Onfire Live!「真理はあなたを自由にします!ー 私でなく、私の内に生きておられるキリスト」



King of My Heart
私の王、逃れの山に、乾かぬ泉となってください
私の王、隠れる影に罪のすべてあがなってください
You are good good , oh(主は良い、良い、方)

私の王 旅路の風に嵐のいかりとなってください
私の王、内なる炎、日々の命刻んでください

You’re never gonna let, never gonna let me down
決して私を見捨てることはない

No Longer I - Matt Redman
十字架の元に光みつけ心の重荷取られた
信仰により 私でなく内におられる、キリスト
目が開かれ 十字架に走り 救われた愛、歌う
イエスの死こそが 私の命 走れ、走れ、十字架に

絶えない希望 救いのイエスと 共に甦られた
恵により 私でなく 内におられる、キリスト

私でなく、私の内に 生きておられる キリスト

御言葉:
ヨハネ 8:32「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
ヨハネ 14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」
ガラテヤ 2:20「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

「聖霊様に従う事は冒険です」ジェン・ジョンソン Adventure of Following the Holy Spirit - Jenn Jo...







同時通訳:相馬伸子



詩篇34:3、ルカ1:46 



今日のタイトルは、「聖霊様に従うことは冒険」です。最終的にこの話をしますけど、途中にいろんなところにドライブして到着する予定です。



「拡大」大きく見る、あがめる、事が最初です。何を私たちは「大きくみて、注目する」ことをしますか?「肯定的なこと、否定的なこと」両方ありますね。



日々の小さな出来事を、デビルは使って、私達の視野、視点、注目する場所を、神様の視野、天の心、神様のやっていることから、問題や、ネガティブなこと、自分たちのことにずらそうとします。でも、私達は既に運転している「神の道」から、一瞬、それらによって外れたとしても、「デビルお前に喜びは盗ませない、今日はお前の出番じゃない」と拒否する事ができます。



問題に注目しないで、その状態の中にいる「インマヌエル」である 共にいる神様を見ましょう。私達はそれで、天に上がり、天の視野、方法、天のお父さんが話しているように 話すことで、地上を変える事ができます。私たちは皆が、変化をもたらすために 召されているます。



マリヤは喜びから、主を「あがめ」ましたし、ダビデは悲しみから、苦しみから、「我が魂よ、主をほめよ」と言いました。



愛が中心でなければ、あなたが人を愛していなければ、口を開かずに、黙っていましょう。現代の情報時代、インターネット時代には、どんなこともでも情報があり、簡単に思ったことを書いたり、話していますが、それは神の王国の方法でしょうか?

聖霊に従っていくことは、「冒険」です。



私が、14歳の時に、聖霊様の声を聞く練習をしようとして「聖霊様、私に語ってください。なんでも言われたことをします」と言いました。結果は、礼拝中に私が教会のある夫婦にキッチンで水を振りかけている絵が見え、バカバカしいと思いながら、同時にそれが主であることをとても感じだので、結局その夫婦に「今、聖霊様の声を聞く練習をしているけど」と言って、キッチンに来てもらって、死ぬほど緊張したけど、水を振りかけた瞬間、「あなた方は、仕事が終わって帰宅するとイライラして、互いに戦っているが、それは「悪霊」がやっていることで、それは今日終わる」と主が言われます。と私の口から言葉が出て来て、驚きました。



聖霊様に従うことは、人生の全ての分野に渡ります。あなたの心が完全に主に委ねられているなら、考えるプロセスを通り越して、霊で歩むなら、主はあなたを通して素晴らしいことをします。そして、それは神に対しての従順であり、人の意見や、結果のためではないのです。あなたが、聖霊様に従順する時、力を尽くして主を礼拝する時に、おかしい人と思われるかもしれないです。が、報いは素晴らしいです。



日本語動画:https://youtu.be/X8RBmrVVPt4

日本語音声:http://www.onfirejapan.com/mp3/2016-11-25_Following_the_Holy_Spirit.mp3

英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4287/the-adventure-of-following-the-holy-spirit-sunday-pm/2016/10/09



ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp




「祭司のくに」ビル・ジョンソン A Nation of Priests - Bill Johnson JAPANESE





同時通訳:相馬伸子



創世記12:1〜3

出エジプト19:5、6

エペソ2:12〜16、3:9〜4:1

1ペテロ2:9



神様は全ての国々、全人類を愛され、その手を差し伸べていましたが、全ての人は、拒絶しました。

そしてノアを選び、彼によって、新しく人類を増やしました。

イスラエルという国は「最も小さい」国でした。その意味は、イスラエルを過小評価するのではなく、神様の偉大さを最も小さな私を用いて、明らかに神様の栄光が見えるように選ばれました。



神様はイスラエルという「国」に全世界に対しても、同じようにされる「愛」を注ぎ、それによって周りの国々が神様を見、知り、選ぶことができるようにしました。イスラエルの国は「祝福を受けて、分け与える」事を召されています。

イスラエルは、「主への祭司」として、選ばれましたが、国としてそれを拒否したので、神様はレビ族を選び、国全体にさせようと思った事をさせるようにしました。「主の祭司」の最も重要な勤めは、「御声を聞いて、それに従う」事です。関係性の中にあるものです。従う事、使命は、「最終到着地」よりも大事です。



イエス様はご自分の肉で、二つのものをひとつにされました。異邦人とユダヤ人の間にあった、最も高い、遠い分断と壁を壊されました。それは、父の御心で、三位一体の神のうちにあるものです。神様の本質の一致です。そして、イエス様が祈った「私とあなたが一つであるように彼らも一つとしてください」なのです。



教会は、霊の領域に対して、必ずみなければならない映画のスクリーンのようなのです。霊の領域のものたちは神の御子が、反抗する人類の為に死なれたことが、理解できず、ショック状態です。教会が神の豊かな知恵を持って歩むことで、「この神の永遠の計画」は効果がある、そのとうりであると思うのです。



私たちは、大きな歴史の流れ、神様のしていることのなかに入れられたのです。自分たちの人生以上のもの。もし私が神の御心に従わないときに、これから先の人達から、私は盗むことになります。神様が私の人生を通して将来の人々に与えたいことがあるのです。これらは私達の選択に大きく影響されているのです。



ペテロは「しかし、あなた方は、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です」と宣言しているのです。過去には、「あなたは神の祭司になるでしょう」と預言し、将来の事であると、語られてきましたが、今はすでに現在形です。「あなた方は、王である祭司」なのです。今は、その時がきているのです。



日本語動画:https://youtu.be/rTGONQAruKw

日本語音声:http://www.onfirejapan.com/mp3/2016-11-11_Nation_of_Priests.mp3

英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4281/a-nation-of-priests-sunday-pm/2016/10/02



ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp


「愛の旅」3週間のデボーション “Journey of Love” 3 Week Devotional in the Love of God


「愛の旅」3週間のデボーションを紹介します。
「天のお父さんからのラブレター」の続編で、毎日の短い文章と動画を通して、神様の愛を体験して下さい。

紹介:https://www.youtube.com/watch?v=fqZqlgJIlAc
HPからのアクセスは:http://fatherslovejp.blogspot.jp/
プレイリスト:https://www.youtube.com/playlist?list=PLMZViWaFQ6vO7Bd4ZSbKxjixEoYbqLwln

クリスチャンでない人、初心者向けですが、誰でも神様の愛を体験し、リフレッシュしたい人は、どうぞアクセスして下さい。

ユダが私たちに勧めています。
「神の愛のうちに自分自身を保ち(なさい。)」ユダ 1:21
また、パウロが私達の為に祈っっています。
「愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」
エペソ 3:17-19
神様の愛の基礎、土台に根ざすこと、そして、その愛に留まることがどれほど大切か、皆さんにも、その啓示が与えられますように。人知を遥かに超えたものなので、啓示以外で神様の愛を知ることはできません。
天のお父さん、どうぞ、あなたの子供たちに、人知を遥かに超えるあなたの愛の啓示を与えてください!

“Journey of Love” 3 week devotion series on the Love of the Father - JAPANESE
Continuing from the “Father’s Love Letter”, we have created a simple 20-part series of devotions to lead people to know and experience the love of God.

Check out the introduction here: https://www.youtube.com/watch?v=fqZqlgJIlAc
The website here: http://fatherslovejp.blogspot.jp/
The playlist here:  https://www.youtube.com/playlist?list=PLMZViWaFQ6vO7Bd4ZSbKxjixEoYbqLwln

It is aimed for new, or pre-believers, but anyone will benefit by the refreshing truth of His love for us!

Jude encourages us:
“Keep yourselves in God’s love…” Jude 1:21
And Paul prays for us:
“I pray that you, being rooted and established in love, may have power, together with all the saints, to grasp how wide and long and high and deep is the love of Christ, and to know this love that surpasses knowledge--that you may be filled to the measure of all the fullness of God.” Eh 3:17-19
This is our prayer: that we will have a revelation of how important it is to remain rooted and grounded in His love. It surpasses knowledge, in other words, we can only know His love by His revelation!
Father! Please reveal to us your incredible love that surpasses knowledge!




