「人生の歌」ダニー・シルク Song of Life - Danny Silk







同時通訳:相馬伸子

ハバクク1:1〜4、2:1〜2、3:1、2
ハバクク書から「人生の歌」を見ていきましょう。
ハバククは「自分の周りにある不義、暴虐」を神様に訴えていますが、あなたはどうでしょうか?
あなたのまわりの出来事は、あなたにとって「正しさの基準」を麻痺させるような働きになっていませんか?インターネットやメディアを使って、誰かが、私たちの「正しさ」の基準を麻痺させようとしているのです。世界中の恐ろしい出来事があなたの目の前にやってくる事もネットによって可能です。

何にたいして「心が動かされる」事かはひとそれぞれ違うのですが、あなたはあなたの心が動かされたを「重荷」として受け取ることでいいのです。ハバククはまず最初に「重荷」を「文句」として神にぶつけていますが、それは、祈りです。そしてハバクク3:19には「指揮者のために弦楽器に合わせて」とありますから、祈りに音楽がつけば、それは歌ですね。ですから、「人生の歌」と私は呼んでいます。

「神よ、なぜこんな事を」と「なぜ!!」と聞いている時には答えはきません。「なぜか」という事は質門ではなく「あなたの答えを却下する、もう一度他の答えをせよ」といっているのですからね。しかし、ハバククも、「なぜあなたは何もしないのですか?」という所から「私は何をしたらいいのですか」という場所に移されるのです。

そして「わたしは、なにをしたらいいのですか」ということは、ビジョンを得たことです。最初はビジョンがはっきりしなくても、書き出してください。書き出すなら、書き続けていくことで、そのビジョンはだんだんとはっきりしていきます。そして、そのビジョンによって、天からの「満たし」がやってきます。問題は、フラストレーション、重荷となり、ビジョンとなり、天がそのビジョンから地に解き放たれることになるのです。

ビジョンは天にあって、あなたに見つけられ、歌われることを待っている歌の歌詞のようです。書き出すことによって、チャンス、機会が、あなたの人生の上にある好意と共に働くことでき、チャンスや好意はあなたの所にやってきます。天が地で解き放たれる、立てあげられるためです。

そして、3章でハバククは 主よ、わたしはあなたが過去にやったみわざを聞きました。どうぞそれをまた、行ってくださいと言っていますが、これは証しのことです。ベテル教会のリーダーの会議は、かならず「神様がしてくれた良い働きの証しをしましょう」といって、視野を正しくしてから、問題に対処します。
最初に 神を高くすることで、問題は小さくなってくるのです。

そして、最後、いつも主にあって喜んでください。ハバククのように「しかし、わたしは主にあって喜び勇み、わたしの救いの神にあって喜ぼう」と「私の主、神は私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる」といいましょう。


ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:ダニー・シルクによるメッセージです。同時通訳:相馬伸子
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Interpretation by Nobuko Soma 


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「神は私たちを置き去りにはしない」グラハム・クック God Will Not Let You Stay Stuck - Graham Cook

