「最後の改革~始まり~」の映画の紹介 Intro to The Last Reformation Movie





最近、多くのクリスチャンの映画が作られています。感動的な映画もあり、いまひとつの映画もあります。

今日は、「最後の改革~始まり~」というドキュメンタリー映画を紹介します。
無料で、日本語字幕付きで、見れます。ぜひ、見てください!

英語版(日本語字幕もあり):

日本語字幕(常に付いている):



素晴らしいドキュメンタリーの映画です。使徒の働き、そのままですね。
オンファイヤージャパンで、10年以上前からこのようなメッセージを発信していますが、人々が福音を伝えて、癒し、悪霊の追い出し、聖霊様の満たし、異言で祈るように導くことなど、やっぱり動画で見ると、感動します。

多くの多くの証しのシーンと共に、トーベン・ソンダーガード(Torben Søndergaard)の教えが混じえられています。非常に簡単なメッセージです。御国の福音のメッセージです:
イエスキリストの十字架によって、罪からの聖め、赦し、
聖霊様の満たし、溢れ、そして、新しい言葉、異言で語り、
悪霊からの解放、体の癒し。

これらはすべて、御国の福音ですね。
コロサイ1:6に書いてあるように、
「この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。」
この映画を見て、改めて、御国の福音はどれほどシンプルであるか、本当にもう一度感動しました。
でも、多くの日本人クリスチャンが考える、ある疑問、葛藤をおぼえます。
・海外からの人は、恥ずかしことでもできる。日本人には、同じことをするのは難しい。
・外国の人だから、こういうことをやっても通用する。

そうです。その通りです。
僕も、日本に来て長いので、ちょっと半分外人、半分日本人のような気持ちで、間に挟まれています。

なので、ごく普通の日本人のクリスチャンを励ましたいと思います。

こういう事は、本当に日本ででも起こると信じますが、私たちは、どうやって、踏み出せるかを、少し考えましょう。
今日は、このドキュメンタリー映画に対して、どのように、応答すればいいか、と考えましょう。

あなたのアイデンティティーと関係ない
・踏み出すこと、人のために祈ったり、福音を伝えたりすることは、あなたの「仕事」、神様からの好意をいただくためではありません!あなたは、キリストにあって、選ばれた、神の子供です。
踏み出しても、踏み出さなくても、うまく行っても、失敗しても、変わりません。
こういうことは、あなたのキリストにあるアイデンティティーと関係ありません。

しかし、あなたの内におられる御霊は、周りの人々にその愛と力を届けたいと切に願っておられます。そのために、どうすればいいですか?

自分を明け渡す
まず、自分を御国の福音のために明け渡すこと。
聖霊様、人々への愛、あなたの心そ、示してください。
踏み出す話、証し、教えなどを避けるのではなく、ますます、見てください。
ますます、御国の福音をひたすら考えて、自分が大胆に踏み出すことを想像してください。

そして、踏み出すチャンスが与えられるように、祈ってください。


忍耐を持って続けること
多くのクリスチャンは、祈りが自分の思う通りに叶えられなかったら、祈りを止めてしまいます。
忍耐を持って続けることは大事です。

人にアポローチして、拒否されたら、恥ずかしい。
祈ってあげて、何も変わらなかったら、恥ずかしい。
人の前で、バカに見られたら、恥ずかしい。

この恥、イエス様が全てすでに受け取ってくださいました。
どうでもいいです!人の意見だけです。消え去ることばかりです。
「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」ガラテヤ 6:9 
私も、あなたも、言い訳を作ること、恥ずかしく思うこと、その権利を主に委ねますか?
委ねましょう!

弟子たちも、最初の迫害を受けた時に、こう祈りました:
「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。」使徒の働き 4:29 
同じことを祈りましょう:
主よ。人の前で恥ずかしくなること、失敗すること、あざけられる脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。」

小さい一歩を探す
では、愛に溢れるお父さんを信頼して、一歩でも踏み出すチャンスを祈りましょう。
神様は、突然、駅前で、100人の前で、立ち上がり、福音を伝えなさい、とは言われないと思います。
しかし、私たちが自分を委ねているなら、友人、家族の人、会社の同僚、学校の同級生、また知らない人にも、話しかけて、祈るように導かれるかもしれません。

