「あなたの家を岩の上に立てる」エリック・ジョンソン Building Your House on a Rock - Eric Johnson







Building Your House on a Rock - Eric Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子 

マタイ7:24〜29 

私は初めて4週間、1ヶ月の休暇、安息休暇を取りました。
その時には曜日を忘れるくらい、日常から離れて、家にはいましたが、でかけたところは、ホームセンターぐらいです。
長女を今年夏にメキシコの牧場での奉仕のキャンプに送り出しました。彼女を送る時も、迎える時にも泣きましたよ。
その時にわかったことは、自分がなんて豊かな男であるのかと言うことでした。娘たちは深く愛し合っていて、妻と僕もそうです。
このような関係を持てることは豊かです、富んでいます。

このように日常と離れて暮らすと心の中の普段は考えない事柄が浮かんできますね。今日はその話もします。
マタイ7章24〜27のメッセージは山上の説教の最後の部分です。
「この教えを聞き、行うものは岩の上に自分の家を立てる」また、「聞いても行わないものは砂の上に家を立てる」ものだと言われています。
「家」「砂」「岩」「天候」が重要な例えですね。家を建てますが、天候という力で壊れたり、それでも残ったり。
家とは「自分の人生、次の世代」であり「砂は〜今はもう無い物」「岩はゆり動か無い、しっかしと動かされ無い」「天候ー人生の出来事」。
あなたの人生をあなたがどこに建設しているか、気にしていても、しなくても、または大した事していないので、建設してい無いといっても、本当は建てているのです。
あなたの人生は「目的」「使命」があります、あなたの人生は「他の誰かに影響を与えます」。「自分の人生には全く影響力がない」という考えはひどい嘘です。
自分の事を話すならば、過去4週間で示された事があります、砂の上に城を建ててしまっていた事です。それは、自分の価値を自分がキリストにあるアイデンティティーではなく、仕事から得てしまっていた事です。ですから自分の過去数年のジェットコースターのような上がり下がりがあったとわかりました。
私達はよく、自分の心地よい「過去の砂」に家を建てる事もあります、変化を嫌うのです。でも神様は私達のように時間に束縛されず、同じように考えません。忍耐そのものです。
もし。砂の上に城を建ててしまっている事が「天候 人生のチャレンジ、危機」によって示されたら、それも感謝ですよ、後にそれがわかる方が大変です。


ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp 



「恐れの奴隷でなく」、「主は全てを受けるべき方」日本語 No Longer Slaves & Worthy of it All - JAPANESE

新しい賛美、2曲を紹介します。
歌と伴奏はイマイチ(歌詞の間違いも少しあるし😉!)ですが、心は100%です!
どうぞ、主の臨在を楽しみながら、一緒に賛美しましょう。
どちらも、歌いやすい、弾きやすい曲です。どうぞ、下記の歌詞とコードを使って、歌ってみてください。

Ok, so the music and singing leaves a little to be desired (complete with mistakes and mis-chords!) but our hearts are 100% set towards the Lord! Here are two songs that we particularly enjoy --- we have provided chords and Japanese lyrics below so please sing along in His presence.