神が私たちの人生の中にどのように関わられるかをよく理解する時、私たちの人生は変革されます。それは「神が私たちのうちで何をしておられるか」又「私たちを通して何をしておられるか」を見ることができるようになるからです。そしてこの二つを混同することもなくなり、私たちは神の臨在に中で時を過ごし、啓示、導き、愛を受け取ることができるようになります。
しかし、これは普通すぐに経験できることではありません。「神を待ち望む」には忍耐が必要です。それはすべての事には最適で完全なタイミングがあるからです。伝道者の書3:1は「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」と告げています。
私たちは自分が願っていた、あるいは予期していたよりも物事に時間が掛かるとき、神を疑いたくなる衝動に駆られる時がありますが、これに対しては抵抗しなければなりません。時として私たちは「何も起らない」とつぶやいたり「ここは自分がいるべき所ではないのかも・・」と思ったりします。
しかし自分がいらいら焦れば焦る程、逆に神は物事を遅らせるということに気がつきました。それはやかんで湯を沸かしているようなものです。私たちが急いでいる時程、神はゆっくり沸かせられます。ですから私たちは、自分の周りで起っている状況の中にではなく、キリストの内に生きていることを忘れないようにすることが大切です。主が私たちの安息であり平安です。私たちの状況から平安を得ようとしても巧くいきません。なぜならば平安は頭からではなく、心からくるものだからです。平安は状況の中から生まれるのではなく、主との関係の中で生まれるのです。
心からの感謝と喜びが平安と安息を生み出します。なぜなら心からの感謝はすべての否定的でマイナスなものに打勝つからです。頭で喜ぶことは一時的な気休めにしかなりませんが、心からの喜びは私たちのライフスタイルを変えます。
感謝はありふれて起こることではありません。感謝とは主の喜びを経験することによって私たちが解放されて喜ぶことです。喜びこそ天国の持つ霊的環境であり、私たちの内なる霊的環境を永久的に変えるものです。
喜びは神そのものです。ですから私たちが喜ぶのは、神というお方の本質に私たちが応答することです。私たちは喜びの中に住まうことができます。それは神が喜びの中に住んでおられるからです。平安と安息とは、私たちの内なる命から生まれ出て私たちのライフスタイルとなるべきものです。どうか神のご性質の中に時々訪れるのではなく、神の内に住んでください。神の内に住まい留まるならば、神はあなたの内に住んでくださいます。(ヨハネ15:1-11参照)平安と安息は神の内に住まう結果であり、それは私たちクリスチャンが受け継ぐべき資産の一部です。私たちが神を相続し、神は私たちが受け継ぐ私たちの資産なのです。
神は、私たちが信仰によってこの真理に更に深く進み続けることを望んでおられます。私たちは霊的成熟の道を歩むようにと召されているのです。ですから私たちは、神を待ち望むことをもっと理解するように成長してゆかねばなりません。神は私たちの想像をはるかに越えた多くのすばらしいものを用意していてくださるのです。それは、第一コリント2:9に「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことにないもの。神を愛する者のために、神が備えてくださったものは、みなそうである。」とある通りです。
しかし神のギフトを受け取るために、私たちは神の中に住まねばなりません。神がキリストの中に私たちのために用意してくださっている場所に入らねばならないのです。私たちのすべての集会 gatherings の目的は、私たち一人ひとりがすべてイエスとの関係の中に確立されることです。 キリストの中にどのように住まい、 又留まるかを聖霊に聞くのは一人ひとり私たち個人の責任です。その時に、安息が訪れるのです。(終り)

「主の臨在をもてなすの集まり」マーク・バンヤード Hosting His Presence Gatherings - Mark Banyard





マーク・バンヤードさんと二人で「主の臨在をもてなす」集会について話します。
今度の「主の臨在をもてなす」集まりの情報

そして、皆さんも、2−3人どんな集まりでも、主の臨在をもてなす我らの永遠の目的を覚えてください!

Mark Banyard and Jef talk about the “Hosting His Presence” gatherings, and our eternal purpose of being a people of His presence.

Check out upcoming meetings:



And remember! Every time you gather with other brothers and sisters in Christ is an opportunity to host His presence and enjoy our eternal purpose together.

「主の臨在をもてなそう!」渋谷の集まり “Hosting His Presence!” Shibuya Gathering


[English below]

昨年渋谷において、私たちはこの国で、またこの町の中で神の臨在をもてなすという唯 一の目的のために、共に集まりました。一年を経て、主が再び集まるよう召しておられ ると信じます。
来る7月2日(土)、私たちは霊において一致し、一つ身体、聖なる祭司として共に集ま り、私たちの礼拝、また賛美を通し、主の臨在に仕えようではありませんか。
礼拝の流れの中で、私たちはこの地上に、イエスの御身体を通して、主の御心によって、 あらゆる方法をもって神の国が建て上げられる事を日本の上に預言的に宣言します。
そしていよいよ、この日本における神の国の働きの為に、主の御言葉と霊によって分与 と活性化があると信じます。
どうぞ今からお祈り下さり、奮ってご参加下さい!