英語の言い回し:信仰はどうやって書くかと言いますと:リ・ス・ク
「リスク=危険をかえりみない」です。恥を捨てて、踏み出すことですね。
失敗したら、諦めないで、言い訳を作らないで、続けて、続けて、リスクをとることです。

イエス様に目を留めて、神様の愛と力に満たされ、
御国の福音を伝えること、神様の力に踏み出しましょう。

最後に、一つの注意することがあります。
この映画のテーマは、「最後の改革」です。
改革の時に、産みの苦しみがあります。新しいことが生まれてくるからです。
その中で、以前の形、以前のパターンに慣れ親しんでいる人は、躓いて、新しいことを拒否してしまいます。

この映画の中にも、いろいろな人のインタービューの中で、かなり以前のパターン、既成の教会のやり方を批判するコメントが多いですね。時には、丸ごと捨ててしまおう、というようなコメントもあります。
まず、これは、ただ、その人の個人的な意見だということです。
もちろん、神様は、既成の教会の中にも働かれるし、教会の外でも、働かれます。

ただ、私たちは、昔ながらのクリスチャン、特に、自分の慣れている教会の形に縛られないで、引っからないで、御国の形をすなおに受け入れ、自分のいるところで、育むことができるように、進みましょう。



教会の中でも、外でも、日本の社会の隅っこまで、御国が来て、広がりますように、祈りましょう!

「神様から離れていると感じますか?」Do you feel far from God?



あなたは神様から離れていると感じますか?

クリスチャンも含めて、多くの人が、自分は神様から遠いと感じてしまいます。



聖書の中では近い、遠いと言う描写がよく使われています。しかし、これは実際に神様から離れたと言う意味ではなく自分の感じ方、また思いの中の状況を表しています。

例えば:

「高ぶる者を遠くから見抜かれます。」詩編 138:6

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられる。」詩編 34:18

「主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。」詩篇10:1

「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。」マタイ 15:8


これは全部、人間からの視野で、心の状態を表しています。

全能の神様、普遍なる神、遍在なる創造主です。実は、絶対に離れることはできません。

「すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」エペソ 4:6 
また、ダビデが言ったように:

「御霊から離れて、どこへ行けましょう。御前を離れて、どこへのがれましょう。たとい、天に上っても、そこにあなたはおられ、よみに床を設けても、そこにあなたはおられます。」詩篇139:7-8
では、神様がいつも近くに居られる事が真実なら、どうして私たちは、よく神様を遠く感じるのでしょうか。



このイメージを考えてください、お父さんが眠っている子供をだっこしています。

子供が爆睡していて、悪夢を見ています。その悪夢がその時の子供の現実です。本当に恐くて恐ろしい、孤独な気持ちなどを体験しています。

ある意味、地獄にいるかのように、苦しんでいます。

でも、全てが実際に感じている仮の現実です。

いつでも悪夢から目覚めれば、本当の現実が待っています。



「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。

そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」エペソ 5:14 


放蕩息子の話の中にも、これがはっきりと見えます。

豚小屋にいるときに、弟が、我に返ったと書いてあります。(ルカ15:17)

