「彼らに何か食べるものを与えなさい」エリック・ジョンソン





Give Them Something To Eat - Eric Johnson JAPANESE



同時通訳:相馬伸子



マルコ6章から、イエス様がどのように弟子たちを訓練して、準備したかを少し見ていきます。

31〜には、休息を弟子たちと一緒にしようと思って船で弟子たちとイエス様が移動しました。

なぜ、群衆が彼らの行く場所を知っていたのかは、不思議ですが、ともかく群衆は先回りして、待っていたとあります。



私は「境界線」を大事にします。そして休息には「静けさ」「自分だけ」が必要と感じます。

今まで自分がミニストリーをしていた人々と一緒には休暇にはいきたくありません。

弟子たちが、この状況に直面したときに、反応したかは、記述がないので、想像ですが、きっとペテロは面白いことを言ってしまったのではないかと、そしてヨハネはイエス様に抱きついて「こんなことは〜」と泣き出したかもしれません。



でも、イエス様の応答は「彼らは羊飼いのいない羊のようです」と憐れまれたのです。

イエス様は 憐れみ そのものであって完全です。



私の友人の言葉の引用をしますがーもし人々があなたがプロジェクトをしている事の重荷や妨げと感じるなら あなたは人々を 対象物としてみているー私たちの召し、使命、プルジェクトは大事ですが、私達は「人々」を忘れてはいけないのです。



弟子達は群衆を見た時「彼らを解散させて、近くの村で食事を買うようにさせてください」とイエスに言いました、それは、弟子たちが自分達の能力や資源から見て考えたからです。そして、それは神様の与えた「自分の能力の限界に立たせる」ことでした。



イエスは「あなた方が、彼らに何か食べるものをあげなさい」と弟子たちに言いました。

それは「神様の能力により頼ませ、立たせる」事を実践させる為でした。



私にとってこのようなことは「日曜日の夜中」に起こるのです。朝の5時には起床し、礼拝の奉仕をして、夜の10時ごろに教会から帰宅しようとすると誰かが、自分を見つけて、問題を話し、困難さを分かち合い、自分は無力化さ、疲れに打ちのめされますが、それは「自分の力ではできない、自分の能力の限界」に立たされ、神の能力により頼み人に触れる時なのです。

神様はそのような状況を持ってきます。



英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4471/sunday-morning/2017/01/22

英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/give-them-something-to-eat