「人の内に神の栄光を見つけ出す」ジェフ・リンスコット







イエス様を通して、天のお父さんの心がはっきり見えます。
「わたしを見た者は、父を見たのです。」ヨハネ 14:9
とイエス様は言われました。
「また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。」ヨハネ 5:22 
しかし、イエス様は、自分についてこう言われました:
「わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。」ヨハネ 12:47

父なる神様と子なる神様の間の陰謀です!
人を裁くのではなく、救うための陰謀です。あなたも、わたしも、全世界の人々は、その恩恵をいただけます。

ヨハネ8章には、パリサイ人が、姦淫の罪に捕らえられた女の人をイエス様のところに連れて来ました。

イエス様は最後に彼女に言われました:
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今後はもう罪を犯さないように。」ヨハネ 8:11
あなたの罪の道を離れなさい、ということですね。

マタイ9章にある、友人に運ばれた中風の人の話。
「イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、『あなたの罪は赦された』と言われた。」マタイ 9:2 
と言われました。

気づいていただきたいことは、姦淫の罪の女の人でも、中風の人でも、何も言わず、何も頼んでいないのに、イエス様は彼らの罪を赦されました。

ルカ19章にある、収税人のザアカイの話で、イエス様は、彼の罪のことを何も言わなかったのに、一緒に食事して交わることだけで、ザアカイは、自ら罪の道を捨てて、
向き直し、イエス様についていくようになりました。

次は、福音書にあるわたしの一番好きな物語、放蕩息子のたとえ話です。

この話しの本当の主人公は、放蕩息子ではありません。これは、愛に溢れるお父さんの話です!
そして、私たち人間は皆、この話の中の登場人物です。世界の全人類が、この話の誰かに当てはまります。
皆さんは、誰に当たるでしょう?

この物語をベースにして、「人の内に神の栄光を見つけ出す」ことについて考えましょう。

まず、全ての人は、神様の似姿に作られ、神様の子供、神様の栄光のために選ばれた者です。
この話の中には、神の怒り、和解、悔い改めや向き直し、赦し、救い、清め、愛もすべて描かれています。

私たちクリスチャンはよく隔ての壁を作ります。
中と外。クリスチャンとノンクリスチャン。

しかし、イエス様は隔ての壁を壊すために来られました。(エペソ 2:13-16 )

私たち人間は人の違いを強調しますが、神様は、人間の行動や罪による違いに目を止められません。
「何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められたのです。」ローマ 3:22-24
以前言ったことがありますが、初めから終わりまで、弟も、お兄さんも、お父さんの子供です。本人が気づいても、気づかなくても、これは真理です。

問題、壁は全部、弟とお兄さんが作ったものです。初めからお父さんからの壁はありません。
神様に対する敵対心は、私達人間が作ったものです。神様からのものではありません。

この物語の中に、神様の怒りがはっきり見えます。
どこですか?
お父さんが、弟に大お金を渡して、手放して、旅に出したのは神様の怒りです。弟が快楽と放蕩に走ったが、ついに豚小屋の地獄にたどり着きます。これこそ、神様の怒りです。
自分の決断に対するふさわしい報い、結果を味わうということです。
ローマ1章にあるように、神様は、彼らを良くない思い、良くない行動に引き渡されました。
これこそ、神様の怒りです。

そして、神様の怒りは神様の愛の一面です。常に、子供がお父さんの家に戻るための招きです。
捌きと、子供を追い出す、見捨てるようなものではありません。人間のようなガンガン怒る怒りではありません。
子供が戻ってきて、お父さんの豊かな愛の中に帰ってくる為の招待状です。

この物語の中、神様の和解はどこですか?
初めから終わりまでです。
というのは、神様との和解は、私たちにかかっているのではく、キリストにかかっているのです。和解は、お父さんのこの言葉にあります:
「子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。」ルカ 15:31 
あなたの未信者の親戚、家族、友人、同僚は、いつ神様と和解されますか?
2000年前に、イエス・キリストの十字架によって、すでに和解されています!

話の最後に、宴会のために、肥えた子牛、イエス様が生贄となりますが、実は、イエス様は、世の初めからほふられた小羊です。

弟が家を出る前に、放蕩する前に、豚小屋に入る前からも、お父さんは、彼を愛して、彼を罪の当然の報いを味わう事を分っていながら、それを許し、また彼を赦して、彼と和解をしました。
ただ、弟は、その赦しと和解を経験するためには、お父さんに戻る必要がありました。

皆さん、これこそ、福音です!グッドニュースです。
「すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させました。違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」2コリント 5:19
この物語の中、悔い改めはどこですか?
弟が自分の状況に目覚めて、我に戻った、と書いてあります。
気付いて欲しいことは、
悔いる気持ちは、大事ですが、神様を喜ばすためにではありません。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて、振り替えて、福音を信じなさい。」マルコ 1:15
向きなおして、見て下さい。あなたの罪はすでに赦さています!

どうやって、未信者の友人、親戚を見ればいいですか?
そのままですね。未信者、未だ信じない人だけです。
眠っているように、まだ、その現実に気付いていない人達です。
「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」エペソ 5:14 
私たちがまったく一緒です。ただ、起き上がってキリストの光に照らされているだけです。

偉そうに、未信者との違いを強調して、隔ての壁を作るのではありません。

イエス様のように、この簡単なメッセージを伝えましょう:わたしは、あなたの罪を見ません。あなたを捌きません。
向きなおしてみて!あなたの罪はすでに赦さていること、を見てください!

今日の宿題です。この簡単なメッセージを誰かに伝えてみてください。
神様も、わたしもあなたのことを攻めません!
あなたの罪、失敗、傷はすでにもう赦されています。
信じますか?

素晴らしい一週間を迎えてください。