先週、「一人の信仰生活」の動画を見た人からいい質問が届きました:
「聖書を読むうえで私たちが神様について知らなければならないこととは、どのようなものでしょうか。」
キリスト教と聞きますと、いろいろな概念が思い浮かびます。教会の礼拝に行くこと、聖書を読むこと、学ぶこと、祈ること、献金すること、伝道すること、一杯あります。
しかし、多くの人は、教会で当たり前に行っている事の中に、何が大事なことか、何がしきたりか混乱してしまいます。
その中である人は、一極端に走り、教会のすべてのしきたりを、何も考えずそのまま素直に受け入れます。
その一方で、ある人は、逆にそれらに反発し、そのすべてを拒否してしまいます。
すべてを受け入れる人は、時々人間の作った習慣を神様の言葉よりも、大事にしています。
逆の人は、自分の信仰生活のため、また御国がこの地上に来るための大きな力も、気付かずに捨ててしまう時もあります。
やっぱり、どちらも、極端で、少し危ないですね。
今日は、とてもシンプルにします。
信仰生活は、意外に簡単です。
まず、信仰生活を定義しましょう。
信仰生活は、神様との結婚みたいなものです。
「私たちが神様について知らなければならないこと」という最初の質問についてですが、まず、聖書の「知る」と言う言葉の本来の原語を考えてみましょう。
「知る」の原語は、「経験を通して知る」という意味を含んでいます。つまり、頭で知るだけでなく、実際に経験することが目的ですね。
一つの例で説明します。ある人の自伝を読み、その人の人生について情報を集めて知る事は、その人と実際に出会い、友達となって、一緒に時間を過ごして、その人を知る事とは全然違いますよね。
その人の自伝を読めば、ある程度その人についての知識を得る事は出来ますが、実際に会って、友達となり、その人を知る事とは比べるものになりませんね。
同じように、聖書を読めば読むほど、賢くなって、神様についての知識は増えるかもしれませんが、必ずしも神様のことを「知っている」とは言えません。
啓示、つまり、神様が直接私たちの思いや心を開いてくださなかったら、いくら聖書を読んでも、勉強しても、素晴らしい説教や教えを聞いても、主を知り、悟ることはできません。
では、どうすればいいでしょう?
実際に、神様の御前に全てを明け渡して、その愛、救い、恵を浴びて、賛美、感謝、喜びを返すことですね。毎日です!
人生は、神様の愛を知る、愛を経験する旅、結婚みたいですね。
興味があれば、「愛の旅」のシリーズを見てください。ゆっくり神様の愛に留まる習慣を身につけてください!
(Youtube: https://www.youtube.com/playlist?list=PLMZViWaFQ6vO7Bd4ZSbKxjixEoYbqLwln )
でも、続けてこう言う質問も問われると思います:
「信仰生活の中、どうやって、清い信仰を保ち、脱線しないようにできますか?一人で、また少人数で、信仰生活をすれば、道をそれたり、変なことを信じるようにならないでしょうか?」いい質問です!