「恐れの奴隷でなく」No Longer Slaves - JAPANESE 




D
主の歌で解き放ち
Shu no uta de tokihanachi

       G    A   D
わたしを包む
Watashi o tsutsumu

D
敵からも救い出し
Teki kara mo sukuidashi

   G        A    D
恐れ、消え去る
Osore, kiesaru

CHORUS

   G      A       D
恐れの奴隷でなく
Osore no dorei de naku

G    A    D
神のこども
Kami no kodomo

VERSE 2
D
初めから召し出され
Hajime kara meshi dasare

    G    A   D
名で呼ばれた
Na de yobareta

D
イエスの血で買い取られ
Iesu no chi de kai torare

 G    A   D
神の家族
Kami no kazoku


BRIDGE

Bm  A        D     G
海を分ち、道を作り
Umi o wakachi michi o tsukuri

Bm  A             D     G
恐れを愛で、消し去る
Osore o ai de keshi saru

Bm  A                D        G
救いを受けて、さあ、歌おう
Sukui o ukete saa utao

G    A     D
神の子ども
Kami no kodomo


「主は全てを受けるべき方」 Worthy of It All - JAPANESE




VERSE

C         D
聖徒と天使
Seito to tenshi

     C       D
御座の前に
Miza no mae ni

C          D
長老と一緒に
Choro to issho ni

           C   D   G
神の小羊に歌う
Kami no kohitsuji ni utau

CHORUS

               G
主は全てを
Shu wa subete wo

                 D
受けるべき方
Ukeru beki kata

       C                  D
万物を、すべ治める
Banbutsu wo sube osameru

                 G
栄光をあなたへ
Eiko o anata e

「勇気の日」ビル・ジョンソン師 Day of Courage - Bill Johnson





Day of Courage - Bill Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子 

1サムエル14、詩篇67、イザヤ60

サウルの息子、ヨナタンは非常に優秀で、勇敢な戦士でした。
1サムエル14では、彼は自分と、道具持ち(戦士でないもの)の2人だけで、山の上の方のペリシテ人の陣地に向かいました。
そして、彼は「たぶん主が我々に味方してくださるだろう。大人数によるのであっても、少人数によるのであっても。主がお救いになるのに妨げになるものは何もない」という素晴らしい事を告白しています。このフレーズを覚えてください。これは「新しくされた思い」で考えているものです。
人は「数」「サイズ」「時間」によって、束縛され、心配しますが、神にはこれらは全く関係ないのですね。思いが新しくされる事から見えるしや、言える言葉です。
8節から10節でヨナタンのいう事、行う事は「人間的に考える軍事的作戦」としては全くおかしいのですが、神のやり方は、不思議です。聖歌隊を軍隊の前に出して、歌わせよという事と同じようにおかしいですね。しかし神のやり方は、違うというところです。
13節では「ヨナタンが登ったら、ペリシテ人はヨナタンの前に倒れ、道具持ちがその後から彼らを打ち殺した」とあります。素晴らしいですね。

21節には「それまでペリシテ人につき、彼らと一緒に陣営に登っていたヘブル人も転じて〜イスラエルの側につくようになった」とありますが、イスラエル人としてのアイデンティティーを捨て、人生の生き方、服装、言葉を「敵陣」のようにして、敵陣の中にいたユダヤ人がいたのです。
しかし、先のヨナタンと道具持ちの勇敢な物語を聞いた時に、彼らはイスラエルの側に戻ってきました。何かが変わったのです。勇敢なストーリーが解き放たれる時に変化を心の奥深くに起こすのです。
22節には「エフライムの山に隠れていた」イスラエル人もペリシテ人が逃げたと聞いて、彼らもまた戦いに加わったとあります。
勇敢な物語が、解き放たれる事で「山に隠れている」神様の働きにつながっていない、人々もそこから出て、戦いに加わったのです。

証しを聞く事は、そのような働きをします。
問題に対して、神の民が、神の言葉を解き放ち天がそれに答え、イエスの栄光が見えるようになるのです




ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp 

「真の共同体を求めて探し回るのを辞めましょう!」ジェフ・リンスコット




ある興味深い見出しと短い記事を読みました。

「真の体(共同体、繋がる場所)を追い求めるのを辞めましょう。」というタイトルでした。

内容は、簡単に言いますと、どこかに完璧な人間関係、自分が所属するべき共同体があるはず!と言って、新しい場所を探し求めるのを辞めて、今、既に与えられている人々と一緒に、もっと深い関係を築く、それこそが真の共同体だという励ましの記事でした。

とても、考えさせられました。

教会の体、共同体は、まず、砕かれた人間の集まりです。
傷ついた人もいれば、いろいろな重荷を担いでいる人も居ます。そう言う人達が一緒に居ると、ぶつかること、傷つけあうことは、当たり前ですね。

ただ、その後、どうなりますか?

その関係に向き合う事をせず、逃げて、その人を避けますか?壁を造りますか?ある程度の距離を保てば、建前で付き合う事も簡単ですね?

それとも、7X77倍回 赦しあって、キリストに自分の痛み、恨み、妬みなどを委ねて、御霊にある一致を保ちますか?