目覚めた。本来あるべき現実を認めた。

もちろんこの例え話のイメージは、ほうとう息子が遠いところに行って、戻ってきた。

しかし、覚えてください。動いたのは父ではなく息子、子供です。

お父さんは同じ場所にいる。

もし、私たちが神様から遠く感じるならばそれは私たちの見方です。



「悔い改め」の本来の意味、向き直して、新しい思いに切り替える。



放蕩息子の様に我に返ったらいいですよ。

悪夢から目覚めたらいいのです。



では、あなたの仮の現実から、神様にある本来の現実に逃避したらいいのです。



今まで紹介したツールを少し繰り返します。まだ見ていない人はぜひ以前のメッセージを見てください。

・まず、思い出して、神様にある、本来の優れた現実に目を留めることです。

・永遠の目的を常に覚えること

・賛美する心を育てること、学ぶこと、習うこと



今日も続けて大きな鍵を見ます。

それは、すべての権利を主に委ねること、明け渡すことです。



もしかしたら、私たちが神様からの距離を感じる理由は、ここにあると言えるかもしれません。

まだ叶えられていない願い、過去の失望や失敗によって、神様に対して不満を抱くこと。



私はこの経験がありました。

14歳の時に、7歳上のお兄さんが登山事故で亡くなりました。



若いクリスチャンとして、素直にその悲しみを乗り越えようとしましたが、無意識に、神様に対して不満をかかえてしまいました。

ずっと、神様から距離を感じていましたが、なぜだか、分りませんでした。

その、2年後、ある集会の後に、長老の一人が私のところにやってきて、知識の言葉を教えてくださった。

「ジェフには、痛みが見えます。それは何か、わかりますか?」と彼が言いました。

私が正直に返事しました。「いや、分りません。」

本当に、意識していませんでした。

彼が、「祈ってもいいですか?」と言って、僕は、「どうぞ、お願いします。」と返事しました。



彼に祈ってもらった、その瞬間、僕が急に号泣して、

「神様、何でお兄ちゃんを殺したか?」と叫びました。



叫んだと同時に、その時までかかえていた痛みと悲しみを全部神様に吐き出しました。



その結果、心が神様の愛の啓示、平安と希望で満たされました。

不思議に、僕は、もはや、お兄ちゃんの死について、なぜそれが起こったのか知る必要がなくなりました。

神様の愛と平安で十分になりました。



30年前の話ですが、もちろん、お兄ちゃんのことを思い巡らすことはあります。



しかし、その時から、お兄さんの事故についての「なぜ?」という質問の答えを聞く権利、神様がちゃんと説明してくださる権利、神様に訴える権利も、全部委ねました。



皆さんはどうですか?



これは、不思議なバランスです。



神様に本音を打ち明けること、と同時に、全ての権利を委ねる必要があります。



自分の気持ちに蓋をするのではく、その気持ちを認めます。

「あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。」詩篇 62:8

「あなたの重荷を主にゆだねよ。」詩篇 55:22

「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」1ペテロ 5:7


と同時に、

自分が聞きたい返事を頂く権利を全て捧げる。

神様が答えられるかどうか、どのように答えられるか、いつ答えられるか、あなたの祈りに叶えられるかどうか、その全てを主に委ねること。



過去に起こったこと;

あの病気はどうして癒されなかったのか。

どうして、あの人は亡くなったのか。

何であの人との関係は上手くいかなかったのか。



現在のこと:

いつですか、主よ。

経済的な突破口はいつくる?

いつあの人が救われる、癒される、解放される。

あの預言はいつ成就される?

将来、結婚するのかどうか?

いつですか?



こういう権利を全部、主の御手にゆだねましょう。



皆さん、僕も、疑問、質問がいっぱいあります!

なぜだか、知りたいことが沢山あります。



しかし、主の近くに留まるために:

「まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように私の前におります。」詩篇 131:2 
皆さん、これは大きいです。

私たちは、自分に死に、キリストに生きる時に、全ての権利にも死んでしまいます。



今日はこうしましょう:

自分の疑問、知りたいこと、聞きたいこと、こういう問題、ああいう問題、全て、荷物のように、主のみ前に置きましょう。



そして、正直に主の前に参りましょう。

神様の愛と平安に留まりながら、自分の心の傷、失望、苦味、恨みを全て洗っていただきましょう。



預言者ハバククのように、

預言者は、素晴らしい約束を主からいただきました。

「私は静かに待とう。

そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、

ぶどうの木は実をみのらせず、

オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。

羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。

しかし、私は主にあって喜び勇み、

私の救いの神にあって喜ぼう。」ハバクク 3:16-18
祈りましょう:

神様、あなたは本当に近くにおられます。
人間として生まれ、私たちが経験する全てのことを経験してくださいました。
キリストにあって、私たちと共におられ、私達の中におられます。
時々遠く感じることがあります。
でも、真理は、あなたは絶対に遠くない。
私が自分の重荷、疑問、質問;実際に抱えている不満や疑問、「なぜ?」の答えを受け取る権利を、今日、あなたの前に手放します。
(実際に持っているその重荷を口に出して祈ってみて下さい。)
あの時感じた屈辱。失望。あなたへの信頼を失ってしまった事。
それらを、今、手放します。あなたに手渡します。
空になった手を広げて、あなたの御前に参ります。
あなたが、今日、下さるものを受け取らせて下さい。
失望、疑問、不満の代わりに、あなたが下さる物は何ですか?
受け取ります。アーメン