「神の家族」ビル・ジョンソン Family of God - Bill Johnson JAPANESE







Family of God - Bill Johnson JAPANESE INTERPRETATION

同時通訳:相馬伸子



詩篇68、エペソ3:14、15、詩篇23

神の御国、王国は、必ず「家族」というから出発する事が必要です。教会は、神の家族ですから、関係性です。関係によるものです。夫と妻それは、地上の事でもあるけれど、霊的な事柄、キリストと教会の関係を言っていると パウロは言いました。ここには秩序があります、その秩序は、命を最大限に解き放つための秩序です。秩序のための秩序ではないのです。それは、父の心です。



教会に関係性がない時に、それは組織や、学校になってしまうのです。リバイバルも、関係性があるなら、世代にわたって続く事ができます。関係性がない時に、それは集会や、メッセージにより頼んでしまうのです。



私は自分の家族の中で、成功する事なく、ミニストリーで成功することはしたくありませんでした。ですから、私が最も時間をとり、み言葉を学び、主の前で祈り、求めたことは、「父親」と「夫」として成功するためでした。まず、自分の家族で成功してから、それを外に運び、人々がそれをするようにしたかったのですし、私の性質はそういうものなのです。



詩篇の68から、分かることは、父の心は、孤児、やもめ、傷んだもの、弱いものに向けられ、それらの「弱さ」は神の憐れみが惹きつけられるところであり、家族の中、主の食卓にあっては、弱さも覆われるのです。



エペソ3:15節で見える事が出来るのは、「父性、家族」というものの 源は神であることです。



私は今年の始めに、自分の健康問題で、難しい時を体験しました。ベットに寝ている時、特に痛みがひどい時に、詩篇の約束、預言を読みました。その中で、詩篇23の中の「たとえ死の谷の影を歩く事があっても、私は災いを恐れません、あなたが私と共におられますから」を 体験しました。死の影の谷を歩かなくては、会う事がない主の臨在があることを体験しました。



私は若い時から、「妻と子どもは自分との繋がりのゆえに代価を支払うことになってしまうし、それを自分はコントロールできない」事を知っていました。でも、私がコントロールする事が出来るのは「報いを与える」事でした。天の父の心は「豊かに報いを与える」事ですから、それは、良い事です 



日本語動画:https://youtu.be/nGcIaJQ-QgU

日本語音声:http://www.onfirejapan.com/mp3/2016-11-8_Family_of_God.mp3

英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4232/the-family-of-god-sunday-am/2016/09/18



ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp


ハロウィーンアウトリーチ Halloween Weekend Outreach


[English below]
ハロウィーンアウトリーチ
日付:2016年10月30日(日)、31日(月) 
場所:大阪、心斎橋、アメ村

ここ数年間、悪魔や魔術に起源を持つお祭りであるハロウイーンが、アメリカの楽しいお祭りとして日本でもとても流行っています。ハロウィーンパーティーなどに参加するために、多くの人たちが街に溢れています。私たち自身はハロウィーンをお祝いする目的はありませんが、その人たちに神様の愛を伝える素晴らしい機会として、ぜひ、一緒に街に出て行きましょう!

2016年10月30日(日)、31日(月)
以下は当日のおおまかな流れです:
簡単なトレーニングの後、小グループに分かれて出かけます。
賛美と祈りをしながら、主の導きによって、人を祝福するチャンスを求めていきましょう。
その人と出会ったら、神様の愛と力を伝えましょう。
「御国を宣べ伝え、病人を癒し、悪霊を追い出しなさい。」(ルカ 9:2、マタイ 10:8)
服装、コスチュームなど:
コスチュームを着ている人たちの中へ出かけて行きますが、アウトリーチに参加する人は、ハロウィーンに参加することに抵抗のあるクリスチャンにも心を配り、派手なコスチュームや悪霊、死神などを思わせる否定的なコスチュームなどはご遠慮ください。ぜひ、そのためにも祈ってみてください!知恵をいただいてください!ワンポイント(帽子、その他の被り物、メガネ、マスクなど)の小物や、動物の着ぐるみなど、会話を切り出しやすくするためにも、導かれたら、簡単な仮装をするのは構いません。

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スケジュール
30日(日)
午後の祈り・賛美・アウトリーチ
2:00pm - 三角公園集合
https://goo.gl/maps/Don3qbwibxC2
祈り・賛美
3:30pm - 終了

夕方祈り、トレーニングとアウトリーチ
5:00pm - ONE WAY CHURCH 3F で集合(心斎橋駅から8分、徒歩)
https://goo.gl/maps/EoQdZWDbVWM2
賛美、祈り、プチトレーニング
6:00pm - チーム出発
8:00pm - 集合、報告

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31日(月)

夕方祈り、トレーニングとアウトリーチ
5:00pm - ONE WAY CHURCH 3F で集合
賛美、祈り、プチトレーニング
6:00pm - チーム出発
8:00pm - 集合、報告


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HALLOWEEN OUTREACH - Oct 30-31
Dates: Sun Oct 30th, Mon Oct 31st
Place: Ame-mura, Shinsaibashi, Osaka

Vision:
Halloween has become more and more popular in Japan over the last few years and thousands of young people take to the streets in costume for Halloween parties.

I personally do not celebrate Halloween — it was never a part of my NZ culture growing up — and I have some strong reservations about its roots and what it stands for… HOWEVER! Taking every opportunity for Christ, there will be thousands out on the streets and we would like to introduce them to the POWER and LOVE of JESUS!

We are co-ordinating an outreach over the Halloween weekend of Sat, October 29 to Monday 31st.
If you are in Osaka area, please come and join us!
Or, take the opportunity in your own area to reach out to so many with the LOVE and POWER of God.

The strategy is simple: encounter people through the love and power of God; preach and share the gospel as the opportunity arises, pray for whatever needs people have.
“Preach the Kingdom, heal the sick, cast out demons.” (Luke 9:2, Matt 10:8)
OVERVIEW:
Training Activities: Prayer, vision casting, practical training in outreach, sharing and prophetic evangelism
Outreach Activities: Prayer walking, worship and prayer, approaching people to share, pray etc. using treasure hunting (word-of-knowledge), surveys etc.

COSTUME:
Please come with respect to those who DO NOT participate in Halloween costumes. Wearing some sort of dress-up would actually make it easier in outreach to approach people. At the same time, we would like to be sensitive to what our costumes might communicate to people, and be sensitive to other believers who do not wish to participate in any aspect of Halloween.

“Pray!”
We are not fighting FOR victory, but FROM victory in Christ.
We are also aware of the devil’s strategies to compromise the bold proclamation of the gospel.

For the King(dom)!
Jef Linscott

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SCHEDULE
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Sunday 30th

AFTERNOON PRAYER/WORSHIP/OUTREACH
2:00pm - Meet at SANKAKU-KOEN 
https://goo.gl/maps/Don3qbwibxC2
Prayer/worship at the park
3:30pm - Finish

TRAINING & OUTREACH
5:00pm - Gather at ONE WAY CHURCH 3F (8 min walk from Shinsaibashi subway)
https://goo.gl/maps/EoQdZWDbVWM2
Worship, prayer, training (everyone!)
6:00pm - Teams go out
8:00pm - Re-group, report back

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Monday 31st 

TRAINING & OUTREACH
5:00pm - Gather at ONE WAY CHURCH 3F
Worship, prayer, training (everyone!)
6:00pm - Teams go out
8:00pm - Re-group, report back


「永遠のムーブメント」エリック・ジョンソン







Timeless Movement - Eric Johnson JAPANESE INTERPRETATION

同時通訳:相馬伸子



使徒5:33〜42、使徒15 

私達が今、関わり、この教会で体験し、色々な所に旅行しながらしている事は「ムーブメント」です。

そして、これは「時間のない所」で最初に神様によって始められ、そして、私達の為に時間を作り、その中に「ムーブメント」をおき、私達が参加し、現れる事が出来るようにされているのです。



福音は永遠です、なぜなら神が始められた事であり、神には「終わり」がないのです、神ご自身が「始めであり、終わり」である方であり、それが神様の本質です」

色々なムーブメントは、流行りもありますが、でも私達は流行る福音を作るのではなく、この福音、ムーブメントの中心がイエスキリストであり、イエスキリストの為である時に地上にあるけれども「永遠の領域」にある事になるのです。

私達はこの「ムーブメント、福音」を置かれた文化の中で受け入れ、アダプトしています。自分のものとして、適応していますが、周りに受け入れられやすいように本来は「刺す」べきである角を削り、丸く合わせる事は、水で薄めるような事は出来ません。



ペンがどのようにしてペンであるのでしょうか?それは「書く」事ができるからであり、見かけではなく、機能です。

永遠のムーブメントである「福音、イエスキリストの福音」も、見かけは変わっても、本質は薄められないのです。

私達は「この世」のなかに住み、そこで、このイエスキリストを伝えるのですが、どのように文化や社会に影響を与えるのでしょうか?



使徒の働き15章では、エルサレムでリーダー達が会議をしていました、まったく想定外だった異邦人に聖霊が注がれたからです。

パウロが現地の証をもって、会議に現れ、そこで福音は、ムーブメントは、前進していきました。もともと、全世界に出て行くものだったからです。



イエスが探しているのは、主が与えたアイディアを受け取り、その流れを続ける人たちです。



私達は政府に影響を与えています、それを継続する為には「賢さ、多様性、繊細さ」が増加する必要があると主が語っているように感じます。



日本語動画:https://youtu.be/2Y0KYDidLsE

日本語音声:http://www.onfirejapan.com/mp3/2016-10-20_Timeless_Movement.mp3

英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/the-timeless-movement

英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4221/the-timeless-movement-sunday-am/2016/09/11



ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp


「神様と政府」クリス・バロトン





God and Government - Kris Vallotton JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子 

マタイ28:17 ローマ4:17、18 イザヤ9:6.7 、ローマ13:1〜7、ダニエル 

イエスはマタイ28:17で 「天においても、地においても私にいっさいの権威が与えられています、だから、あなた方は国々を弟子としなさいと」言っています。
その意味は、「国々の父、母」となると言う意味ですから、それはアブラハムに与えられた約束です。そして「子孫たちは国々の父となる」ということでヤコブが実際イスラエルとなり、国の父と成りました。
イザヤ9:7では「その主権は増し加わり、その平和は限りなく」とあります。神の王国、主権というのは、永遠に変わらないサイズの王国があるのではなく、指数関数的に増加しているのです。あなた、私のうちにイエスが来たらそれは、神の統治、王である私達をイエスが王として治めるので、王国が広がっていることです。

神は政府と教会を異なる方法で、導きます。教会を愛で導き、世の政府を力、必要なら武力を使います。
政府の役目は、私達の弱点を覆い、長所を増加させ、私達の使命の中に送り出していくことです。
ローマ13章はローマ人に皇帝ネロの時代に書かれました。
「神の国」を神が治める原則を言いましょう、それは「選択」をさせることです。神は「選択」の神です。ですから、「律法」と自由意志を与え、互いに傷つけないなら、自由にすることができる、そのようです。
神は義人と悪人を両方とも値しないような憐れみを持って、接します。両方に太陽を昇らせるのです。

政府は「神の怒り」を示すことができるように神はデザインしています。
あなたの近所の人が、あなたを殺そうとした時に、警察や政府の「武力行使」を恐れて、おとなしくして欲しいでしょう。
そのようにして、「人が人を傷つける」事から神は人を守るようにデザインしました。

政府の仕事は「人をクリスチャン化」するのではなく、教会の仕事が「人が神の国のやり方を選択できるようにする」のです。
政府の仕事は「平和」を作るためであり、そのために権利と剣を持つ事が与えられています。
政府の中に私達が進もうと、影響を与えるようにするなら、考え方を教会が変えなければならないでしょう。