完璧主義の社会の中で、自分の本音を相手に見せる事は難しいですね。
本心を見せたら、人はどう思う?
本当の自分のことを知ったら、人は拒絶するかもしれない。

最近、ある心理学者の講義を聞いて、本当に聖書の真理とそのままの話だったので、感動しました。

人間はみんな、幸せを感じる為に、深い、親密な人間関係を築く事が不可欠だと言う事を説いています。こころを開いて、つながり合う関係ですね。でも現実には、こころが開けない、自分の弱さをさらけ出してでも、本音を出して関係を築く事が出来ない人がとても多く、本当の深い絆を築く事は非常に難しいと言っています。
その心理学者本人も、研究の途中で、この真理に気づき、自分自身が弱さを人に見せれない性格だと言う事が分り、そのルーツを探ったりして行くうちに精神分裂症になりました。一年間の回復後に、研究を再開しました。

本当の絆を育むためには、自分の弱さを見せないといけない。しかし、こころを開いて、本音を出すためには、恥を捨てないといけない。本心を伝えたら、拒絶されるかもしれないという恐れを拭い捨てないと行けない。でも、育って来た環境や様々な状況の中で、恥や恐れを手放す事が出来ず、一生こころを開けない人達が居ます。配偶者にも、友人にも、家族にも。その人たちは、深い絆で結ばれた愛の信頼関係を築く事が出来ず、結局、傷ついたり、拒絶されたりを繰り返してしまいます。

彼女の研究結果によると、自分の弱さをさらけ出して、こころ開けれる人に共通している事は一点だと言います。彼らは、「自分は愛されている、受け入れられるに値する存在であるという自信」を持っている人だそうです。
つまり、愛されていることを自覚している人は、恥を捨てて、自分の弱さを見せることができる、それで他人が自分の事をどう思おうが恐れない、その結果、彼らは他人とさらに深い絆を育むことができます。

反対に言いますと、愛されている事が自覚出来ない人、自信の無い人、不安のある人は、こころを開いたら、拒絶されるかもしれないとの恐れを持っています。本当の自分を見せれない状態、いつも建前の強さ、うまく行っているように見せて、完璧主義などになり、深い絆はなかなか育めないのです。

じゃあ、その解決は?
一人一人が、天のお父さんの無条件、無限、そして完全な愛に満たされることです。
そして、その愛の中から、踏み出すこと。リスクをとること。

人に、自分の弱さを見せることです。
助けてください。
手伝ってください。
一緒に祈ってください。

特に、牧師やリーダー達が、このへりくだりの心をもつ必要がありますね。心から本音で語る事です。

傷つくことが増えるかもしれない、
裏切られる、拒絶されることもあるかもしれない。

しかし、こういう本音の人間関係を築かない限り、本当の聖霊様の一致と本当の教会の共同体にはなれません。

今週のチャレンジ、
祈って、聖霊様の導きによって、ひとりにでも、自分の心を開いてください。手伝いを求めてください。
「わたしは、あなたが必要です!」と言って、毎週でも、2人−3人で話し合いと祈り合いの時を持ってください。

そして、本当の聖徒の交わりの素晴らしさを味みてください!

WHY YOU SHOULD STOP SEARCHING FOR AUTHENTIC COMMUNITY

I was inspired to write this short message in Japanese after reading this article.

It is an encouragement to stop looking for a “real” community and start building real community with those around you.

Every human being needs deep, open human relationships.
However, in our perfectionist societies it is difficult to be real with people.
If we show who we really are what will people think?
If people really knew me they might reject me!

What is the answer?
Firstly each and every person needs to be filled by the un-conditional, endless and perfect love of God!
And from that love we can step out to take risks in relationships, become vulnerable to 2 or 3 people and we will automatically build authentic community.

If we do not build these open relationships we cannot experience the true unity of the Spirit in the church community.

Check this great TED talk about vulnerability here: https://www.ted.com/talks/brene_brown_on_vulnerability?language=ja 

FOR THOSE WHO LOVE JAPAN!
Many people live IN community but not PART of community --- in the sense that their woundedness, pride or unwillingness to be open stops them from going deeper.
Please pray with us for the healing love of the Father to sweep over the Church in Japan --- to bring people to deep connection and community where they are.

「全てのクリスチャンは、献身者です!」ジェフ・リンスコット





素晴らしいメッセージを紹介します。
「神と共に働く者」ポール・マンワリング氏によるメッセージですが、私たち皆、神様のためにだけでなく、神様と共に働く特権が与えられています。
(下記のリンクを参考にしてください。)

普通は、「献身者」と聞いたら神学校へ行った人を考えますが、ローマ12:1によると、私たちは皆、自分の身体を捧げるのが、普通のクリスチャンとしての礼拝です。神様への愛の表現です。