ここでは、教会の必要な要素を細かく見ることはできません。
しかし、今日から少しずつ、本来の教会、エクレシアについて、イエス様、パウロ、ヤコブ、ヨハネなどが解いた、エクレシアの一番大事な要素を見てみましょう。
「教会・エクレシアの欠かせない3つの要素」が見えます。
3つの柱を考えてください。
・御言葉、イエス様、
・聖霊様
・父なる神様の家族、共同体
この3つの柱がちゃんと機能するなら、屋根を建てる事ができます。しかし、一つの柱でも欠けたり、他より短いなら、その屋根は、一方に傾いてしまう、または、屋根が完全に倒れます。
同じように、健康的な信仰生活、また教会生活のためには、この3つのバランスが欠かせないことです。
まず、一つ目の柱、御言葉イエス様について。
すべての聖書のことばは、イエス様との出会いへの招きです。
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、パリサイ人は、生ける御言葉イエス様よりも、聖書を大事にしました。彼らは、「聖書崇拝者」でした。聖書が偶像になってしまったのです。
聖書を調べています。
その聖書が、わたしについて証言しているのです。
それなのに、あなたがたは、いのちを得るために
わたしのもとに来ようとはしません。」ヨハネ 5:39-40
みなさん、永遠の命は、この書籍を読んだり勉強したりすることからくるのではなく、この本が指し示している生ける御言葉イエス様から来ます。
と同時に、イエス様の御声を聞くためには、聖書を読み、理解する必要があります。
「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、
キリストについてのみことばによるのです。」ローマ 10:17
「キリストの言葉から来るのである。」(口語訳)生ける御言葉とは、書かれた文字「ロゴス」ではなく、イエスの口から出る息、「レーマ」です。
沢山読んでも、少しだけ読んでも、聖書を読む時は、生ける御言葉、イエス様の声に耳を傾けています。
二つ目の柱、聖霊様について。
教会の共同体がちゃんと機能するためには、聖霊様の存在、影響は欠かせないものです。
聖霊様は神様ご自身です。
聖霊様のひらめき、啓示がなければ、いくらこの聖書を読んでも、理解することはできません。
「助け主、すなわち、父がわたしの名によって聖霊様がうちに住んでおられ、また私たちの間に住まわれます。
お遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、
また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを
思い起こさせてくださいます。」ヨハネ 14:26
「このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、そして、教会・エクレシアの大事な、大事な 3つ目の柱は、父なる神の家族が本当の愛の絆に結ばれて、従い合う、支え合う、教えあうことです。
御霊によって神の御住まいとなるのです。」エペソ 2:22
よく見過ごされている柱ですね。
パウロは、エペソ 1:18 で、
「聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、」エペソ 1:18を理解することができるように、祈っています。
キリストの体は一つ、頭は一つ、御霊は一つ、お父様も一人です。
兄弟姉妹が一致すると、素晴らしい祝福があります。
ただの仲良しクラブではありません!
ただの、教会の1会員ではありません。
「私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。」エペソ 4:25一千人の教会のメンバーでも、現在一人で信仰生活をしている人でも、イエス様の体の一部分です。
また、その体として機能するためには、特別の組織が必要なのではありません。
必要なのは、二つだけです:
互いに愛し合うこと。キリストが私たちを愛したように、私たちも互いに愛し合うことです。(ヨハネ 13:34)そして、二つ目は、
「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。」エペソ 5:21日本語の聖書は「従い合う」、また時々「仕え合うこと」と書いてありますが、
原語は、自分を相手に委ねること、自分を相手の下に置く、委ね合うという意味もあります。
これこそ、愛し合うことの一面ですね。
しかし、覚えてください:「互いに」という言葉の意味。
教会の組織にではなく、一方的に一人のリーダーにではなく、「互いに」です。
教会は封建的な、ピラミッドのリーダーシップ構造ではなく、家族です。
確かに、霊的な父親、母親、兄弟姉妹、霊的な子供もいます。
聖徒たちを整えるための賜物も必要です。
教会の管理のための長老や執事もいます。
しかし、その全てを覆い、全てに勝るのは、互いに愛し合うすること、委ね合うこと。
「これらすべての上に、愛を着けなさい。私の知り合いは、北インドの開拓伝道に用いられて、ここ30年間の間、10万以上の教会を開拓し、600万人以上の人が信じて、イエス様の弟子となるのを導いてきました。
愛は結びの帯として完全なものです。」コロサイ 3:14
彼らが、この3つの柱を強調して、教えてきた30年間で、一回も異端が起こったり、変な教えが残ったことはないそうです。
イエス様が約束して下ったように:
もし、私たちが生きる御言葉、イエス様に留まり、聖霊様を歓迎して、愛し合う、委ね合う、従い合う共同体の中に、弟子を作るなら、イエス様が、ご自分の教会・エクレシアを建ててくださいます。
「わたしは… わたしの教会を建てます。
ハデスの門もそれには打ち勝てません。」マタイ 16:18