ダニエル、ヨセフ、エステルのような人々が沢山今、建てられています。
彼らの「蛇のように、さとく」「鳩のように素直」である事が政府の中に働く道です。


ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp 



11月23日(祝)ワーシップダンス・ワークショップvol.3 Worship Dance Workshop vol.3- Nov.23rd


沖縄、神戸で行われたホームカミングギャザリングから始まり、神にあって解放されたダンサ ーたちは、日本において、さらに主の臨在をもてなし、主の栄光が現されるために用いられることを願っています。

私たちはこの夏、Davids Of The Tabernacleという名前のダンス・グループを立ち上げるように導かれ、自分たちの体験した恵みを、日本の各地で分かち合い、共に励ましあって成長するためのワークショップを定期的に行っています。

11月も、関西の西宮市で、ダンスワークショップを行います。


以前に参加された方はもちろん、ダンスの経験はないけれど、神の前で踊りをもって礼拝、賛美したい方、ダンスの経験はあるけれど、どのように神の前で踊ってよいかわからない方、ぜひ主に祈って導かれたらご参加ください。対象者は14歳以上の女性です。(託児はございませんので、ご了承願います)

<日時とスケジュール>
2016年11月23日( 祝)
セッション1 13:00~13:50 (動きのセッション)
休憩 
セッション2 14:00~14:50 (解放と一致のセッション)
休憩
セッション3 15:00~16:00  (創造のセッション)

<必要なもの>
☆動きやすい服装、上履き用ランニングシューズ、飲みもの、タオルをお持ち下さい。

<場所>
西宮市立勤労青少年ホーム、4階、小体育室
西宮市松原町2-37 電話 0798-35-5286
地図 GOOGLE MAP

阪神西宮駅から東に徒歩 7分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 7
駐車場はありますが、満車の場合が多いので、西宮市役所の駐車場、または近くにあるタイムズなどをご利用ください。

☆レッスン代はドネーション(献金)となります。


<主催>
Davids Of The Tabernacle 代表 兵庫江美
(予約&お問合せ)
emihyogo@yahoo.co.jp

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Worship Dance Workshop - November 23
Ever since the Homecoming Gatherings in Okinawa and Kobe more and more people are being released in dance to worship and release the glory of God.
This past summer Emi Hyogo felt led to begin a dance ministry, Davids of the Tabernacle, to gather together to share from her own experience and the grace of God the blessing of dance through regular workshops all over Japan.

On November 23rd (public holiday) she will hold the third seminar in Nishinomiya, Kansai.
You do not have to be experienced in dance, but just open to dancing and worshipping before the Lord in freedom. The workshop is open to anyone 14 years or older;

Date and Time
November 23, 2016 - (Wednesday, Public holiday)
Session 1 - 1:00pm ~ 1:50pm - Movement
Break
Session 2 - 2:00pm ~ 2:50pm - Freedom and Unity
Break
Session 3 - 3:00pm ~ 4:00pm - Creation
Donations accepted for the Lesson fee.

What you Need:
Please wear easy-to-move clothing, indoor shoes (sports shoes for use indoors only etc.), a drink and a towel.

Location
Kinro Kaikan - Youth Home - Small Exercise Room 4F
Nishinomiya City Workers’ Union Building - Youth Building is on the NORTH side of parking
2-37 Matsubara-cho, Nishinomiya
Please check the map here: GOOGLE MAP

Access by car: Car park available, but if it is full then please use the Nishinomiya City Hall parking lot;
Access by train: 7 minutes walk east from Hanshin Nishinomiya Station 7 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya

Sponsor
Emi Hyogo of “Davids Of The Tabernacle”
emihyogo@yahoo.co.jp

「皆が預言する」ビル・ジョンソン All Must Prophesy - Bill Johnson JAPANESE







同時通訳:相馬伸子



民数記11:24〜29、イザヤ51:12〜16 イザヤ59:21 エペソ4:29 使徒3:24、25 



今日、私が話す「預言的、預言」というのは5役者の預言者ではありません。

旧約の時代には、ほとんど神の民に主の霊が注がれると、「預言」して、神のことばを語りました。

それは「主の霊に満たされた、注がれた」事の現れのようでした。



預言は「自分の目的、計画」の為にするのでは決してありません。父の心を聖霊によって、信者、神の民の口から語られる、それによって「すでにある、天が地に解き放たれる為の的をつくる」ような事です。私達は、「使命」を語り、人々の中に隠れている金を見つけ、語り、人々の人生を全く方向変換する事ができます



今はメディアによって多くの嘘が流され、意図的でなくても、混乱や、疑いを持つ事になります。疑いは、預言の霊の偽物のように働きます。情報を得る事で、「これは、正しくない」という事を感じ、情報を解釈し、そこから語ることです。



イエス様は私達預言的な民の為に、高い基準を作りました。父の言葉を聞いて、それだけを語ったということです。自分の思いから語る者は自分の栄光を求める事であって、父が語っている事を語ることを望まないなら、自分に栄光を返すことへのドアが開いてしまいます。



イザヤ59:21で、神の霊が、私達神の民にとどまり、神の言葉を民の口にあたえ、その子孫達にある、離れない、と約束されました。ですから、私達は、神の民ですから、奇跡、印、癒しだけでなく神の言葉が語らえる事が必要です。



日本語音声:http://www.onfirejapan.com/mp3/2016-10-13_All_Must_Prophesy.mp3

英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/all-must-prophesy

英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4171/all-must-prophesy-sunday-am/2016/08/14



ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp

10月10日(祝)ワーシップダンス・ワークショップ Vol.2 Worship Dance Workshop vol.2 - Oct.10


沖縄、神戸で行われたホームカミングギャザリングから始まり、神にあって解放されたダンサ ーたちは、日本において、さらに主の臨在をもてなし、主の栄光が現されるために用いられることを願っています。

私たちはこの夏、Davids Of The Tabernacleという名前のダンス・グループを立ち上げるように導かれ、自分たちの体験した恵みを、日本の各地で分かち合い、共に励ましあって成長するためのワークショップを定期的に行っています。

10月も、関西の西宮市で、ダンスワークショップを行います。

以前に参加された方はもちろん、ダンスの経験はないけれど、神の前で踊りをもって礼拝、賛美したい方、ダンスの経験はあるけれど、どのように神の前で踊ってよいかわからない方、ぜひ主に祈って導かれたらご参加ください。対象者は14歳以上の女性です。(託児はございませんので、ご了承願います)

<日時とスケジュール>
2016年10月10日( 祝)
セッション1 13:00~13:50 (動きのセッション)
休憩 
セッション2 14:00~14:50 (解放と一致のセッション)
休憩
セッション3 15:00~16:00  (創造のセッション)

<必要なもの>
☆動きやすい服装、上履き用ランニングシューズ、飲みもの、タオルをお持ち下さい。

<場所>
西宮市立勤労青少年ホーム、4階、小体育室
西宮市松原町2-37 電話 0798-35-5286
地図 GOOGLE MAP

阪神西宮駅から東に徒歩 7分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 7
駐車場はありますが、満車の場合が多いので、西宮市役所の駐車場、または近くにあるタイムズなどをご利用ください。

☆レッスン代はドネーション(献金)となります。


<主催>
Davids Of The Tabernacle 代表 兵庫江美
(予約&お問合せ)
emihyogo@yahoo.co.jp

______________________________________________

Worship Dance Workshop - October 10
Ever since the Homecoming Gatherings in Okinawa and Kobe more and more people are being released in dance to worship and release the glory of God.
This past summer Emi Hyogo felt led to begin a dance ministry, Davids of the Tabernacle, to gather together to share from her own experience and the grace of God the blessing of dance through regular workshops all over Japan.
On October 10th she will hold the second seminar in Nishinomiya, Kansai.
You do not have to be experienced in dance, but just open to dancing and worshipping before the Lord in freedom. The workshop is open to anyone 14 years or older;

Date and Time
October 10, 2016 - (Thursday, Public holiday)
Session 1 - 1:00pm ~ 1:50pm - Movement
Break
Session 2 - 2:00pm ~ 2:50pm - Freedom and Unity
Break
Session 3 - 3:00pm ~ 4:00pm - Creation
Donations accepted for the Lesson fee.

What you Need:
Please wear easy-to-move clothing, indoor shoes (sports shoes for use indoors only etc.), a drink and a towel.

Location
Kinro Kaikan - Youth Home - Small Exercise Room 4F
Nishinomiya City Workers’ Union Building - Youth Building is on the NORTH side of parking
2-37 Matsubara-cho, Nishinomiya
Please check the map here: GOOGLE MAP

Access by car: Car park available, but if it is full then please use the Nishinomiya City Hall parking lot;
Access by train: 7 minutes walk east from Hanshin Nishinomiya Station 7 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya

Sponsor
Emi Hyogo of “Davids Of The Tabernacle”
emihyogo@yahoo.co.jp

「あなたの家を岩の上に立てる」エリック・ジョンソン Building Your House on a Rock - Eric Johnson







Building Your House on a Rock - Eric Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子 

マタイ7:24〜29 

私は初めて4週間、1ヶ月の休暇、安息休暇を取りました。
その時には曜日を忘れるくらい、日常から離れて、家にはいましたが、でかけたところは、ホームセンターぐらいです。
長女を今年夏にメキシコの牧場での奉仕のキャンプに送り出しました。彼女を送る時も、迎える時にも泣きましたよ。
その時にわかったことは、自分がなんて豊かな男であるのかと言うことでした。娘たちは深く愛し合っていて、妻と僕もそうです。
このような関係を持てることは豊かです、富んでいます。

このように日常と離れて暮らすと心の中の普段は考えない事柄が浮かんできますね。今日はその話もします。
マタイ7章24〜27のメッセージは山上の説教の最後の部分です。
「この教えを聞き、行うものは岩の上に自分の家を立てる」また、「聞いても行わないものは砂の上に家を立てる」ものだと言われています。
「家」「砂」「岩」「天候」が重要な例えですね。家を建てますが、天候という力で壊れたり、それでも残ったり。
家とは「自分の人生、次の世代」であり「砂は〜今はもう無い物」「岩はゆり動か無い、しっかしと動かされ無い」「天候ー人生の出来事」。
あなたの人生をあなたがどこに建設しているか、気にしていても、しなくても、または大した事していないので、建設してい無いといっても、本当は建てているのです。
あなたの人生は「目的」「使命」があります、あなたの人生は「他の誰かに影響を与えます」。「自分の人生には全く影響力がない」という考えはひどい嘘です。
自分の事を話すならば、過去4週間で示された事があります、砂の上に城を建ててしまっていた事です。それは、自分の価値を自分がキリストにあるアイデンティティーではなく、仕事から得てしまっていた事です。ですから自分の過去数年のジェットコースターのような上がり下がりがあったとわかりました。
私達はよく、自分の心地よい「過去の砂」に家を建てる事もあります、変化を嫌うのです。でも神様は私達のように時間に束縛されず、同じように考えません。忍耐そのものです。
もし。砂の上に城を建ててしまっている事が「天候 人生のチャレンジ、危機」によって示されたら、それも感謝ですよ、後にそれがわかる方が大変です。


ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp 



「恐れの奴隷でなく」、「主は全てを受けるべき方」日本語 No Longer Slaves & Worthy of it All - JAPANESE

新しい賛美、2曲を紹介します。
歌と伴奏はイマイチ(歌詞の間違いも少しあるし😉!)ですが、心は100%です!
どうぞ、主の臨在を楽しみながら、一緒に賛美しましょう。
どちらも、歌いやすい、弾きやすい曲です。どうぞ、下記の歌詞とコードを使って、歌ってみてください。

Ok, so the music and singing leaves a little to be desired (complete with mistakes and mis-chords!) but our hearts are 100% set towards the Lord! Here are two songs that we particularly enjoy --- we have provided chords and Japanese lyrics below so please sing along in His presence.

