「あなたの聖書を読むメガネは何色ですか?」What Colour are Your Bible Reading Glasses?

 

 聖書を読むメガネは非常に大切です。

律法、つまり、旧約、人の行い中心の目を通して聖書を読むと、全てが律法になります。
信仰も、愛することも、全て律法のようになります。



旧約聖書の言葉も、新約聖書の言葉も、イエス様の教え、パウロの教えも、全て律法のようになってしまいます。
そして、律法を通してどうなりますか?
死にます。自分の行いが足りないと分かったら、信じることでさえも私の働き、祈ることも私の働き、神様との交わり、デボーションタイム、ソーキングすることも、私の働きとなってしまい、喜びがなくなり、疲れてしまいます。

しかし、新約、恵み、神様の一方的な無条件の愛、イエス様の十字架によって、私たちが神様と不思議に結合されていることを通して、聖書を見ると、なんと、命、喜び、平安があふれます。

旧約聖書も、新約の恵みに溢れていることに気付きます。
そうです、私たちの聖書は、新約と旧約に分かれていますが、旧約聖書のなかには、新約の恵みが溢れています。そして、新約聖書には、旧約の律法もあります。

ですから、問題は、あなたの見る目です。あなたの聖書を読むメガネです。

簡単に言いますと、内に住んでおられる聖霊様を通さずに聖書を読めば、死にます。または、聖霊様を通さずに聖書を教えるなら、聞く人を殺してしまいます。

この言い方は、きついと思われますか?パウロの言い方ですよ!
「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。
文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。
文字は殺し、御霊は生かすからです。」2コリント 3:6
もう一度言います。
聖霊様の導き、指導、ひらめき、啓示以外に、だれも聖書の言葉から命をいただくことはできません。
同じように「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません。」1コリント 12:3
いっぱいありますが、いくつかの例を申し上げます。
「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」エペソ 4:2-3
気付いて頂きたいことは、一致を作りなさい、ではなく、聖霊の一致を保ちなさいです。
つまり、聖霊様によって、父なる神様、子なる神様、聖霊なる神様、そして信じる全ての人との一致が既にあります。
私たちは、皆既に、不思議に繋がれています。

自分の努力を通して一致を作ろうとすると、無理です。疲れてしまいます。
聖霊様の一致に、自分を委ねることです。

もう一つの例:
「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」エペソ 5:25
律法の目を通してこの言葉を読むと、死んでしまいます。イエス様のように、妻を愛する人は、いない!
しかし、イエス様が内に住んでおられることに目覚めたら、心や思いの一新によって、ついにこの御言葉に従うことができます。

なぜ?
聖書は、文字のいっぱい詰まったただの本ではなく、あのお方です。
イエス様ご自身です。
「はじめに言葉があった。」ヨハネ1:1 は、イエス様です。

この聖書の文字は、イエス様と出会う招待状です!
自分の努力はどれほど無力かと分かり、神様、救ってください!と叫ぶまで、私たちを導いてくださる言葉です。
そして、そこでイエス様が喜んで現れ、その恵み、喜び、命を与えてくださいます。
イエス様が与えられる水を一口飲めば、永遠の命に至る溢れるばかりの水が私たちの心の奥底から流れるようになります。
「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ(なさい)」コロサイ 3:16
頭で勉強する教科書ではありません!内に住まわれる生きている御言葉イエス様です。

聖霊様を通さずに、聖書を読めば、パリサイ人のようになります。イエス様が彼らに言われました:
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」ヨハネ 5:39-40
みなさん、この律法学者やパリサイ 人は、聖書崇拝者でした。
つまり、神様、または、救い主、イエス様との関係よりも、神様が与えられた言葉を大事にしてしまいました。
生きている御言葉ではなく、文字の言葉を迎え入れました。
聖霊様の啓示ではなく、自分の知識や理解力に頼りました。

私たちは、そうなってはいけません。
子供のようになり、毎日素直にイエス様の足もとに来ればいいですね。

みなさん、私は、聖書の言葉が大好きです。
毎日読んでいます。
暗記している箇所も多いし、御言葉の歌もいっぱい作っています。

しかし、文字としての聖書をただ読むのではなく、生きている御言葉イエス様ご自身が私の中に生きておられることを覚えて、感謝して、毎日喜んでいます。

聖書を学んで、イエス様を真似するのではなく、イエス様が私の中にいるので、その命を私を通して生かしてくださるように、ゆだねます。

聖霊様の水道管がここまで来ています。私が、その蛇口を開くことも、閉めることもできます。

では、次回は、もうちょっと具体的に、聖書を読むこと、勉強する、理解するために、また、キリストに成長するための御言葉の原則を見ましょう。
次回お会いするときまで、イエス様の満ち満ちた豊かさの中に休んでください。