前回は、「教会の欠かせない3つの柱」についてシェアしましたが、
今日は、その柱の一つを、もう少し深く見てましょう:父なる神の家族
「愛し合う等しい関係の共同体:教会、エクレシア」です。
共同体をまず定義しましょう:2−3人でも、教会ですよ!
私は、日曜日出勤のために、普通の日曜礼拝のある教会には行っていませんが、1週間中に、色々な形で、人と集まり、賛美し、御言葉を分かち合い、祈り合い、助け合いのときを持っています。
2人でできることは多い。インターネット、スカイプで話し合い、祈り合うこともできます。
職場では、休憩の時に、同じ職場で働いている人と一緒に、2人だけで、礼拝の時間を設けています。
家で、または、家族でも、夫婦、親子、兄弟姉妹、友人関係でも、イエスの御名によって集まれれば、教会、エクレシアを経験することはできます。
私たちも、公民館で、賛美の集まり、主のご臨在をもてなす時を持っています。
もちろん、大勢の人と集まることも、何人もの奏楽者が集まって賛美をガンガンできる時も、気持ちいいですね。
しかし、一人の賛美も、同じように天に届いています。
2人、3人ででも賛美する時は、素晴らしいです。期待して、一緒に賛美しましょう。
神様は、変わりません!
なので、一人の時でも、2人、3人ででも、少人数でも、巨大な会場で、何千人で集まっても、神様の素晴らしさを味わうこと、楽しむこと、また神様に触れられることも期待しましょう。
では、本当の教会、エクレシアのためのビジョンは、見えますか?
もしかしたら、教会生活によって、傷ついて、「理想的な教会生活が存在しない」と思っている方もいるかもしれません。
人間によって傷ついて、教会の共同体から離れた人が、たくさんおられます。
日本だけではなく、今週アメリカの教会の記事を読んだら、こんなびっくりする統計がありました:
キリスト教の背景のあるアメリカの話ですよ:
「教会に行くのが大切だ」と信じる30歳以下の人は、歴史上最も低い数字、20%だそうです。
小さい頃、教会に通っていた22歳~35歳の人の6割が教会に行くのを辞めているそうです。
22歳~35歳のアメリカ人の35%は、教会は、有害無益だと思っているそうです。
アメリカの残念な話です。
イエス様が教えられた「エクレシア」は、今現在、本当に存在しているのでしょうか?
イエス様が命じられた通りの生き方って、本当に可能なのでしょうか?
もちろん!存在しています。
ただ、もしかしたら、私たちが思っている形と違う形かもしれません。
今までの形しかない、と思ってしまっては残念です。
そして、アメリカでも、日本でも、新しい教会・エクレシアの形を模索する時が来たのではないでしょうか?
イエス様の言葉を見てみましょう:
「わたしは… わたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」マタイ 16:18
「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」マタイ 18:20
「わたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。」ヨハネ 14:13
「わたしは彼らの中でわたしの喜びが全うされるために、世にあってこれらのことを話しているのです。」ヨハネ 17:13
「もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」ヨハネ 13:35ここで、皆さんに少しチャレンジがあります:
今までの歩みの中で、教会、また兄弟姉妹による傷、また、恨みなどがあれば、それをまず、イエス様に委ねてくださいますか?
よかったら、ぜひ、今、一緒に祈りましょう。
「イエス様、あなたが教えてくださった、輝くエクレシア・教会の存在を信じます。
今、もし誤った教会観、また、教会関係で受けた違和感、傷、恨み、失望などがあれば、それを全てあなたに委ねます。どうぞ、思いを変えることができるように、助けてください。あなたが計画している輝く花嫁となれることを信じます。」
では、愛し合う等しい関係の共同体、エクレシアの特徴を見て行きましょう。
三つの特徴は:フリー、フラット、オープン
欠かせない特徴です。
1. フリー 自由
教会に集うのは、義務であってはなりません。強制されるのでなく、イエス様を信じて、エクレシアにつながるのは、招待です。
どうぞ、来てください。
本当の愛が存在するために、自由が必要です。
なので、自由で選択したからではなく、義務によって集まるクリスチャンの間には、愛が存在するのは難しいです。
もちろん、義務で始まっても、しばらくしたら、本当の愛によってエクレシアを育むようになるケースも多くあります。
また、神様への愛のために、集まることも素晴らしいです。
しかし、「せねばならない」で、集まる人は、なかなか愛が育ちません。
集まるのは、自由です。自由に、イエス様を信じて、全てを明け渡して、
そして、イエス様の御声に聞き従い、自由に、エクレシア・教会の共同体の中で、関係を育みます。
2. フラット、平ら
封建的社会の日本の中には、これは一番難しいことかもしれませんが、教会・エクレシアの関係は、フラットであるべきです。
かしらは一人:イエス様だけです。
「あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟姉妹だからです。」マタイ 23:8では、リーダーって何ですか?
前回言いました:
霊的な父親、母親もいます。聖徒たちを整えるための賜物のある人:使徒、預言者、伝道者、教師、牧師もいます。
また、教会の管理のための長老や執事もいます。
しかし、その全てを覆い、全てに勝るのは、互いに愛し合うこと、委ね合うこと。
つまり、会社や軍隊のような封建的な形ではなく、家族です。
この例は分かりやすい:
先生と生徒の関係と、親子関係を考えてください。
理想的に言いますと、先生も生徒の親のようになる役目ですが、残念ながら、多くの先生は、自分が生徒の上にいることによって、自分の価値、アイデンティティを確立し、そのため生徒を支配したり、おどしたりします。
イエス様の言葉を改めて見て見ましょう:
「私は私の教会を建てます。」イエス様の教会ですね。私たちのものじゃないです。
イエス様がペテロに言われました:
「私の羊を養いなさい。」3. オープン 心をひらいて
三つめの特徴:オープン
エクレシア・教会の共同体は、皆のために、一番安全で、自分の弱さや失敗などを話し合い、祈り合い、また支え合う場になるはずです。
攻められることなく、裁かれることのない共同体。
拒絶したり、されることもなく、受け入れ合う仲間。
と同時に、促し合う共同体です。
互いにチャレンジし合う共同体。
罪を我慢したり、無視したりするのではなく、その罪を脱ぎ捨てて、一緒に回復と解放の道を歩むよう、助け合う共同体。
こういう質問を考えてください:
・自分よりも、信頼できる友がいますか?
・自分の一番ひどい失敗と罪をオープンにシェアできる仲間はいますか?
・自分の弱さを出しても、決して拒否されない家族がいますか?
もちろん、このような共同体、相手との関係を育むのは、時間がかかります。
また、どんな共同体でも、ぶつかることがあります。
いや、実は、共同体の絆が強くなればなるほど、ぶつかり合うことは、増えると思います。
しかし、「愛する友だちに傷つけられることは、信頼できる。」箴言 27:6
逃げることなく、隠すことなく、向き合い、話し合い、赦し合い、愛し合うことによって、成長します。
エペソ 4:既に、こういう共同体を経験している人ですか?
2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
3 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
13 私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
14 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、
教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
15 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
16 キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。
・アーメン、もっともっとイエス様の愛と力の中に留まり、成長し、また拡大、増殖するように祈りましょう。
一部、こういう共同体を経験している人ですか?
・感謝です!既にできていることを感謝しながら、前向きで、要らないことを脱ぎ捨てて、今から更に信頼関係を深めていってください。
全然、こういう共同体を経験していない人ですか?
・御言葉を信じて、自分の影響の与えれる関係に、徐々にオープン、フラット、そしてフリーの関係を築いていってください。
祈りましょう!