「恐れの奴隷でなく」No Longer Slaves - JAPANESE 




D
主の歌で解き放ち
Shu no uta de tokihanachi

       G    A   D
わたしを包む
Watashi o tsutsumu

D
敵からも救い出し
Teki kara mo sukuidashi

   G        A    D
恐れ、消え去る
Osore, kiesaru

CHORUS

   G      A       D
恐れの奴隷でなく
Osore no dorei de naku

G    A    D
神のこども
Kami no kodomo

VERSE 2
D
初めから召し出され
Hajime kara meshi dasare

    G    A   D
名で呼ばれた
Na de yobareta

D
イエスの血で買い取られ
Iesu no chi de kai torare

 G    A   D
神の家族
Kami no kazoku


BRIDGE

Bm  A        D     G
海を分ち、道を作り
Umi o wakachi michi o tsukuri

Bm  A             D     G
恐れを愛で、消し去る
Osore o ai de keshi saru

Bm  A                D        G
救いを受けて、さあ、歌おう
Sukui o ukete saa utao

G    A     D
神の子ども
Kami no kodomo


「主は全てを受けるべき方」 Worthy of It All - JAPANESE




VERSE

C         D
聖徒と天使
Seito to tenshi

     C       D
御座の前に
Miza no mae ni

C          D
長老と一緒に
Choro to issho ni

           C   D   G
神の小羊に歌う
Kami no kohitsuji ni utau

CHORUS

               G
主は全てを
Shu wa subete wo

                 D
受けるべき方
Ukeru beki kata

       C                  D
万物を、すべ治める
Banbutsu wo sube osameru

                 G
栄光をあなたへ
Eiko o anata e

「勇気の日」ビル・ジョンソン師 Day of Courage - Bill Johnson





Day of Courage - Bill Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子 

1サムエル14、詩篇67、イザヤ60

サウルの息子、ヨナタンは非常に優秀で、勇敢な戦士でした。
1サムエル14では、彼は自分と、道具持ち(戦士でないもの)の2人だけで、山の上の方のペリシテ人の陣地に向かいました。
そして、彼は「たぶん主が我々に味方してくださるだろう。大人数によるのであっても、少人数によるのであっても。主がお救いになるのに妨げになるものは何もない」という素晴らしい事を告白しています。このフレーズを覚えてください。これは「新しくされた思い」で考えているものです。
人は「数」「サイズ」「時間」によって、束縛され、心配しますが、神にはこれらは全く関係ないのですね。思いが新しくされる事から見えるしや、言える言葉です。
8節から10節でヨナタンのいう事、行う事は「人間的に考える軍事的作戦」としては全くおかしいのですが、神のやり方は、不思議です。聖歌隊を軍隊の前に出して、歌わせよという事と同じようにおかしいですね。しかし神のやり方は、違うというところです。
13節では「ヨナタンが登ったら、ペリシテ人はヨナタンの前に倒れ、道具持ちがその後から彼らを打ち殺した」とあります。素晴らしいですね。

21節には「それまでペリシテ人につき、彼らと一緒に陣営に登っていたヘブル人も転じて〜イスラエルの側につくようになった」とありますが、イスラエル人としてのアイデンティティーを捨て、人生の生き方、服装、言葉を「敵陣」のようにして、敵陣の中にいたユダヤ人がいたのです。
しかし、先のヨナタンと道具持ちの勇敢な物語を聞いた時に、彼らはイスラエルの側に戻ってきました。何かが変わったのです。勇敢なストーリーが解き放たれる時に変化を心の奥深くに起こすのです。
22節には「エフライムの山に隠れていた」イスラエル人もペリシテ人が逃げたと聞いて、彼らもまた戦いに加わったとあります。
勇敢な物語が、解き放たれる事で「山に隠れている」神様の働きにつながっていない、人々もそこから出て、戦いに加わったのです。

証しを聞く事は、そのような働きをします。
問題に対して、神の民が、神の言葉を解き放ち天がそれに答え、イエスの栄光が見えるようになるのです




ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp 

「真の共同体を求めて探し回るのを辞めましょう!」ジェフ・リンスコット




ある興味深い見出しと短い記事を読みました。

「真の体(共同体、繋がる場所)を追い求めるのを辞めましょう。」というタイトルでした。

内容は、簡単に言いますと、どこかに完璧な人間関係、自分が所属するべき共同体があるはず!と言って、新しい場所を探し求めるのを辞めて、今、既に与えられている人々と一緒に、もっと深い関係を築く、それこそが真の共同体だという励ましの記事でした。

とても、考えさせられました。

教会の体、共同体は、まず、砕かれた人間の集まりです。
傷ついた人もいれば、いろいろな重荷を担いでいる人も居ます。そう言う人達が一緒に居ると、ぶつかること、傷つけあうことは、当たり前ですね。

ただ、その後、どうなりますか?

その関係に向き合う事をせず、逃げて、その人を避けますか?壁を造りますか?ある程度の距離を保てば、建前で付き合う事も簡単ですね?

それとも、7X77倍回 赦しあって、キリストに自分の痛み、恨み、妬みなどを委ねて、御霊にある一致を保ちますか?

完璧主義の社会の中で、自分の本音を相手に見せる事は難しいですね。
本心を見せたら、人はどう思う?
本当の自分のことを知ったら、人は拒絶するかもしれない。

最近、ある心理学者の講義を聞いて、本当に聖書の真理とそのままの話だったので、感動しました。

人間はみんな、幸せを感じる為に、深い、親密な人間関係を築く事が不可欠だと言う事を説いています。こころを開いて、つながり合う関係ですね。でも現実には、こころが開けない、自分の弱さをさらけ出してでも、本音を出して関係を築く事が出来ない人がとても多く、本当の深い絆を築く事は非常に難しいと言っています。
その心理学者本人も、研究の途中で、この真理に気づき、自分自身が弱さを人に見せれない性格だと言う事が分り、そのルーツを探ったりして行くうちに精神分裂症になりました。一年間の回復後に、研究を再開しました。

本当の絆を育むためには、自分の弱さを見せないといけない。しかし、こころを開いて、本音を出すためには、恥を捨てないといけない。本心を伝えたら、拒絶されるかもしれないという恐れを拭い捨てないと行けない。でも、育って来た環境や様々な状況の中で、恥や恐れを手放す事が出来ず、一生こころを開けない人達が居ます。配偶者にも、友人にも、家族にも。その人たちは、深い絆で結ばれた愛の信頼関係を築く事が出来ず、結局、傷ついたり、拒絶されたりを繰り返してしまいます。

彼女の研究結果によると、自分の弱さをさらけ出して、こころ開けれる人に共通している事は一点だと言います。彼らは、「自分は愛されている、受け入れられるに値する存在であるという自信」を持っている人だそうです。
つまり、愛されていることを自覚している人は、恥を捨てて、自分の弱さを見せることができる、それで他人が自分の事をどう思おうが恐れない、その結果、彼らは他人とさらに深い絆を育むことができます。

反対に言いますと、愛されている事が自覚出来ない人、自信の無い人、不安のある人は、こころを開いたら、拒絶されるかもしれないとの恐れを持っています。本当の自分を見せれない状態、いつも建前の強さ、うまく行っているように見せて、完璧主義などになり、深い絆はなかなか育めないのです。

じゃあ、その解決は?
一人一人が、天のお父さんの無条件、無限、そして完全な愛に満たされることです。
そして、その愛の中から、踏み出すこと。リスクをとること。

人に、自分の弱さを見せることです。
助けてください。
手伝ってください。
一緒に祈ってください。

特に、牧師やリーダー達が、このへりくだりの心をもつ必要がありますね。心から本音で語る事です。

傷つくことが増えるかもしれない、
裏切られる、拒絶されることもあるかもしれない。

しかし、こういう本音の人間関係を築かない限り、本当の聖霊様の一致と本当の教会の共同体にはなれません。

今週のチャレンジ、
祈って、聖霊様の導きによって、ひとりにでも、自分の心を開いてください。手伝いを求めてください。
「わたしは、あなたが必要です!」と言って、毎週でも、2人−3人で話し合いと祈り合いの時を持ってください。

そして、本当の聖徒の交わりの素晴らしさを味みてください!

WHY YOU SHOULD STOP SEARCHING FOR AUTHENTIC COMMUNITY

I was inspired to write this short message in Japanese after reading this article.

It is an encouragement to stop looking for a “real” community and start building real community with those around you.

Every human being needs deep, open human relationships.
However, in our perfectionist societies it is difficult to be real with people.
If we show who we really are what will people think?
If people really knew me they might reject me!

What is the answer?
Firstly each and every person needs to be filled by the un-conditional, endless and perfect love of God!
And from that love we can step out to take risks in relationships, become vulnerable to 2 or 3 people and we will automatically build authentic community.

If we do not build these open relationships we cannot experience the true unity of the Spirit in the church community.

Check this great TED talk about vulnerability here: https://www.ted.com/talks/brene_brown_on_vulnerability?language=ja 

FOR THOSE WHO LOVE JAPAN!
Many people live IN community but not PART of community --- in the sense that their woundedness, pride or unwillingness to be open stops them from going deeper.
Please pray with us for the healing love of the Father to sweep over the Church in Japan --- to bring people to deep connection and community where they are.