「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」ローマ12:1

自分の身体を捧げることとは、具体的に、どういう意味ですか?
あなたの身体に関する全てのことを神様に委ねることですね。
また、霊、魂、身体を分けることはできないので、その意味は、人生に関わる全ての領域を主に捧げることです。

私たちの時間、過去、現在と将来
私たちのお金と持ち物は、もちろん。
私たちの身体、健康、賜物、能力、才能もすべて主に捧げる。
私たちの思い、意思、将来の夢、感情、態度、喜び、悲しみ、やりたいこと、やりたくないことも、主に捧げる。
私たちの家族、友人、人間関係;将来結婚するか結婚しないか、そのすべても主に捧げる

特に一般の職業についている人を励ましたいと思います:

昔から教会で勤める人、牧師、神父の階級と、一般職業のクリスチャンを分けてきました。献身者と一般信者。
しかし、聖書はそのように、人を分けていません!

あなたは、学生、主婦、無職、誰かの介護中であっても、一緒です!
牧師、教師、アルバイト生、会社の社長であっても、一緒です。

あなた自身に与えられた賜物、才能と時間を忠実に主に捧げるだけです。
(これこそ、タラント与えられたしもべの例え話の意味ですね。マタイ 25:14-30)

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」
コロサイ 3:23

時間のある人は、ぜひ「神と共に働く者」ポール・マンワリング氏のメッセージ を聞いてください。


Introducing Paul Manwaring - Co-labouring With God message

9月22日(祝)ワーシップダンス・ワークショップ Worship Dance Workshop - Sept. 22


沖縄、神戸で行われたホームカミングギャザリングから始まり、神にあって解放されたダンサ ーたちは、日本において、さらに主の臨在をもてなし、主の栄光が現されるために用いられることを願っています。

私たちはこの夏、Davids Of The Tabernacleという名前のダンス・グループを立ち上げるように導かれ、自分たちの体験した恵みを、日本の各地で分かち合い、共に励ましあって成長するためのワークショップを定期的に行っています。

9月は、関西の西宮市で、ダンスワークショップを行います。

以前にギャザリングにダンサーとして参加された方はもちろん、ダンスの経験はないけれど、神の前で踊りをもって礼拝、賛美したい方、ダンスの経験はあるけれど、どのように神の前で踊ってよいかわからない方、ぜひ主に祈って、導かれたらご参加ください。対象者は14歳以上です。

<日時とスケジュール>
2016年9月22日( 祝)
セッション1 13:00~13:50 (動きのセッション)
休憩 
セッション2 14:00~14:50 (解放と一致のセッション)
休憩
セッション3 15:00~16:00  (創造のセッション)

<必要なもの>
☆動きやすい服装、上履き用ランニングシューズ、飲みもの、タオルをお持ち下さい。

<場所>
西宮市立勤労青少年ホーム、4階、小体育室
西宮市松原町2-37 電話 0798-35-5286
地図 GOOGLE MAP

阪神西宮駅から東に徒歩 7分、JR西ノ宮駅から南西に徒歩 7
駐車場はありますが、満車の場合が多いので、西宮市役所の駐車場、または近くにあるタイムズなどをご利用ください。

☆レッスン代はドネーション(献金)となります。


<主催>
Davids Of The Tabernacle 代表 兵庫江美
(予約&お問合せ)

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Worship Dance Workshop - Sept. 22
Ever since the Homecoming Gatherings in Okinawa and Kobe more and more people are being released in dance to worship and release the glory of God.
This past summer Emi Hyogo felt led to begin a dance ministry, Davids of the Tabernacle, to gather together to share from her own experience and the grace of God the blessing of dance through regular workshops all over Japan.
On September 22nd she will hold a seminar in Nishinomiya, Kansai.
You do not have to be experienced in dance, but just open to dancing and worshipping before the Lord in freedom. The workshop is open to anyone 14 years or older;

Date and Time
September 22, 2016 - (Thursday, Public holiday)
Session 1 - 1:00pm ~ 1:50pm - Movement
Break
Session 2 - 2:00pm ~ 2:50pm - Freedom and Unity
Break
Session 3 - 3:00pm ~ 4:00pm - Creation
Donations accepted for the Lesson fee.

What you Need:
Please wear easy-to-move clothing, indoor shoes (sports shoes for use indoors only etc.), a drink and a towel.

