御霊。神様ご自身。
神様が共におられると言っても、その存在を無視すること、忘れることもできますよ!
と同時に、ずっと一緒におられる御霊の臨在を認めて、関心を持って、一日中関わり、話し合い、楽しみ合うこともできます。
神様は奴隷ではなく、召使ではなく、子供を求めています。

「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」ヨハネ 14:15

愛はもちろん従う、一緒に歩む決断に基づいています。と同時に、愛、喜び、平安、感動が溢れる感情もあるはずですね。
結婚関係も、法的な部分もあります。
一緒に助け合い、支え合い、仕え合う実用的な部分もあります。
しかし、結婚関係も、愛の感情が溢れる時も必要です。
こういう感情がなければ、関係がなくなるわけではありませんが、関係の充実した素晴らしさを味わう事が出来なくなるのです。

同じように、神様との関係も人生の全面に関わるはずです。

事実:私たちはイエス様を通して神様と繋がっています。結婚しています。
実用的なこと:御言葉を通して、神様の御声に聞き従う生活をしています。
しかし、感情的な部分も必要です:平安、命、愛、喜び、感動が溢れる日々を送ります。

良い感情、ポジティブな感情は、非常に大事なことです。人生の豊かな素晴らしい部分です。
聖霊の実の初めの3つ:愛、喜び、平安も感情に基づいています。

悪い、否定的な感情、ネガティブな感情は、警告灯のようなものです。
怒り、恐れ、悩み、鬱、憎しみ、恨み、妬み、欲張り、むさぼり、高慢、好色など:こういう感情は全部私たちの思いが神様の御心にそえていない、服従していない象徴、警告のようなものです。

また、何もない感情、無関心、面白くない、無感情、生ぬるい感情などは、神様の愛、喜び、平安と感動を抱いて、経験するための神様からの招きです。
「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」ローマ 8:6
この御言葉を言い換えれば:
「悪い思い、悪い感情などは私たちの命を奪います。人生が楽しくなくなります。だんだん暗くなり、希望が見えなくなります。しかし、御霊による思いと感情は、命、平安、喜び、愛、感動に溢れています。御霊による思いと感情を選びましょう!」

主の臨在をもてなすの集まり

最近、毎週「主の臨在をもてなす」集まりを行っています。
もちろん、私たちは絶対に神様から離れることはありませんので、いつでも、どこでも、主の臨在をもてなすことはできますよ!
一人で、自分の部屋の中でも、混んでいる、人ごみの中や満員電車の中でも、主の臨在をもてなすことはできます。

しかし、この集まりの目的は、皆で、賛美し、礼拝し、急かさないで、ただ主の臨在を楽しむことです。
説教は用意していない。人の話は控えめにしています。
数時間、神様に目を向けて、一緒にその臨在を楽しんでいるだけです。
楽しむことだけが目的ではありません。神様も私たちのことを楽しんでおられるのです。
私たちが賛美を楽しむよりも、神様が私たちのことを楽しみ、喜んでおられることに常に関心を持つことですね。

ある人は、「ええ、数時間賛美すること?退屈?!」
しかし、不思議にこの時間を捧げてそうすれば、平安と喜びが増し加えられ、一週間中、神様が共におられる関心が高まります。
週一回の合同の集まり自体が目的ではありません。
私たち皆、週7日間、一日24時間、神様の子供として愛され、神様が共におられ、御声に聞き従い、思いと感情の一新によって、神様と歩むことですね。

忙しい毎日の中で、長い時間を取って、主の臨在をもてなすために、賛美と祈り、ソーキング、ただ主の臨在を認めて浸ることだけでも、忙しい私たちには難しいですね。しかし、優先順位の問題です。
イエス様の招きです。
律法ではありません。
もしできなくても、神様があなたのことをがっかりして、怒ることなんかありません。

しかし、イエス様とどれほどの親しい関係を求めていますか?
私たち次第ですね。
また、人生の平安、喜び、愛がどれほど欲しいですか?
もう十分ですか?足りていますか?
平安、喜び、愛、希望は、一生懸命作るものではありません!探しても見つかりません。

イエス様との親しい関係を育むときに与えられる副産物です。
イエス様が言われたように「私は命です。」

命:つまり平安、喜び、愛、希望は、ものではなく、そのお方です。
イエス様です。
朝6:03am でもいいし、
よる、10pmでもいいです。
昼でもいいし。
2−3時間でもいいし、一日中、5分ずつ何回もでもいいです。
あなたの人生にあった、リズムを作ってください。

主の臨在をもてなす毎日の習慣を積極的にはぐくんでください。

自分の教会の賛美の集まりの中で、皆で主の臨在をもてなしていることを覚えてください。

「主の臨在をもてなす」関西の集まり
また、金曜日の夜、関西在住の時間のある方、ぜひ一緒に主の臨在を楽しみましょう。
毎週、金曜日7時〜10時、西宮市

東京の集まり
関東の方、毎週火曜日、YWAM主催のリビングルーム集会にぜひ参加してみてください。
YWAM 主催、東京のリビングルーム集会、毎週火曜日7時〜9時、本郷三丁目駅より徒歩8分、ICA教会2F

Hosting God's presence births love, joy, and peace in our lives. Of course our lives are founded on what God has done through Christ, and we live lives of walking out love through obedience to His voice, but joyful emotions are a huge necessary part of our experience.
Let's learn to linger with God in worship!

“Hosting His Presence” Kansai weekly meetings
Every Friday 7pm to 10pm, Nishinomiya city
[Details & map here]

YWAM Tokyo - Living Room meetings
Every Tuesday 7pm to 9pm, Hongo San-Chome station, ICA Church
[Details & map here]