「全てのクリスチャンは、献身者です!」ジェフ・リンスコット





素晴らしいメッセージを紹介します。
「神と共に働く者」ポール・マンワリング氏によるメッセージですが、私たち皆、神様のためにだけでなく、神様と共に働く特権が与えられています。
(下記のリンクを参考にしてください。)

普通は、「献身者」と聞いたら神学校へ行った人を考えますが、ローマ12:1によると、私たちは皆、自分の身体を捧げるのが、普通のクリスチャンとしての礼拝です。神様への愛の表現です。

「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」ローマ12:1

自分の身体を捧げることとは、具体的に、どういう意味ですか?
あなたの身体に関する全てのことを神様に委ねることですね。
また、霊、魂、身体を分けることはできないので、その意味は、人生に関わる全ての領域を主に捧げることです。

私たちの時間、過去、現在と将来
私たちのお金と持ち物は、もちろん。
私たちの身体、健康、賜物、能力、才能もすべて主に捧げる。
私たちの思い、意思、将来の夢、感情、態度、喜び、悲しみ、やりたいこと、やりたくないことも、主に捧げる。
私たちの家族、友人、人間関係;将来結婚するか結婚しないか、そのすべても主に捧げる

特に一般の職業についている人を励ましたいと思います:

昔から教会で勤める人、牧師、神父の階級と、一般職業のクリスチャンを分けてきました。献身者と一般信者。
しかし、聖書はそのように、人を分けていません!

あなたは、学生、主婦、無職、誰かの介護中であっても、一緒です!
牧師、教師、アルバイト生、会社の社長であっても、一緒です。

あなた自身に与えられた賜物、才能と時間を忠実に主に捧げるだけです。
(これこそ、タラント与えられたしもべの例え話の意味ですね。マタイ 25:14-30)

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」
コロサイ 3:23

時間のある人は、ぜひ「神と共に働く者」ポール・マンワリング氏のメッセージ を聞いてください。


Introducing Paul Manwaring - Co-labouring With God message

9月22日(祝)ワーシップダンス・ワークショップ Worship Dance Workshop - Sept. 22


沖縄、神戸で行われたホームカミングギャザリングから始まり、神にあって解放されたダンサ ーたちは、日本において、さらに主の臨在をもてなし、主の栄光が現されるために用いられることを願っています。

私たちはこの夏、Davids Of The Tabernacleという名前のダンス・グループを立ち上げるように導かれ、自分たちの体験した恵みを、日本の各地で分かち合い、共に励ましあって成長するためのワークショップを定期的に行っています。

9月は、関西の西宮市で、ダンスワークショップを行います。

以前にギャザリングにダンサーとして参加された方はもちろん、ダンスの経験はないけれど、神の前で踊りをもって礼拝、賛美したい方、ダンスの経験はあるけれど、どのように神の前で踊ってよいかわからない方、ぜひ主に祈って、導かれたらご参加ください。対象者は14歳以上です。

<日時とスケジュール>
2016年9月22日( 祝)
セッション1 13:00~13:50 (動きのセッション)
休憩 
セッション2 14:00~14:50 (解放と一致のセッション)
休憩
セッション3 15:00~16:00  (創造のセッション)

<必要なもの>
☆動きやすい服装、上履き用ランニングシューズ、飲みもの、タオルをお持ち下さい。

<場所>
西宮市立勤労青少年ホーム、4階、小体育室
西宮市松原町2-37 電話 0798-35-5286
地図 GOOGLE MAP

阪神西宮駅から東に徒歩 7分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 7
駐車場はありますが、満車の場合が多いので、西宮市役所の駐車場、または近くにあるタイムズなどをご利用ください。

☆レッスン代はドネーション(献金)となります。


<主催>
Davids Of The Tabernacle 代表 兵庫江美
(予約&お問合せ)

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Worship Dance Workshop - Sept. 22
Ever since the Homecoming Gatherings in Okinawa and Kobe more and more people are being released in dance to worship and release the glory of God.
This past summer Emi Hyogo felt led to begin a dance ministry, Davids of the Tabernacle, to gather together to share from her own experience and the grace of God the blessing of dance through regular workshops all over Japan.
On September 22nd she will hold a seminar in Nishinomiya, Kansai.
You do not have to be experienced in dance, but just open to dancing and worshipping before the Lord in freedom. The workshop is open to anyone 14 years or older;

Date and Time
September 22, 2016 - (Thursday, Public holiday)
Session 1 - 1:00pm ~ 1:50pm - Movement
Break
Session 2 - 2:00pm ~ 2:50pm - Freedom and Unity
Break
Session 3 - 3:00pm ~ 4:00pm - Creation
Donations accepted for the Lesson fee.

What you Need:
Please wear easy-to-move clothing, indoor shoes (sports shoes for use indoors only etc.), a drink and a towel.

Location
Kinro Kaikan - Youth Home - Small Exercise Room 4F
Nishinomiya City Workers’ Union Building - Youth Building is on the NORTH side of parking
2-37 Matsubara-cho, Nishinomiya
Please check the map here: GOOGLE MAP

Access by car: Car park available, but if it is full then please use the Nishinomiya City Hall parking lot;
Access by train: 7 minutes walk east from Hanshin Nishinomiya Station 7 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya

Sponsor
Emi Hyogo of “Davids Of The Tabernacle”
emihyogo@yahoo.co.jp

「罪からの解放2:イエス様は我らの豚小屋にもおられる!」ジェフ&綾・リンスコット





実は、私たちにとって、豚小屋がもはや存在していません。
しかし、多くの人は、自分の思いの中、そして、自分の現実の中に豚小屋に生きています。
悪夢に比べたら、わかりやすい。
悪夢は、妄想です。本当の現実ではありません。しかし、悪夢の只中にいる人にとっては、本当に怖い、本当に最悪の現実のようなことを経験しています。しかし、その人が目覚めたら、悪夢だとわかったら、ほっとして、喜びます。
起き上がって目覚めた現実は、悪夢の現実にはるかに勝ります。

だからこそ、パウロの戒めは:「心の一新によって自分の思いを変えなさい。」

この素晴らしい証でわかりやすいです:

ある男の人は、パニック障害で苦しんでいました。
精神的な恐れが襲ってきて、本当に怖くなり、痙攣が起こり、真っ暗の穴に落ちるように感じて、最悪の状態に陥られる。
いつ次の痙攣が始まるか分からないので、ずっと不安と恐怖を感じて生きてきました。

クリスチャンの友人にそのことを話したときに、友人が提案をしました。
今度痙攣が起こりそうになるときに、まず、安全を確保して、痙攣がくることを拒まないでください。非常に怖いことですが、痙攣がくることを許して、精神的に、その真っ暗の穴のどん底まで、一番下まで落ちてください。
一番どん底の所についたら、周りを見てください。
あなたの周りには、イエス様がいるはずです。そのことに気づいてください。

男の人はそのアドバイスを受けとって、帰りました。
次、車を運転していた時に、痙攣が起こりそうになり、車を道路わきに駐車して、安全を確保しました。そして、抵抗しないで、痙攣がくることを許しました。
友人が言ったように、彼がその真っ暗の怖いところに陥れられたとき、回りを探しました。
なんと、イエス様が共におられました。
その啓示によって、彼はパニック障害から癒されました。

みなさん、神様は、あなたが自分の弱さから逃げるように、導いてはおられません。
また、あなたの感情を否定したり、ないように無視するようにも望んでおられません。
あなたが真っ暗の穴のどん底にいるとき、あなたと一緒にいたいと願っておられます。

それが、例えば自分の罪による穴であっても、または、人から受けたトラウマや虐待、傷、拒絶などによって、おとし入れられた穴であっても、一緒です。

イエス様は「捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げるために、来られました。」イザヤ 61:1
捕らわれ人は、他人の罪によって捕らわれている人。
囚人は、自分の罪によって捕らわれている人。
どちらにも、解放がありますよ!

まず、安全な場所を確保しましょう。
  1. 今、安全で、自分がありのままになれる、また、感情的になっても大丈夫な場所を確保してください。自分の部屋が良いでしょう。パソコンや電話など、急に音が鳴るようなものも、消しましょう。
  2. 聖霊様を招きます。
  3. 聖霊様に、今日は何を取り扱ってくださるか、と尋ねてみましょう。
  4. 今、その「穴」に連れていってください。その時の感情、気持ちなどを否定しないで、感じれるように、思い出して下さい。主にゆだねてください。
  5. ある思い出、場所、人、神様にしめしていただきましょう。必要なら、ノートを取ってください。
  6. その穴に着いたら、そこでイエス様をシーンの中にお迎えして下さい。ご自分の口でイエス様をよんでみてください。「イエス様、今、あなたをこのシーンにお迎えします。」
  7. そして、イエス様を探して下さい。思いの中で360度見回して下さい。イエス様が人の姿で見える方、光のように見える方、見えないけど間隔で分る方。色々な方法で主がご自身を表されます。それに目を留めて下さい。
  8. イエス様、今、その場所でこの方が必要としている真理を教えてください。あなたが、今日、この人に見せたい事を見せて下さい。

ぜひ、このプロセスをとおして、解放と救いを経験した人、ぜひ、続けてその自由の中に、歩んでください。

「罪からの解放1:なぜ豚小屋に留まるのか?」ジェフ・リンスコット





愛に溢れるお父さんは、放蕩してきた息子の悔い改めの演説の途中、そのまま、彼を受けいれます。
新しい服、新しい靴、新しい指輪を彼にあげて、彼を宴会に連れて入ります。

勘違いしないでくださいね。
悔い改めが不必要なのではなく、本当の悔い改め、メタノイア - 向き直し、考えを変えることが欠かせないことです。
信仰生活は、心の一新によって思いを毎日変えていく旅です。
「毎日新たにされています。」2コリント 4:16
しかし、自分の悲しみや、悔いる気持ちによって、なんとか神様の好意をいただこうと思っているクリスチャンは、自分の過去の罪、失敗、自分がどれほど悪かったか、また自分が罪人だというアイデンティティを常に覚えておかないといけないと思っています。
これは、本来の悔い改めとは違います。

自分の失敗を悲しみ、泣いてもいいですが、そこに留まってはいけません。
主はあなたの嘆きを喜びに変えてくださいます。
あなたの涙が喜びの涙になるはずです。
あなたの叫びは、感謝と賛美の叫びであるはずです。
「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」詩篇 30:5
悲しみは、一瞬、喜びは、一生!

じゃあ!罪を犯してもいいですか?罪はどうでもいいですか?
パウロが言ったように、言います:「絶対にそんなことはありません。」ローマ 6:15

この話の大きなキーポイントは、罪、つまり神様の目的から離れた行動をすれば、待っているのは豚小屋だということです。

お父さんが怒るとか、神様からのばちが当たるのではなく、あなたが、自分の選択の結果、その摘み取りとして豚小屋の中で苦しむということです。
せっかくの宴会のごちそうも食べれません。罪を犯すのは愚かなことです。もったいない!