Location
Kinro Kaikan - Youth Home - Small Exercise Room 4F
Nishinomiya City Workers’ Union Building - Youth Building is on the NORTH side of parking
2-37 Matsubara-cho, Nishinomiya
Please check the map here: GOOGLE MAP

Access by car: Car park available, but if it is full then please use the Nishinomiya City Hall parking lot;
Access by train: 7 minutes walk east from Hanshin Nishinomiya Station 7 minutes walk to the southwest from JR Nishinomiya

Sponsor
Emi Hyogo of “Davids Of The Tabernacle”
emihyogo@yahoo.co.jp

「罪からの解放2:イエス様は我らの豚小屋にもおられる!」ジェフ&綾・リンスコット





実は、私たちにとって、豚小屋がもはや存在していません。
しかし、多くの人は、自分の思いの中、そして、自分の現実の中に豚小屋に生きています。
悪夢に比べたら、わかりやすい。
悪夢は、妄想です。本当の現実ではありません。しかし、悪夢の只中にいる人にとっては、本当に怖い、本当に最悪の現実のようなことを経験しています。しかし、その人が目覚めたら、悪夢だとわかったら、ほっとして、喜びます。
起き上がって目覚めた現実は、悪夢の現実にはるかに勝ります。

だからこそ、パウロの戒めは:「心の一新によって自分の思いを変えなさい。」

この素晴らしい証でわかりやすいです:

ある男の人は、パニック障害で苦しんでいました。
精神的な恐れが襲ってきて、本当に怖くなり、痙攣が起こり、真っ暗の穴に落ちるように感じて、最悪の状態に陥られる。
いつ次の痙攣が始まるか分からないので、ずっと不安と恐怖を感じて生きてきました。

クリスチャンの友人にそのことを話したときに、友人が提案をしました。
今度痙攣が起こりそうになるときに、まず、安全を確保して、痙攣がくることを拒まないでください。非常に怖いことですが、痙攣がくることを許して、精神的に、その真っ暗の穴のどん底まで、一番下まで落ちてください。
一番どん底の所についたら、周りを見てください。
あなたの周りには、イエス様がいるはずです。そのことに気づいてください。

男の人はそのアドバイスを受けとって、帰りました。
次、車を運転していた時に、痙攣が起こりそうになり、車を道路わきに駐車して、安全を確保しました。そして、抵抗しないで、痙攣がくることを許しました。
友人が言ったように、彼がその真っ暗の怖いところに陥れられたとき、回りを探しました。
なんと、イエス様が共におられました。
その啓示によって、彼はパニック障害から癒されました。

みなさん、神様は、あなたが自分の弱さから逃げるように、導いてはおられません。
また、あなたの感情を否定したり、ないように無視するようにも望んでおられません。
あなたが真っ暗の穴のどん底にいるとき、あなたと一緒にいたいと願っておられます。

それが、例えば自分の罪による穴であっても、または、人から受けたトラウマや虐待、傷、拒絶などによって、おとし入れられた穴であっても、一緒です。

イエス様は「捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げるために、来られました。」イザヤ 61:1
捕らわれ人は、他人の罪によって捕らわれている人。
囚人は、自分の罪によって捕らわれている人。
どちらにも、解放がありますよ!

まず、安全な場所を確保しましょう。
  1. 今、安全で、自分がありのままになれる、また、感情的になっても大丈夫な場所を確保してください。自分の部屋が良いでしょう。パソコンや電話など、急に音が鳴るようなものも、消しましょう。
  2. 聖霊様を招きます。
  3. 聖霊様に、今日は何を取り扱ってくださるか、と尋ねてみましょう。
  4. 今、その「穴」に連れていってください。その時の感情、気持ちなどを否定しないで、感じれるように、思い出して下さい。主にゆだねてください。
  5. ある思い出、場所、人、神様にしめしていただきましょう。必要なら、ノートを取ってください。
  6. その穴に着いたら、そこでイエス様をシーンの中にお迎えして下さい。ご自分の口でイエス様をよんでみてください。「イエス様、今、あなたをこのシーンにお迎えします。」
  7. そして、イエス様を探して下さい。思いの中で360度見回して下さい。イエス様が人の姿で見える方、光のように見える方、見えないけど間隔で分る方。色々な方法で主がご自身を表されます。それに目を留めて下さい。
  8. イエス様、今、その場所でこの方が必要としている真理を教えてください。あなたが、今日、この人に見せたい事を見せて下さい。

ぜひ、このプロセスをとおして、解放と救いを経験した人、ぜひ、続けてその自由の中に、歩んでください。