「神との同居生活」グラハム・クック From Visitation to Habitation - Graham Cook

リバイバルを説明しようとする用語の多くは、それが起こった時の様子とか、或いはそれが起こる特別な状況に関する説明がほとんどです。その多くは「神の訪れ “visitation”」を表す言葉です。確かに私たちは神が聖霊の働きと共に訪れてくださることを待ち望んでいます。しかし聖書に書かれているのは、私たち一人ひとりの内側に建て上げられる聖霊が宿る場所、住まう場所 abiding, a habitation of the Spirit に関する言葉です。
実際のところ、リバイバルとは大勢の人が王なる主とその御国を発見することではありません。霊的に死んでいるものはリバイブする(息を吹き返す)ことはできません。死んだ霊はまずボーンアゲインする必要があります。リバイバルは教会のためのものであり、この世のためのものではありません。私たちが眠りから覚める必要があるのです。
リバイバルには3つの段階があります。第一の段階は、私たちのイエスに対する情熱が新たにされることです。即ち初めの愛に戻り、主の恵みと力に自分を完全に委ね捧げることにもどらねばなりません。第二は、失われた者に対する憐れみの心が回復されること、すなわちそれは、人生を御国に仕えるために捧げることです。この二つの段階を経験した結果として、最後の段階である「社会的改革 reformation が起ります。それはこの世の人々がクリスチャンの中に住んでいる復活の主の力と栄光に応答し始めるのです。

私たちは自分のしたいことや、言いたい事を捨てて、毎日イエスを愛することだけに自分を捧げねばなりません。イエスはヨハネ7:38で
「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
と教えておられます。残念ながら人々は渇きをおぼえて水を求めて集会に来ることが多いのです。私にはそれが理解できません。私たちはクリスチャン(水を求めてではなく、既に)水に満ちあふれていて、それを人に分け与えたいと願って集会に来るべきです。
神と共に住むことを学ぶのには時間がかかります。私たちがミニストリーをするときに受けるプレッシャーは非常に大きいので、主に安息する方法を知らないと、私たちはストレスを感じ、病気になり、時には死んでしまいます。神の御前にある「平安の場所」に自分を連れて行く方法を修得するには訓練がいりますが、それは絶対に必要な訓練です。私はそのための訓練に何年もかかりましたが、今は普通5秒か10秒でその「平安の場所」に自分を連れていくことができます。私の周りで何が起っているか、何が私を脅しているのか、は最早問題ではなくなり、私は神の御前で自分を静かに落ち着かせることができるのです。
私にはその必要性があります。主の御声を聞くためには私が静まらねばならないからです。主は私たちの祈りと同じ音量で答えられることは稀です。
「父よ! あなたの御声を聞かせてください!」と私たちは神に叫びます。
すると主は「わかっています。」小声でささやきかえされます。
それが聞こえない私たちは「私に語ってください!」ともっと大声で叫びます。
すると主は「語っているのですよ。」とささやかれます。
しかし私たちは「今日、あなたの御声をどうしても聞かねばなりません!」と必死になって声を張り上げます。
すると「黙りなさい。そして、聞きなさい。」と主は静かにささやかれます。
詩編46:10に「静まって、わたしこそ神であることを知れ。(口語訳)」とありますが、黙想、メディテーションは神と共に住まうためのもう一つの方法です。西洋の教会は、神を深く思う時を持ち黙想することを学ばねばなりません。長い時間である必要はなく15分か30分でいいのですが、すればするほどあなたはもっと主に時間を捧げたいと思うようになります。私は黙想を愛します。
黙想し静まることは私たちに平安を増し加えます。私は自分が訓練している人達には、多くの時間を費やして平安について教えます。彼らが生活の中でどのくらい平安を持っているかをいつも尋ねます。彼らは来年には今年よりも心配やパニックの量が少なくなっていると信じています。彼らの平安が増し加わり、心配や不安は減少してゆかねばなりません。平安は極めて重要な御霊の実です。
主のうちに安息する能力を高めないならば、私たちはアドレナリンで走り回っている結果となります。それは少しの間はいいかもしれませんが、アドレナリンが高い時があるということは低くなる時もあるということです。往々にして人々は高いアドレナリンで走り過ぎた後にアドレナリンがなくなって疲れ果て落ち込んでしまいます。私たちは人生そのもののプレッシャーではなく、人生の走り方からくるプレッシャーで疲れ果てるのです。
しかし「平安」は外からのプレッシャーに対抗して内から押し返す力です。もしこの世が外から1000ポンドのプレッシャーをかけてきたら、「平安」は内側から1001ポンドで押し返すのです。私は行く所どこでもプレッシャーがあり、多くは非常に大きなプレッシャーです。多くの人々が私に会いたい、話をしたい、祈ってほしいと言って来ます。それは私の仕事ですから勿論かまいません。それを切り抜けるために私は「平安でいる」ことを学びました。神に安息することで私は平安を得るのです。
アドレナリンはやがて私たちの心と身体をすり減らし、疲れ果てさせます。仕事をして疲れるのはいいですが、仕事が嫌になってしまうのはよくありません。私たちは平安と安息と黙想を自分に与えることを学ばねばなりません。私たちが自分の内部を成長させて整えるならば、最高のレベルで長い年月働くことができるのです。(終り)