前回言ったように、豚小屋自体は、神様の怒りと同時に、神様の愛の表れです。帰っておいでの招待状です。

ローマ1章:神様は、彼らを良くない思い、良くない行動に引き渡されました。
同じように、お父さんは、息子を彼の好き放題なことができるよう、そしてその報いを彼が味わう事を許し、明け渡しました。

「罪を犯すと、神様に怒られますよ!」ということを聞いたことがありますか?

これこそ、人間的な視野で、幼い考え方です。
パウロが言いました:愛は怒らず。
神は愛、そのものです。じゃあ、愛して下さっている天のお父さんは本当に、人間のように、怒りますか?

神様の心、その怒りも明確に見せてくださったイエス様を見ましょう。
イエス様が一番怒ったのは、何ですか?誰に対してですか?
罪人の行動に対してですか?違います。

偽善な宗教者に対して。
神様の御言葉を持っているのに、御言葉によって生きていない人に対して。
知っているはずのに、その知恵によって生きていない人々です。
イエス様は、罪人に対して、決して怒りませんでした。

キリストにある人よ。クリスチャンたちに言います:

神様は、もはやあなたの罪に注目していません。
言い過ぎですか?
言い過ぎではないと思います。神様が注目しているのは、あなたがキリストのように変えられていく、成長することです。
罪は、それを邪魔するものだけです。
「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」ヘブル 12:1
要点は、罪に注目することではなく、生きる目的を邪魔することを捨てるのです。そして、前に置かれているその目的、神様の子供としてのアイデンティティにひたすら歩むことです。

「でも、あなたが罪を犯すと、神様は悲しむ。」

そうですよ。でも、それは、自分のことを認めない人間に対して、拗ねて悲しんでいるのではなく、せっかく、すばらしい宴会を用意しているのに、子供がドロドロの豚小屋に眠っているのが悲しいのです。
私も、父親として、子供が僕の言うことを聞かなかったら、人間のように拗ねることもできます。それは、愛の浅い、人間的、幼稚なお父さんではないでしょうか?
僕も、そうなったことがあります!

でも、子供が私のいうことを聞かないで、怪我をして傷ついたり、大切なものや、将来の素晴らしい機会を失うなら、もちろん、子供のために、悲しみます。

人の罪は、自分に害を与えます。なぜなら、神様の本来の目的から離れているからです。
全ての罪は、種のようなものです。必ず実を結びます。その実がすぐならなくても、時になると実になります。
罪を行う人は、罪の奴隷です。罪人、罪の奴隷のアイデンティティに属しています。

罪は、死を生む。
今、現在の死です。
現在の人間関係の中の死。
現在の心の状態、思い、体にある死。
その死がすぐ見えなくても、いつか、どこかで、その結果がでます。

この「死」というのは、今、生きている間の死です。
そして、クリスチャンも、その死、放蕩息子の豚小屋にとどまることもできますよ!
クリスチャンになっても、死の結果がありますよ。
ただ、罪に誘惑される時に、毎回、毎回、脱出の道も用意されています。
豚小屋に留まる必要はありません!

一つの証と同時に励ましを分かち合います。

ある若いクリスチャンの男性がポルノ中毒で苦しんでいました。
辞めようと思っても、辞められない状態で、罪の束縛からなかなか自由になることができませんでした。

ある日、夢を見ました。
牢獄にいて、オレンジ色の制服を着て、手には手枷、足にも足枷がつけられ、縛られている状態でした。彼は刑務所の食堂にいて、給食のトレーをもって、テーブルの間に歩き、食事をする場所を探しました。
突然、イエス様が見えました。同じ、オレンジ色の制服を着て、同じように給食のトレーを持ち、座る場所を探していました。
しかし、イエス様には、手枷、足枷はありませんでした。
若い男性がイエス様に声をかけて、「イエス様、一緒に食事をしませんか?」と訪ねたら、イエス様は、にっこりして「もちろん!」と返事をしました。二人が座って、食事をして、会話をしました。
若い男性が、食事中に、あまりにも嬉しくて、「イエス様、毎日このように一緒に食事をしてもいいですか?」と聞くと
「もちろん、いつでも一緒に食事をしましょう。」とイエスが返事しました。
そして、身を寄せて、イエス様が彼に言いました:「いつでも一緒に食事をしてもいいですよ。でも、知っているかな。牢獄の扉は、空いていますよ。」
男性は夢からさめました。

牢獄の扉は、空いていますよ。
イエス様があなたと一緒に、その豚小屋の只中におられる。
しかし、その扉が空いていますよ。


キリストにあって、皆新しく生まれ変わったものです。
罪人のアイデンティティから、神様の子供のアイデンティティにかわりました。
豚小屋に留まる選択もあります。
牢獄に留まる選択は、あなた次第です。
でも、扉は開いています。

お父さんのもとへ帰る道は明らかです。

このメッセージを聞いて、まだまだ豚小屋に留まっているように感じる人、一緒に祈りませんか?よかったら、今祈りましょう!
・今、私は牢獄の中で苦しんでいます。イエス様、あなたは、その中で一緒におられますか?だとしたら、どこにおられますか?その中で、何を語っておられますか?・子とされている新しいアイデンティティについて、新しい啓示を受け取ります。見せて下さい。・豚小屋にこれ以上いるのはもう十分です。脱出の道を教えてください。具体的にどうやって父のもとへ帰れるのか、その道を示して下さい。



「悔い改めの演説を辞めましょう。」ジェフ・リンスコット





放蕩息子のたとえ話(愛に溢れるお父さんの物語)ルカ 15:11-32

続けて、放蕩息子の物語、愛の溢れるお父さんの物語を見ながら、真の福音を見ましょう。
前回言いましたが、この話の中には、神の怒り、和解、悔い改めや向き直し、赦し、救い、清め、愛もすべて見えます。

世界の人々は皆、この話のどこかにいます。

あなたは、どこにいますか?

お父さんのために、勤勉に働いているお兄さんですか?
イライラして、逃げて、放蕩したいと思っている弟ですか?
放蕩している最中の弟ですか?
放蕩してから、豚小屋にいますか?
豚小屋にいて、自分はどれほど愚かか、目覚めていますか?
お父さんの家に戻ろうと決めて、お詫びの言葉を練習していますか?
お父さんに抱き絞めてもらったところですか?
宴会の外に立って、弟のことを妬んで(ねたんで)いる、お兄さんですか?

あなたは、どこにいても、行先、目的地は一つだけです。
宴会です!屠られた子牛、イエス様の宴会のごちそうをいただくことです。

全人類はこの話の中にいます。
クリスチャンの皆さんも、この話の中にいますが、皆がいるべきところにいるわけではありません!

多くは、まだ豚小屋にいて、自分の悔い改めの言葉、演説を練習している。
毎日、練習しています。
どうか、神様
1回だけではなく、毎日のように、自分の失敗と罪の生活の思いに戻って、繰り返して、繰り返して、悔いることによって、なんとかして、天のお父さんに受け入れられるように、頑張っています。

皆さん、福音があります。グッドニュースです!
あなたの罪は赦されています!
あなたがその罪を犯す前から、あらかじめ赦されていたんですよ。
向き直して、その罪の聖めと解放、自由、喜びを経験して下さい!
もはや、罪のくびきを背負わなくてもいいです。

覚えてください。
豚小屋にいる弟は、囚われていない。
自由です。
我に戻って、さあ、お父さんの家に帰ろうと気付いたら、帰れました。
修行は入りません。努力も入りません。
心の一新だけですね。自分の本来のアイデンティティに戻るだけです。

常に悔い改めている人は、キリストではなく、自分の行動に信仰を置いています。

自分の本当のアイデンティティをわからない、不安なので、
「もしかしたら、昨日罪を犯しました。もしかしたら、救いを失ったかもしれない!もう一度悔い改めないと地獄にいく!あ〜〜〜!どうか神様、赦してください。どうか、どうか、どうか。」

皆さん、この「悔い改め」は、本来の意味と違います。
本来の意味は、向き直して、反対側から見る。
違う思いを持つ。自分から目を離して、イエス様に目を留めます。

この偽りの悔改めは、自分の失敗や罪、欠点を常に見て、自分の悔いる程度によって、神様に受け入れられることを信じること。
もっと悲しんで、もっと涙を流して、もっと叫び泣き、もっと後悔する気持ちをもったら、もっと神様に受け入れられるのでしょうか。
全部、自分中心、自分の行い中心です。

皆さん、あなたは、自分の悔い改めによって、救われるのではありません。向き直すことによって、救われた、赦されたことを経験するのです。

毎日、毎週、このような悔い改めの祈りをしているクリスチャンは、豚小屋に留まっている弟のようです。

もちろん、自分の行動が悪かった、罪だった、失敗だった、と認めることは大事です。
その失敗のために、後悔して泣いてもいいです。

しかし、本当の向き直すことは、弟が立ち上がって、お父さんの家に戻った時です。
自分の後悔にとどまったことではありません。

どうぞ、涙を流してください。
しかし、あなたの涙は、後悔の涙ではなく、喜びの涙であるはずです。
どうぞ、叫びたい人は、叫んでください。
しかし、あなたの叫びは、「どうか、主よ、赦してください!」の後悔の叫びではなく、喜びの叫びであるはずです。

豚小屋にいる弟を考えましょう。
ルカ 15章にありますが、部分的に見ましょう。(ルカ 15:14-22)

飢饉によって、弟は食べるにも困り始めた。豚小屋に働き始め、豚のえさを食べたくなってきた。
しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』ルカ 15:17-19
そうです。弟は、何の資格もありません。
私たちも、赦される、清められる、受け入れられる資格は一つもありません。
なので、イエス様が全部してくださいました!
私たちの資格は、イエス様ご自身です。
「こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。」ルカ 15:20-24
お父さんは、息子の悔い改めの演説を聞いてもいません。
途中で、お父さんは、しもべたちを呼びました。彼を宴会につれてはいりました。

皆さん、これは大きいですね。
なかなか罪を止められないクリスチャン、ここで葛藤のある人は多いです。

豚小屋に留まり、悔い改めの演説を毎日練習しています。

実際に、我に戻り、本来のアイデンティティに戻らずに、宗教の掟や規定を守りながら、自分中心の信仰生活をしているではないでしょうか?

どうすればいいですか?