どのような教会やミニストリーの方も歓迎致します。 入場料はございません。 集会中に自由献金を集めます。

日程:2016年7月2日(土)
時間:午後2時~6時
会場:東京渋谷福音教会
東京都渋谷区南平台町6-17
地図:https://goo.gl/maps/Eh8uAd4NfGM2
更に詳細がお知りになりたい場合はこ ちらまでご連絡下さい:
hostinghispresencejapan@gmail.com

FaceBook イベント:https://www.facebook.com/events/1705315619735256/

Last year, we gathered together in Shibuya with the sole purpose of hosting the Presence of God in the city and in the nation. Now, a year later, we believe that God is calling us to meet again.
On July 2nd, we will come together as One Body, in the Unity of the Spirit, as a Royal Priesthood, to minister to His Presence through our worship and praise.
In the context of worship, we will make prophetic declarations over Japan that the Kingdom of God be established in all ways according to His will through Jesus’ Body here on earth.
And finally, we believe that there will be an impartation and activation for Kingdom ministries in Japan through His Word and His Spirit.
Please pray and plan now to join us!

Members of all churches and ministries are welcome. There is no registration fee. A free-will offering will be taken at the time of the gathering.

When: Saturday, July 2nd, 2016
Time: 2:00pm-6pm
Where: Shibuya Evangelical Church, 6-17 Nanpeidaicho, Shibuya-ku, Tokyo
Map: https://goo.gl/maps/Eh8uAd4NfGM2
For more information please contact us at:
hostinghispresencejapan@gmail.com

「痛みを委ねる事」ブライアン・ジョンソン Surrendering Pain - Brian Johnson





同時通訳:相馬伸子
ピリピ1:9.10 ヨハネ5:34、41
自分は今までの人生で痛みを感じない、痛みがあっても、その感情をどうやって取り扱うかを知らない男性でした、しかし、去年の7月に起こった出来事によって、転機がきました。その頃は賛美の学校のミニストリーが一つ終わり、しかし賛美のレコード会社の仕事は、繁栄し、同時に沢山のストレスを抱えていた時でした。
急に、心臓が痛み、自分では自分をコントロールするできなくなり、十代の頃に一度解放されたパニックアタックも再発し、ノイローゼになってしまいました。ミニストリーもできなくなり、家で子供の声が大きいと家にはいられなくなり、庭の芝生を見てもパニックアタックになるような非常に苦しい季節になりました。
特にアメリカの男性は「タフ」になり、強くなければならない文化があり、自分の中の痛みに対して「感じる」事をせず、痛みを避けようとします。
自分達は、よくスポーツの試合を見たり、沢山食べたり、それ自体は罪ではない事をすることで「天の父に渡すべき痛み、苦しみ」をこれらで簡単に忘れる、また心のそこに埋めるのです。でも、それは、いつか爆発して、自分のように壊れます。砕けます。
人間は痛みを感じるように作られています。イエス様も痛みを経験し、でもそれを天の父の足もとに委ねたのです。自分たちもそうです。妻によって、ソーゾーの祈りに導かれ、赦していない事に気つかされ、対処できましたが、その痛みが取られた事は感謝です。

イエスは人の賛美は受けない方でした。私達も、人からの賛辞によって高く挙げられるなら、人からの言葉によって低く落とされるでしょう。神様のところから、自信も、資格も、友情も受ける事が私達を長い間信者として歩ませるために必要です。偉大な人たちは、急に偉大になったのではなく、誠実に、真の友情を育て、神の声を聞き、啓示をうけるのです。

イエスは「あなたはなにがほしいのか」と弟子たちに聞きました、それは「あなたは私から何がほしいのか」私を使うためか?それとも友情のため、ただあなたがほしいというのかと 私達に聞いていると思います。私達はテストされます、イエスがただほしいのか、願うのか、それとも、ミニストリーに使うためにイエスを求めるのか?

Original message: Surrendering Pain - Brian Johnson
2016-5-8 Sunday Morning Bethel Church Message
© Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000
Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp

https://www.youtube.com/watch?v=noOdRc14Uos (Brief introduction video. 5分の紹介動画)
http://www.bethel.tv/watch/4006/sunday-night/2016/05/08 (Full message, requires registered account. 登録必要)



So many of us spend our lives trying to avoid pain without realizing that facing the pain head on might be the thing that propels us into our very destiny. The reality of pain in our lives is inevitable, but we have a choice of what to do with it: will we retreat from it, or will we bring it to the Fathers feet, choosing to praise Him even when we don’t understand? Brian Johnson shares his journey through pain, and how the Lord brought him strength and courage for his destiny through his darkest season.