グラハム・クックの英語のブログ:http://www.brilliantperspectives.com/

恐れにあなたの約束を盗ませないで - ベニ・ジョンソン師(音声のみ)





メッセージ:ベニジョンソン師
通訳:相馬伸子

3ヨハネ1:2、民数13:17、14:24、詩篇27:13 
2016年の為の3つの事:
感謝する事、ワクワクする事、期待する事を主が2016年の為に与えていると思います。ある人は「でも自分のこの状況に感謝なんて」と思うかもしれませんが、聖書は「いつでも感謝しなさい」と教えているので、それを実践するのは私達の責任ですね。
今、私達のいる世界では色々な事が起こっています。ですから、恐れが入ってきて、心を支配し、影響する事を許してしまわないようにしましょう。今年は多くの人にとって、恐れと対決するような状況があると思いますが、「感謝する事」は私達が知っている以上のものを解き放つ事ができます。
カレブの話をしましょう。
カレブはユダ族のリーダーであり、モーセが12人をカナンの地に送ったスパイの内の一人です。彼は、他の10人が恐れに満ちて報告した時でも、ヨシュアとともに「私達にはそれができるから」と言ったのです。主は「彼は優れた霊、異なった霊をもっていた」と記していました。巨人は、「アナク人」とありますが、その意味は「長い首」でした。ユダ族をヨハネが祝福した時に「敵の首に手をかける」とヨハネは祝福したことは興味深く、私はカレブがユダ族の者としてこのような証し、祝福をきいて準備されていたとおもいます。民は恐れによって不従順であり、結果その世代が滅ぼされるまで、40年待ちました。モーセ、ジョシュア、カレブは生きていましたが、他の者は死にました。40年たって、カレブは民が恐れた「アナク人」「巨人」の住んでいる「山地」を私にくださいとモーセに願いそのようになりました。85歳ではありましたが、彼は自分の事をしっかりと管理し、戦いにも行けると宣言しました。驚きます。
詩篇27:13では「主の良さを、私達が生きている地において、見る事ができなければ、希望を持つ事ができない」とありますが、今年神様は、ご自身の良さを私達に今まで以上に現されると信じています。

パトリシャキングという預言者から、この言葉をもらいました。「祈りに満ちた祈り」リバイバルと書いてあり、栄光に溢れるドアの前に、人々が色々な鍵をもって集まりました。天使がそこに立って守って、導いていました。「必死」「期待」「希望」それらの鍵は良い鍵であるが、リバイバルのドアを開ける事ができず、「信仰に満ちた祈り」がそのドアを開けて、中に入るための鍵でした。他の方には「あなた達の上に、凍っている、固まっているものがあります」と最近 ビルが預言されました。ですから、その凍っているもの、あるけど、滞っているものを解き放つ、流し出しすために 一致して、皆で祈りましょう。

癒しの証です。友人が、ぎっくり腰になったので、油を作って持ってきてほしいと連絡してきたので、油を作り、「主よこの油を油注いでください」と祈りました。そうです、油を使って癒すのは、聖書的ですよね。長老を呼んで、油そそいて癒されるとありますね。友人にその油を塗った時、平和、シャロームが部屋に入ってきました。また、他の友人が腰の痛みの為に祈ってと言った時に、私は同じ油を持っていたので、その油を塗りました。2人とも癒されました。油は道具です。私達は、色々なことを試して見る事をしています。

Don’t Let Fear Steal Your Promises - Beni Johnson 
http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/don-t-let-fear-steal-your-promises

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