このことで、ピンとくる人、こういう悔い改めの悪循環に縛られている人にチャレンジします。
一ヶ月、悔い改めの祈りを辞めてみてください。

代わりに、このように、祈ってみてください。
• 天のお父さん、あなたの愛を感謝します。• イエス様の愛、十字架と復活に目を留めます。• あなたはすでに私の罪を赦して、清めてくださったこと、ありがとうございます。• 過去の罪、現在の罪、将来の罪も全て、赦されて、清められています。感謝します。• あなたからの新しい服、新しい靴、指輪、ありがとうございました。いただきます。• あなたの宴会に入り、楽しみます。イエス様ご自身を食べます。イエス様のぶどう酒を飲みます。• あなたの愛、喜びと平安に浴びます。• 私の全てをあなたに委ねます!

「人の内に神の栄光を見つけ出す」ジェフ・リンスコット







イエス様を通して、天のお父さんの心がはっきり見えます。
「わたしを見た者は、父を見たのです。」ヨハネ 14:9
とイエス様は言われました。
「また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。」ヨハネ 5:22 
しかし、イエス様は、自分についてこう言われました:
「わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。」ヨハネ 12:47

父なる神様と子なる神様の間の陰謀です!
人を裁くのではなく、救うための陰謀です。あなたも、わたしも、全世界の人々は、その恩恵をいただけます。

ヨハネ8章には、パリサイ人が、姦淫の罪に捕らえられた女の人をイエス様のところに連れて来ました。

イエス様は最後に彼女に言われました:
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今後はもう罪を犯さないように。」ヨハネ 8:11
あなたの罪の道を離れなさい、ということですね。

マタイ9章にある、友人に運ばれた中風の人の話。
「イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言われた。」マタイ 9:2 
と言われました。

気づいていただきたいことは、姦淫の罪の女の人でも、中風の人でも、何も言わず、何も頼んでいないのに、イエス様は彼らの罪を赦されました。

ルカ19章にある、収税人のザアカイの話で、イエス様は、彼の罪のことを何も言わなかったのに、一緒に食事して交わることだけで、ザアカイは、自ら罪の道を捨てて、
向き直し、イエス様についていくようになりました。

次は、福音書にあるわたしの一番好きな物語、放蕩息子のたとえ話です。

この話しの本当の主人公は、放蕩息子ではありません。これは、愛に溢れるお父さんの話です!
そして、私たち人間は皆、この話の中の登場人物です。世界の全人類が、この話の誰かに当てはまります。
皆さんは、誰に当たるでしょう?

この物語をベースにして、「人の内に神の栄光を見つけ出す」ことについて考えましょう。

まず、全ての人は、神様の似姿に作られ、神様の子供、神様の栄光のために選ばれた者です。
この話の中には、神の怒り、和解、悔い改めや向き直し、赦し、救い、清め、愛もすべて描かれています。

私たちクリスチャンはよく隔ての壁を作ります。
中と外。クリスチャンとノンクリスチャン。

しかし、イエス様は隔ての壁を壊すために来られました。(エペソ 2:13-16 )

私たち人間は人の違いを強調しますが、神様は、人間の行動や罪による違いに目を止められません。
「何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められたのです。」ローマ 3:22-24
以前言ったことがありますが、初めから終わりまで、弟も、お兄さんも、お父さんの子供です。本人が気づいても、気づかなくても、これは真理です。

問題、壁は全部、弟とお兄さんが作ったものです。初めからお父さんからの壁はありません。
神様に対する敵対心は、私達人間が作ったものです。神様からのものではありません。

この物語の中に、神様の怒りがはっきり見えます。
どこですか?
お父さんが、弟に大お金を渡して、手放して、旅に出したのは神様の怒りです。弟が快楽と放蕩に走ったが、ついに豚小屋の地獄にたどり着きます。これこそ、神様の怒りです。
自分の決断に対するふさわしい報い、結果を味わうということです。
ローマ1章にあるように、神様は、彼らを良くない思い、良くない行動に引き渡されました。
これこそ、神様の怒りです。

そして、神様の怒りは神様の愛の一面です。常に、子供がお父さんの家に戻るための招きです。
捌きと、子供を追い出す、見捨てるようなものではありません。人間のようなガンガン怒る怒りではありません。
子供が戻ってきて、お父さんの豊かな愛の中に帰ってくる為の招待状です。

この物語の中、神様の和解はどこですか?
初めから終わりまでです。
というのは、神様との和解は、私たちにかかっているのではく、キリストにかかっているのです。和解は、お父さんのこの言葉にあります:
「子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。」ルカ 15:31 
あなたの未信者の親戚、家族、友人、同僚は、いつ神様と和解されますか?
2000年前に、イエス・キリストの十字架によって、すでに和解されています!

話の最後に、宴会のために、肥えた子牛、イエス様が生贄となりますが、実は、イエス様は、世の初めからほふられた小羊です。

弟が家を出る前に、放蕩する前に、豚小屋に入る前からも、お父さんは、彼を愛して、彼を罪の当然の報いを味わう事を分っていながら、それを許し、また彼を赦して、彼と和解をしました。
ただ、弟は、その赦しと和解を経験するためには、お父さんに戻る必要がありました。

皆さん、これこそ、福音です!グッドニュースです。
「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させました。違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」2コリント 5:19
この物語の中、悔い改めはどこですか?
弟が自分の状況に目覚めて、我に戻った、と書いてあります。
気付いて欲しいことは、
悔いる気持ちは、大事ですが、神様を喜ばすためにではありません。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて、振り替えて、福音を信じなさい。」マルコ 1:15
向きなおして、見て下さい。あなたの罪はすでに赦さています!

どうやって、未信者の友人、親戚を見ればいいですか?
そのままですね。未信者、未だ信じない人だけです。
眠っているように、まだ、その現実に気付いていない人達です。
「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」エペソ 5:14 
私たちがまったく一緒です。ただ、起き上がってキリストの光に照らされているだけです。

偉そうに、未信者との違いを強調して、隔ての壁を作るのではありません。

イエス様のように、この簡単なメッセージを伝えましょう:わたしは、あなたの罪を見ません。あなたを捌きません。
向きなおしてみて!あなたの罪はすでに赦さていること、を見てください!

今日の宿題です。この簡単なメッセージを誰かに伝えてみてください。
神様も、わたしもあなたのことを攻めません!
あなたの罪、失敗、傷はすでにもう赦されています。
信じますか?

素晴らしい一週間を迎えてください。

「あなたの人生を変革する」クリス・バロトン Transforming Your Life - Kris Vallotton





同時通訳:相馬伸子 
ローマ12:2、マタイ17:2 、箴言13:20、マルコ4:24、25 

あなたの人生を変えたいと思う人がどれだけいるでしょうか?
あなたは人生を変える事はできませんが、あなたは思い、考えを変える事はできるのです。
そうすれば、神はあなたの人生を変える事ができます。

ローマ12;2の「心の一新によって、自分を変えなさい」とありますが、この「変える」という言葉は、マタイ17:2にある「御姿がかわり」という言葉と同じ言葉です。

「最初に聞いた事が土台であり、フィルターになる」という原則があります、これはある事柄の事を初めて聞いた時、それは土台となり。フィルターになります。
その次に同じ事柄を聞いた時には最初の土台のフィルターを通して見る、考えるという事です。私達が「み言葉の真理」を土台、フィルターにするならば、真理でないものは出す事ができますし、真理が土台となるだけでなく、フィルターの役割も果たすのです。

思いを変えるには、どうするのでしょうか?私は自分の霊で思いにかたります、「わたしの思いは、このような事柄を思い続ける事ができない」とします。
わたしの「思い」はわたしの霊に従うので、私は自分の思いの奴隷ではないのです。

人生を変えたいと思ったら、思いを変える為に、自分の周りの文化を変える事によって、自分の内側の文化を変える事ができます。
箴言13:20でありますが、自分が「こうなりたい」とおもうような、思いが健全な人たちとつながってください。
もちろん、すべての人に対して、私たちは「奉仕」する事ができますが、「奉仕する為につながる人々」と「自分に影響を与える為につながる人々」は異なります。

マルコ4:24でイエスは「聞いている事によく注意しなさい、あなたは人に量ってあげる、その量りで自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます」と言いました。聞いている事で自分の基準ができ、それによって自分の所にも聞いている事が増加してやってくるのです。

思いを変える事ができないとおもいますか?
あなたが新生した時に古い人は、死にました。十字架は古い人の為です。死んだ古い人に話しかけたり、よみがえらせたりしないでください。
古い人を「脱いで」あたらしい人を「着る」のです。
真理によって、実際にある葛藤、その葛藤の根は嘘を信じているからだと思いますが、と置き換えてそれを語るのです。

自分で自分の人生を変える事はできませんが、思いを変える事はできます。そうすれば、神様があなたの人生を変革してくれます。




ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp 

「王国」ポール・マンワリング Kingdom - Paul Manwaring













同時通訳:相馬伸子



1サムル16:7、マタイ13:11〜13、



「王国」、「神の国」という言葉について、今日は皆さんの心が引き伸ばされる事を願ってお話しします。

「王国」とは、どこですか?

私はUKで生まれました、女王がいる国です。でも、その王国に生まれる事は、自分の選択ではありませんでした。

もう一つは、選択がある「王国」です、新生する時に「神の国を見る事ができる」とあるように、これは、あなたが新生する時に王様であるイエスを招待した、お迎えしたことによって、あなたの内側に神の王国がきます。



新しく生まれなければ、「神の国」を見る事ができない、ということは、私達新生した信者が、「見る」事ができるともいえます。

神の王国はとは、私たちがあるルールや、解決方法を問題のあるこの世に持って行き、強制的に上から与える事でもたらせる事ではなく、神の王国は、私のうちにイエスキリスト、栄光の希望が住まわれる事で、影響を私をとおしてこの世に現れるようなものです。



神の国は「内側で起こる変化」であり、栄光の望み、イエスキリストが現れる事です。人の視野ではなく、神の視野で見て、それを生きる事で影響をしていく事です。



1サムエル16:7でわかるように、人は外側をみるけど、神は心を見ます。私たちの周りの世の中とは、違う視野、違う聞き方を新生した信者は持つ事ができます。

それが、マタイ13:11^13でいわれるように「奥義を知る事が許されている」ので、神の国の奥義を新生した信者は知る事ができるのです。ですからその事を求めていきましょう。



神の国のライフスタイルは、「探し求める事を続ける」ことでしょう。マタイ13:44〜46であるように、商人は素晴らしい価値の真珠を見つけ、その為に全てを売り払い畑を買います。神の国は「高価な真珠」ではなく「良い真珠を探している商人のようだ」といっているので、私たちは「良い真珠」をみつけて、これが神の国だと誤解しやすいのですがそうではないのです。

いつも、求めること、探すことがライフスタイルになるように。



あなたが自分の思い、考えで、「神の 国」がどれくらいのサイズがあるのかと思っていることが、実際にあなたの信仰で現れます。

それは、いつも成長するべきだと思います。



英語動画:http://www.bethel.tv/watch/4089/kingdom-sunday-pm/2016/07/10



Onfire Japan のポドキャスト:

https://itunes.apple.com/jp/podcast/onfire-japan-messages/id155793227?mt=2



ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000

Interpretation by Nobuko Soma

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「とりなしの為のポジション」ビル・ジョンソン Position of Intercession - Bill Johnson JAPANESE



2歴代師7:14 

「わたしの名を呼び求めているわたしの民が、自らへりくだり、祈りを捧げ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒そう」

アメリカで、最近いくつもの、神の介入がなくては、自分たちの努力ではどうにもならないことが表面化しています。私たちには、癒しが必要であり、心の傷んでいる、壊れている所に癒しが必要です。

アフリカ系アメリカ人男性に対しての、警官による発泡事件事件や、オーランドでのナイトクラブでのテロリストによる事件、また、警察官を目的にして、1人が5人を射殺した事件もありました。これらは悲劇です。私達が必要なことは、慰めを与え、ともに立つことです。
理由がどうであれ、命が奪われたことは悲しいことです。私たちはそこで、裁きの声を出さずに、慰めたいのです。

政治的な霊は「ピラト」のように、手を洗って、自分はこの問題とは関係ない、と距離を置きます。宗教の霊は「姦淫の女」に石を投げるように、自分が宗教に熱心な事を裁く事によって、見せようとします。私達は「神の御国」のやり方で、進む時です。

とりなしの時に「私たち」「かれら」といって、しまうことは、「裁きの霊」に加担してしまうことが容易になります。
とりなしとは、「ギャップに立つ」こと、「相手の立場にたって祈る」ことであり、相手の立場に立つことは「聞くこと」なしにはできません。
理解や同意できなくても「しること」はできるでしょう。
ネヘミヤは自分の犯していない罪を「わたしの父の家も罪をおかしました」と自分の事として悔い改め、いのりました。
それこそが、「同一化して祈る事」です。


ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:ビル・ジョンソンによるメッセージです。同時通訳:相馬伸子
© Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 
Interpretation by Nobuko Soma 

「王は王達に与える」エリック・ジョンソン Kings Give to Kings - Eric Johnson





同時通訳:相馬伸子
詩篇68:19
今日は「必要が満たされる」事と「豊富にある」事の違いをはなします。
ある方は「繁栄のメッセージ」は良くないと思っているかもしれません、皆さんがどのような意見を持つかという事は自由です。
詩篇の68:19では「ほむべきかな、日々、私達のために重荷をになわれる主」とあります。英語訳では「重荷を担う」が「益をくださる」とあります。
神様は私達に与えたい、益を毎日与える事をすでに決められています。
ある時18ヶ月の間、私はコーヒーを買う事が出来ませんでした。買おうと思っても、誰かほかの人が払ってくれるのです。教会の中のカフェの近くである時人と話ながら、コーヒーの香りが
あまりにも良いので、「コーヒーを買ってから、祈り会に行こう」を考えていた所、ある人がコーヒーをもって、こっちに歩いてきて、「コーヒーをなんでだか、買ってしまった、自分はコーヒー飲まないのに」となり、非常に驚きました。豆でもそうでした。でも、その事が始まって数ヶ月後に。自分がとてもイライラし、フラストレーションを感じました、なぜなら、自分には「十分なコーヒー」があったし、キーヒーを自分でかうお金がなかった訳ではないのです。わかった事は、神様は「必要以上に与える、与えたい方」なのだという事です。以前自分は「必要が満たされる事」、マイナスがゼロになる事が「豊富」だと、考えていましたが「豊富」である事はそれ以上です。

王様や王の家族は「必要を聞いて、それを与える」事はしません。全てをもっているので「あなたにたりないものをあげる」という事は失礼なのです。
私達の神様は「王様」であり、私達を「王様達」として見て、そのような人になってほしいと願いっているのです。

私達は「国々を弟子化する」といっても、「豊富」になければ出来ません。
私達が教会の文化として作り上げている事は「他の人が祝福される事を自分の事として喜ぶ」ことです。


ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 
© Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 
Interpretation by Nobuko Soma 
http://www.onfire.jp 


「あなたは、神の栄光です!」You are the Glory of God!



あなたは、神の栄光です。
人間はみんな、神の栄光の表れです。


栄光というのは、神様によって作られた目的の只中に生きる中に表されます。
鳥が飛ぶ時に、神に栄光を与える。
魚が泳ぐ時に、神に栄光を与える。
花が咲く時に、木が実を結ぶ時に、神に栄光を与える。

人間も、神様に与えられた目的を果たすこと、神様の子供として生きること、そして他の人との兄弟姉妹としての愛の絆を育んで、その中に成長すること、これこそ神の栄光です。
それだけではなく、人間は神様に形どって作られたので、創造するために作られました。

わたしたちが、創造する時に、神に栄光を与えます。
画家が、絵を描く時、
ミュージシャンが、音楽を奏でる時、
シェフが、料理をするとき、
スポーツマンが、競技する時、
介護師が、人を世話する時、
技術師が、ものを作る時、
清掃の人が、掃除する時、
会計士が、経理をする時、
学生が、勉強する時、

お母さんが、子供を慰める時、
お父さんが、家族を養う時、

夫が、妻を愛する時、妻が夫を敬う時、
友達が、話を聞いてあげる時、励ましあう時。

どうぞ、自分の置かれている場所、共同体、家族、職場、学校などを考えてください。
あなたがその中で、一番神様から与えられた賜物を生かすことが出来るのはどこですか?また、いつですか?

炎 のランナー、エリック・リデル選手は、走る時に、「神様の微笑みが見える」と言いました。
皆さんは、一週間の間、神様の微笑みが見えていますか?

人からの栄光や賞賛ではなく、神様の微笑み。
ある人の賜物は、公に見えます。あるのは、隠されています。でも、神様の目では、違いはありません。

多くの人は、神様に与えられた賜物よりも、人を喜ばすために、人に押し付けられた役割を果たそうとしています。自分らくしくないことをしようとしています。

もちろん、誰でも日常の平凡なことに忠実に仕えなければ行けません。ここで言っているのは、そういう意味ではありません。

神様のためにではなく、人のために、人を恐れるから、将来を恐れるから。
この課題は多くの物語のテーマですね。
医者さんの子供は、医者さんになるよう期待されますが、本当はミュージシャンになりたかったとかね。

また、よく教会の中で、献身者と献身者でない人の差をつけてしまいます。
わたしは、単なる主婦。牧師のような偉い人ではありません。
家族のことで忙しすぎて、献身できません!

違います!イエス・キリストにあるものは、皆、献身者です!
この意味で、神学校に行ったことのある人、行ったことのない人、違いはありません。
「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」ローマ 12:1
フルタイムの働き人、一般の仕事をしている人、無職の人、病気や障害によって仕事のできない人。
皆、一緒です。
それぞれの役割と賜物が違うだけです。

これこそ、マタイ25章のタラントの話の意味ですね。
皆が同じ賜物、能力や才能を与えらえているのではありません。
でも、比べる必要はありません。
比べてはいけません!
比べることは、悪魔からです。比べることによって、サタンはアダムとエバを誘惑しました。
アダムとエバは、すでに神様に形どって造られたのに、サタンは、「神様のようになるために」これを食べなさい、と誘惑しました。
アダムとエバは、自分の与えられたことに満足せずに、不従順によって、神様の目的から離れて、栄光を失ったのです。
自分のアイデンティティを疑うことによって、アダムとエバは、神の栄光を失いました。

自分は、すでに神様の栄光だと覚えて下さい。
ほかの人と比べないで、自分に与えられている信仰や賜物、能力、才能に応じて、神様に栄光を返しましょう。

神の栄光について、この有名な箇所があります:
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができなくなった。」ローマ 3:23
もっと深くその意味を見ますと:
すべての人は、神様から与えられた目的から離れて、神様の栄光から落ちてしまいました。
堕落した、ということですね。

しかし、この箇所は、もっと長い箇所の真ん中にあります!

全部見て見ましょう:
「イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。すべての人は、罪を犯して、的を外れたので、神からの栄誉から落ちましたが、神の恵みによって、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められたのです。」ローマ 3:22-24(日本語の聖書と英語の聖書からの意訳)
すべての人は、神の栄光から落ちたが、すべての人は、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められた。

その和解を実際に経験するためには、どうすればいいですか?
信じればいいです。
信じるだけです。
信じる前でもこれは真実ですよ。ただ、信じることによってあなたには、実際にその実を食べれる事が許されています。
「御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。」ヨハネ 3:18
信じること、信じないことは、あなたの選択です。
そして、あなたはその選択の結果、その実を食べます。

放蕩息子は、旅に出る前も、お父さんの子供でした。
放蕩している時にも、豚小屋にいる時でも、お父さんの子供でした。
ずっと豚小屋に留まっていても、それは変わりません。お父さんの子供でした。
しかし、彼が家に戻ってきて、宴会に入ってきた時に、本当にお父さんの子供として生きる事の実を味わいました。

お兄さんも、人のために、義務的に宗教の掟を守って、人の前に褒められるために、奉仕をしていました。
自分の正しさ、自分の義を信じていた、お兄さん。彼も同じお父さんの子供でした。
宴会の外にいて、拗ねていた。お父さんの子供でした。
お兄さんが結局、宴会に入ったかどうか、書いてありません。

みなさん、どんな背景があっても、あなたはその宴会に入ることが一番神様の子供らしいことです。

あなたは、神様の子供です。
神の栄光、そのものです!

ほかの人のように振る舞うことを止めましょう。
人のために演技することを止めましょう。

自分らしく、神の子供として生きることによって、神に栄光を返しましょう。
あなたは、自分に与えられた賜物、才能、能力を生かすことによって、神に栄光を返しましょう。

あなたの家族、友人、知り合いは、その栄光を待っています。

よかったら、今週、祈りの中で、聖霊様を歓迎して、自分らしくない、考え方、振る舞いなどを示してもらいましょう。
そして、神様の目から、天の神様はどのようにあなたを見ておられるかと、教えていただきましょう。

神様が示されることを、イエス様にゆだねましょう。
もっと自由に、もっと神様の子供らしく、歩みましょう。